みんな仲良くの呪いと安全基地への渇望

私は名前をきっかけにいじめられる小学生時代を過ごしてきた。毎回出会う都度に暴言を吐かれ、唾も吐かれ、あまりに頻繁なので友情や絆を過信してそうな愚かな教師が担任になるまでは別のクラスに意図的に分けられた。愚かな教師は何故かランドセルが入ったロッカーから倒れ込み、それをみんなが受け止めるという信頼の試し好意をして、全員が出来ることを目標にしていた。私や他のいじめられてる子や、気配りが上手くて繊細そうな子はそれに参加しなかった。26人規模のクラスで6〜8人ほどだっただろうか。学校は誰かの安心感や子供時代を犠牲にして回っているのだ。そしてそれを子供自身の問題だと言わんばかりに目標として掲げることに私は心底軽蔑する。

 

私は学校にいる時は親に脅されて泣きながら通っていた。いじめてきた人たちがあの人達はなんて酷いんだろうで完結できたはずのものが、母がそういう相手を咎めようとしないで、私に人の言うことを悪く言っちゃいけないと言い出して、私は相手の死ねって暴言を否定してはならないことに恐怖を感じていた。私は人が持っているらしき壁や窓のような存在を無惨にも母に壊されてしまった。健全な境界が失われた私は、防衛の本能が蠢くようになり、それは解離という現象を引き起こした。

 

私は当時は通えていた。爪を立てて手の甲が傷だらけでも、保険の先生に会うことや担任の先生に褒めてもらえることが楽しみで、音読させられたりグループ活動がない上では座学自体は苦痛じゃなかった。家に帰ってゲームをすることが楽しみだった。あれから15年経った今、みんなが私を虐げて来た恐怖や、みんなの言ってた悪口や陰口や、それに傷ついて自分を含めた何もかもを拒絶したくなる感覚や、自分を否定した存在を否定する言葉や、かき消してくれるような承認を求める感覚が雪崩のように襲いかかってくる。人と接しているだけでそういう衝動が溢れ出して正気でいられない。一人でいるだけで抑圧していた悲しみが溢れ出して心細くてたまらない。

 

私は長い時間を掛けて友達を作れという呪いに私自身がいらないと思っているとはっきり言えるようになった。いらない理由を説明出来るようになった。夫以外の人間とわざわざ話すような暇な時間は専業主婦だがこれっぽっちもない。買い物と夫に合わせて勉強して昼寝して家事したらあっという間に一日が終わる。過去に起きたことは間違っていたことだと、あらゆる本の文章で証明して見せても、その意味のない友達や仲間や絆作りをさせられたことによる過去に傷ついて壊れた部分は治りようがない。

 

私の他者からと承認されないと自分の存在が許されないという恐怖感。他者が優先された期間が長すぎて他者の存在を前に自分の尊厳が脅かされる感覚。長い抑圧より溜まった自他への憎悪、そして親から植え付けられた自分への無力感や無価値感。仕向けられた自分を責めるという在り方と、あらゆる言葉が他者の悪意を自分の責任だと押し付けるために利用されてきた事による世界の価値観とのあまりにも大きなズレ。許すことを押し付けられたことによる許しに対する途方もない憎しみ。そんなものが自分の内側でぐちゃぐちゃに存在してずっと苦しい。