私に居場所がないとよくわかった年

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

 

私の2024年の始まりは地獄そのものでした。2023年の12月、病院では横入りのレッテルを貼られて、いじめに合った時や助けて貰えなかった時のフラッシュバックを起こしました。そしてトラウマ治療の為に通おうとした病院でもまた、母の言葉と重なり再びフラッシュバックを起こして通えなくなりました。私のフラッシュバックは一度起こると同じ場所に行っただけで発生してしまうのです。

 

そうして起きた不眠や頭痛、精神疾患の悪化というものは、家庭内にも大きく影響を及ぼしました。途方に暮れた私は本を読むようになりました。私に解離があること、ASDの解離は通常の解離と違うこと、そしてその解離はこの世界が私の脳の作りにとっては常に恐ろしい物であるからだと知りました。

 

しかしそうしてトラウマは増え、本を読んでいけばいくほど、夫との価値観のずれが大きくなっていきました。私は多くのトラウマが増えて疲れ果ててましたが、夫からしたら私のトラウマは関係ないからです。その結果、トラウマを忘れている瞬間の私と、トラウマを思い出した瞬間の私とで、夫との繫がりに酷くギャップが生まれるようになりました。境界性パーソナリティ障害の相手への極端な好感度の推移というものは、私のこうしたギャップに何かを足し引きしたような状態なのかもしれません。

 

そして実を言うと更新が減りました。引用されて掛けられる言葉にうんと疲れてしまうからです。私の書くことが、こんなくだらない形(ただ私を見て恵まれている自分の人生に感謝してただけ)で消費されていると知って、ずいぶんと幻滅してしまいました。私のような立場では、恵まれている人間がいればそうなるように努力しろと叩き棒に使われるだけなので、ずいぶんと酷い格差をはてなブログによって知ることになってしまいました。

 

そういうわけで2025年も、やはりはてなに来る頻度は減ってしまうかもしれません。結局私はどこにいたらいいのか全く分からないのです。

自分を感じることが怖い

私の希死念慮のトリガーのひとつはニキビによるかゆみである。フェイスラインのニキビのリスクが高い年代とはわかっているが、ニキビ用の洗顔を使っていようと全然治らない。髪を洗った後に洗っているのに。調べても保湿しろとか食べ物気をつけろとかホルモンバランスがどうこうとか病院行けとかどうしようもないことばかり言われる。   

 

そもそも夫が潔癖症で私も保湿剤が塗れないことからややこしくなっている。私があらゆるトラウマで病院で治療できないこと、何故かチョコラで頭痛が起きること、食事量をちょっとヘルシーにすると体調も情緒も無茶苦茶になることなどもう自力でどうにかできない問題が山のように存在する。チョコラによる頭痛は夫もする。なぜか全然わからない。ただのビタミン剤ではないか。

 

もう私は自分の身体そのものにうんざりしていて、この身体から抜け出したくて仕方ない。もっとトラウマを植え付けられずに生きてこられたら私はきっとこんなに血圧やらホルモンのジェットコースターをするほど荒れないし、荒れても通院できたのかもしれないが、この人生は本当にどうしようもない。こんな失敗作な人生が大嫌いである。 

 

私は自分の身体から不快感を感じることが嫌いなのだ。私は常に二次元に没頭してないと潜在的なトラウマからくる希死念慮や自己否定感に四六時中襲われるから、なるべく身体を感じたくない。運動なんてもってのほかである。熱くなるし汗をかくしで体中が不快になる。とくに頭痛がすることが最悪なので嫌だ。定番の横腹が痛い現象はなぜかない。なんであんな酷い頭痛になるんだろうか。

 

セルフケアやコーピングという言葉はあるが実際にはその難しさばかり感じる。香りで心地よさを演出しようと買った芳香剤や柔軟剤では頭痛をこじらせ、お茶を楽しもうとすればカフェインでは怒りやすくなり色気のない麦茶ばかりで気分転換にもならず、ルイボスティーは割れるような頭痛をこじらせる(夫も発生した。なんで?)食事も頭痛や空腹で減らすといつも失敗する。分食すればいいと思ったが再び失敗する。消化の悪い食べ物はすぐ逆流性食道炎か便秘のいずれかをこじらせ、最悪嘔吐に至る。なぜこんなにセルフケアは難しいのだ。

今ここという言葉が怖い

トラウマ治療に付いて知識を持とうとすると出てくる今ここの概念が私には怖い。それは私を見殺しにするというメッセージに等しいものである。

 

それは私がいじめの被害のSOSやトラウマの苦しみを家族に伝えた時に、友達と仲良くしてればいいじゃないとか、アニメ見て気分を誤魔化せばいいとか言われたことにより、私を否定する言葉として登録されたからだ。私は間違ってる、存在してはならない存在だというメッセージが完全に刷り込まれてしまった。フラッシュバックして記憶や言葉の洪水で苦しんでいる時には、アニメ関係なく映像を見る余裕がない。真新しい情報を入れるキャパシティがないのだ。何もかもが自分を否定するメッセージにしか感じられない時に、音声で言葉を耳にいれるのは恐ろしい。楽しい気分を維持させるためのものと、シェルターのように必要としているものが違うということは、客観的に伝わらないことでも、そんな風に臭いものに蓋をするような感じで言われることは非常に辛かった。母からは休みなく私が私であってはいけないというメッセージが常に伝わってきて、物理的に離れようと呪いのように常に体内を這い回っている。私はどうしたらこの感覚から逃れられるかわからない。

 

だから今ここなんて言葉は胸を抉るように痛い。そんな綺麗事を語ろうが、過去に失った欠落は努力で埋まることはなく、そして求めることそのものが自立してない悪だと断定される。しかしそれを見なかったことにすると生活に何かしら失敗が発生すると、努力していないと責め立て、過去を言い訳にするなと責め立ててくる。失敗せずに普通に振る舞えなんて出来るわけがない。

 

過去も今も未来も、失敗した私は迫害される存在であるとメッセージを告げてくる。自分が失敗しないとも、誰かが攻撃してこないとも思えない。そこにいるのは世界の攻撃の的である私一人だけである。結局トラウマがある人間が今ここに安らぎを得られる環境なんてこの世界に存在しないのだ。

寝起きの孤独

寝不足状態が続いていた。結局薬を飲むことで夜の幻聴はおさまり眠れるようになった。あの幻聴は本当にフラッシュバックだったのかと唖然する。トリガーのないフラッシュバックは本当に神田橋処方がないと止まらないのだ。ここまで来ると神田橋処方を摂取してからフラッシュバックか幻聴か確認するという手段も悪くないかもしれないと医者ではないが思う。

 

数日間の寝不足を取り戻すように昼寝をして目覚めると、ひたすらに自分の存在が間違っているような感覚に陥る。夫に言われた英語をやっていてもその感覚が抜けず、息が詰まってすべてが嫌になってくる。幻聴が消えるような状況でもどうにもならないものを、一体どうすればいいのか私にもわからない。

 

私はどうやって自分の正しさを証明したらいいのだろう。あらゆる本から私が間違っていないという情報を集めていても、刷り込まれた自分という存在への不信感が全く解決しない。私にとって私は間違っていないが、世界中は私を責め立てるのだろうという恐怖感、そして再び責められるだろう安全を確保できない自分を責め、すべてに怯える悪循環の中にあり、そこから抜ける方法が全くわからない。

 

いい思い出を作れと言われても、どうせ私は人から嫌われるのだろうという感覚がある。この記憶のフラッシュバックのしやすさで人と意思疎通なんて出来るわけがない。そして私はもう人が嫌いになりすぎて、どうしたらいいのかわからない。人の言葉なんて一言も聞きたくないほど、私は否定されることに疲れ果てている。そして私自身何も話したくない。ただどうせ私を嫌うんだろうと怒鳴りつけて、すべての人間を追い出したいような、激しい怒りを感じて、また息が苦しくなった。人と関わることを考えるだけで、私は何もかもが嫌になる。しかし、どうしてそんな私が寝起きに自分の存在の価値を信じられないという悩みを持たねばならないのだろう。

 

私はどうしたら私は間違っているという感覚に襲われないのだろうか。最近はそれが上手く見つけられないことが悩みである。

通学は魂の殺人

また選挙があるらしい。

私は学校に行きたくない。

みんな私を傷つけた。

みんな敵だ。

それ以外何も思い出せない。

選挙の場にはたくさんの人がいる。

たくさんの目が私に普通を期待する。

怖い。行きたくない。

大人になっても学校行きたくない。

選挙の場所が学校なの、大嫌い。

身体中がやかましい

私は不眠に陥っている。とにかく身体中がやかましいのだ。現れる幻聴、止まらない思考、痛みだす肩、寝る直前だけ現れる頻尿、身体が音で渋滞を巻き起こしている。

 

肩や肩甲骨をぐるぐると回したり、トイレに篭ったり、思考が潰れる睡魔を待ったりする。しかしそれが毎日繰り返され寝不足である。どうしたら落ちついて眠れるんだろうか。私は逆に今までどうやって眠ってたんだろうか。

加害者が裁かれないのに自尊する難しさ

私は長らく自己否定に悩んでいる。私の自己否定には複数の由来があるが、やはりいじめによって傷つけられた自尊心を現場を目撃して無視した眼鏡をかけた中年女性の学年担任と、さらに母によって加害者が褒められ肯定され無価値なものであると断定されたことにある。正直いじめの被害者の母がいじめの加害者を褒める状況で、どうやってこの世界が安全だと思えるだろうか。というか絶対思えない。世界中全員敵の感覚はどうしてもここで出来てしまう。

 

私はそれからというものの、自分という存在は価値がなく、それゆえ周囲から迫害され、そしてその迫害を自分の責任だとされるという状態がフラッシュバックするようになり、あらゆる人間関係が非常に困難なものになった。

 

この世界が安全でない。なぜなら私が私であるからであるという決定事項がある。だから私はいつも無気力だ。世の中の人間はそんな私の安定した不安定さを理解しない。夫というものもすぐに楽をしたいからと言い出す。しかし考えても見て欲しい。自分という存在が攻撃の的にされると知ってて、何かに積極的な気持ちになることが可能だろうか?

 

健常者だって0円だと知ってるものに100万円払う気にはならないだろう。私は私という0どころか-に下がっていく存在というものに、何かを費やすような気持ちになれるだろうか。フラッシュバックしてばかりの私という存在に、経験なんて火に油を注ぐだけだった。不登校になってからの10年間は、ひきこもるよりも高校に行ったり就労移行とかデイケアとか有象無象の病院に行っていたが、ずっとそうしてますます自分を傷つけるだけだった。行動すれば、未来を目指せば、諦めなければ。そんな言葉を私は二度と許しはしないだろう。無責任に記憶で汚された私がそんな話を許すはずがない。何もしないから悪いと人は思うだろう。しかし私は何かをした私が憎いのだ。

 

人は私にあらゆる言葉を掛けるだろう。過去のこととか、勿体ないとか、甘えてるとか、過去を言い訳にしてるとか、親のせいにしているとか、今こことか、そういう話ばかりしてくる。しかし私はそういう話をされるとますます今も過去も何も変わらないじゃないかという気持ちになる。いじめにあった時だって、そういう言葉を掛けられて私の存在は無視された。だからこれじゃあ何も変わらない。結局ないがしろにされる。この世界は結局私以外の誰かだけが大切にされて、私が踏みにじられる世界であるというのがさらに決まってしまうのだ。

 

私はあの時に本当に死んでしまったのだ。死んだものがだましだまし身体が動いているだけで、やはり社会の模範となるような生き方、本当の自分みたいな生き方が出来るような構造では私はもう存在していないんじゃないかと思う。あの時の尊厳は完全にあの学校と母によって消えてしまったのだ。そのままの自分でいいと、落ち着いていられる可能性というものが、人といる時間を恐ろしいではなく、心地よさが循環していると感じられる可能性を、完全に切られてしまったのだ。

 

こうして私は怒りを吐いている。親に失望してからもずっと。こうして吐いていないと、ひたすらに自分が間違っている気がして自殺してしまいそうだからだ。本当は誰かが相手が間違っているというべきだったのに、誰もいなかったから私がこうして相手が間違っていたと言い続けなくてはならない。

 

大半の人間はきっと貴方は間違ってないって言ってくれる人がいたんだろうね。そういう人たちはきっと自分たちは自分たちの力で努力して価値を作ってきたのに努力もせず人から肯定されたいなんて我儘な奴だと私のことを思い込むんだろうね。それくらい自分の存在を信じて尊敬することが出来る。私が自殺しないための時間のすべてを逃げてるとか依存してると言って批判してくるし、私の弁護士にならなきゃいけなくて、そのために掛ける時間をすべて他責だ自己責任なんだと責め立ててくる。

 

わからない。この世界にいればいるほどわからない。私には安全が、自分が生きていて恐ろしくないと思える根拠が、他人はそんなに人を見ていないと言う情報とは正反対の情報ばかり見掛ける。インターネットから離れても、普通という漠然と世界に浮いたものが、私が間違っていると責め立てているような心地で心細くなる。

 

私は非常に虚しいのだ。自分に対して何かをしようとしなかろうと虚しく、間違っているような心地にしかならない。何かに没頭することでしか血が通わないことを、間違ったことだと言われることが非常に悲しい。電気で心臓を動かしたら、それはもう人間ではないのだろうか。きっと誰もそうとは言わない。だけど私の存在は違う。間違っていると常に言われる。破壊されたものを代替せず、自分で動けと言われる。しかしどうしようもなく壊れてしまった事実ばかり、私には見えてきてしまう。