食べ物の味がしないの辛すぎる

今回の風邪は私が最も嫌う風邪のパターンで、嗅覚が消えている。食べても漠然とした甘いしょっぱい以外何もわからない。QOLが下がり物事に手が付かないけど頭は中途半端に回るという地獄のような日々になっている。

 

中途半端に回る頭は自己否定を反芻したり過去の記憶をぶり返したりしている。記憶のぶり返しと逃避を往復しているのでボロボロになってきた。程よく休む方法もギリギリ状態で外に出るのも難しくて困っている。食べ物の味がしないと一日の楽しみがごっそりとなくなって気が沈んでくる。料理はしなくてはならないので死活問題である。

 

味覚がなくなっていいことなんて味覚のないキャラに思いを馳せるくらいなので勘弁してほしい。ちなみにそのキャラクター達は味覚はないのにプロフィールに好きな食べ物はあるという設定だった。どういう心境で好きな食べ物なんて言ってるんだろう。

風邪と肩こり、どちらを取るか

冬に入ってから毎月風邪になる。喉風邪から始まり鼻かぜで頭が痛くなり鎮痛剤を飲んで寝ている。十中八九コートを着ずにスーパーに行くせいだ。普段と違って外に長居するような用事だったのでウォーキングしてるだけに近いスーパーの買い物と違って身体を冷やしたのだろう。コートを着ると肩が痛くなるし、息の苦しさなどの脆さにも繋がるので危なくて着れないのだ。それで毎月風邪ひいてるのもキリないなと思うので、軽そうな上着でも探そうかなと思う。

 

というわけでショップを見たけど高い。ユニクロ6000円、広告はやたらある胡散臭い通販サイトでさえ3000円代。服着るのって面倒だなって思ってきて服探しに対するやる気を無くす。夫に風邪移すのも悪いし、しばらくは買い物は夫にお願いしようかなと思った。それでも来月の通院までには上着探さないとな面倒だなと思う。こうして家にいるだけなのにまた頭がぼんやりとしてきた。冬服って頑張って選んでも冬しか着ないから、探すのが面倒臭いんだよね。

 

最初からコートを着れる身体ならよかったんだけど、どうしてか自分の身体はいろんなものに弱い。コーヒーはカフェインレスでも合わないし、市販のルーでも自家製でもカレーは合わないし、ハーブティーも合わないし、運動するとお尻の付近が痛くなって休まないと歩けなくなる。

 

自分の身体に合う生活の方法ってよくわからないなって思う。人と関わるというトラウマに再挑戦してトラウマの再演がないように気を配るようにしていても、なかなか生活の仕方が良くわからんと思う。

妥協の難しさ

胸の内側が引っかかれてるような、そんな感覚に陥ることがたまにある。この感覚が恐ろしくてまたどうしたらいいのか本を読むけど、自分はこれ以上助かるような恵まれた能力を持つ人間ではないのだろうなと思って今度はあきらめ方を知らなきゃいけないのかなと思う。自暴自棄とかセルフネグレクトとか、そういうことにならない程度の程よい諦めるってどうしたらいいのか結構難しい。

 

私は人といると正気を保ってはいられないのだ。さみしくて伸ばしたくなる腕と否定される前に否定したいって傷つけようとする腕の両方を、自分の中に抑えなくてはいけなくて、こんなに必死に抑えてることを知らない人たちが私にとって人といるということは狼の群れに襲われるような恐怖だ。

 

本にあった話だが、不安定な人間関係を受けた後の後遺症のある人はどうしても安定していそうな相手を前にしても不安定になってしまうそうだ。おすすめなのは親密な人間関係というこってりとした油のようなものを取らず、インターネットでチャットするだけのような消化にいい関係性のみにすることらしい。私の場合それすら出来ないので、何なら消化できるのか随分と謎なところがある。アレルギーみたいなものなのだろうか。

 

そして文化の伝承のような人の持つ学習能力で悪い意味で働いてしまったというものもあるらしい。人は学習しろだの経験しろだの言う癖に、都合の悪いことは忘れろとか気にするなと軽々しく言う。しかし人である限り覚えてしまうというリスクは避けられない。

 

どうしても人そのものに対する者だけでなく、自分の感情の波まで恐れてしまう私には、人という存在に触れることがあまりに困難なのである。そうした苦しみから抜け出すには人との絆は諦めて、自分の世界を内側に作るといいという話らしい。子供の頃から友達作りを生存の条件のように置かれてきた私にとって必要な事実だし、人と会うことが向いてないことなんて散々理解しているのだが、お金稼ぎも出来ず薬局に薬を取りに行くことすら苦労する自分に苛立って落ち着かない。過剰摂取した人という毒を抜く時間に耐えればイライラはいずれ抜けるのかがわからないことがひたすら心細い。

雲のように過ぎた日々と過去から人はやってくるという話

頭がすごく回らなかったので、ぼーっとしていたら1日が終わった。作る料理も少なかったし、荷物の受け取りがあるから外にも出なかった。読む本が溜まっていたけど、もやがかかった貴重な時間を享受するために読まなかった。少しだけ中国語の本を読んで初心者向けとはいえ知らない単語が減ったなぁと思って再び横たわった。

 

その次の日は頭が回らなかったので少しだけ覚えていない中国語を書いてまた横たわった。昨日も今日もコンビニにも行っていない。きっと私はコンビニに行って人の顔を見ることで自分が思うよりも悲観的になってしまっていたのだろう。外に人がいることを知ってしまえば、外で私が嫌われてきたことも思い出してしまうから。

 

さらにその次の日はスーパーに買い物へ行った。加えて本を読むので忙しかった。いざ本を読みだすとあまりに時間がないのでおやつを食べる時間を省きたくなるが、明らかに体調不良で本を読むどころでないのでおやつを食べた。体重的には間食は必要ないのに、体調としては間食がいるので体によい物事ってなんなのだろうと難しくなる。

 

さらにその次の日、いわゆる今日は読んだ本に悩んでいた。それは自分の資質である。自分の向いていることをしていれば元気になるので、もし今元気がなくて過去に捨ててしまったものがあったらそれをすればいいという。まぁ好きなことを子供の頃に好きだったものから探そうという話を解像度高めに説明されたのだ。

 

そうやって考えて見ると私が過去の捨てたことと言えば家で一人で過ごすことだった。夫に聞いたところ私が捨てたものといえば人との繫がりだったり友人だったり、親であったり勉強であるようだ。

 

私としては人は夫だけで十分ではある。母が友達を作ることに異常な執着を起こされて一人でいることを否定されるばかりだったが、私は女性のコミュニティが苦手だし、男子からはいじめられ、共通の趣味が見つかったころには親や女子が恋だなんだとひそひそ噂をしてくる状況だったので、年下の近所の子と遊ぶのが楽しかった。だから男性の話し相手が欲しいという願望は夫という存在を獲得したことで叶っているところがある。

 

学校というコミュニティは嫌いだが教師の話を聞くのは楽しかった。国語の教師が作品と共に作者の人となりや時代背景を教えてくれる時は特に楽しかった。私がトラウマという概念を調べることをやめないのも、過去や歴史が人を作るのだという確信があるからである。記憶喪失したりタイムマシンでやってきたりでもしない限り、人は過去に起きた出来事から形作られているのだと思う。夫と話しているとあまりに知識が欠けているので勉強をしたらどうかと言われるが、教科書で現代社会の説教を食らうのもうんざりなので、どうやって学習するか悩んでいる。

びっくりするほどしたいことがない

今週のお題「あったかくなったら」

 

何もしたいことがわからない。語学というものをいろんな方向性から試そうとしたが、発音部分が聞いても説明文を読んでもよくわからんとなり、文法はどれが形容詞で動詞なんだかさっぱりわからなくなるし、淡々と単語を覚える作業にも退屈さが隠せない。あまりに無気力すぎて結局何かに手を付けることに向いていないのである。英語は最初の数ページで投げてしまうほど絶望的である。その代わりとやっていた中国語も初心者向けの本を読んで文法は少しはわかるんだけど、中級者向けになるまでの漢字と単語の数をどうやって増やしていけばいいものかわからなくなってきた。飽きるし、頭に入らないのである。コンサータが欲しいような、飲んだところでどうせ何ができるわけでもないという感覚もある。私の精神が悪いのか、脳みそが悪いのか、漠然とした自分への不満感で何もしていなくてもしていてもむしゃくしゃとした気持ちになっていく。体が重くて腕や肩が痛い。

 

今日は朝から何も楽しくないなって感覚が常にある。大麻が合法化して安価になったら使って気が楽になるのかなと悩むくらいには鬱屈として空しくて何をしても意味がないような心地がある。洗濯機回したり料理を作りはしたのだけど、何の喜びもなくて日々がつまらなくて死んでしまいそうになる。トラウマの痛みも逃避もなく心地よく過ごす方法が私にはわからない。何か今この時間を飛ばせるような便利なものがないものかと悩んでいる。昨日は意味もなくここまで落ち込まなかったのに、今日は意味もなくここまで落ち込んでいる。何を失敗したんだろう。どうしたらこうならなかったんだろう。昨日の夜だってご飯を食べて11時眠った普段と変わらぬ夜だった。心当たりがないからどうしようもなくてそれがさらに虚しさを強めてしまう。

 

私はどうしてもこの世界で何かをしようとする意味を見つけられない。自分の見た目は美しくもなんともないが、人間の見た目はどのみち絵の美しさを超えることは不可能だし、恰好良さというものでも音楽で勝るものはないように思えてきてしまう。もう自分が絵が描けないことはわかっているので供給を得るしかないことはよくわかっている。とりあえず描き続けて出来ないところに気づくまでは出来たのだが、結局解決する前にパニックになって終わってしまったからだ。

 

私は泣き虫な人間ではあるが、キャラクターや音楽が恰好良くて泣いたことがあっても、人が恰好良くて泣いたことはない。お酒に酔いしれることは難しくても、世界観や音楽に酔いしれることは出来る。人からは恐怖や痛みばかりを感じてしまうが、音楽を聴いていると腕の軋むような痛みもなくなっていく。鎮痛剤のように自分の感覚を麻痺させてくれる。本物の鎮痛剤は胃が荒れてしまうので毎日使えたものではないが、音楽を聴くことは毎日でもできるのである。

 

私は毎日鎮痛剤が必要であるくらいには現実世界において痛みばかりになってしまったのかもしれない。人という毒に蝕まれてしまった以上、人と同じ解決方法を私には取れないし、自分という人間との関わり方さえわからない。私はこれからも延命措置をされている死んだような存在でしかない自分を、少しでも忘れようとするしかない。それにしてもこんなに音楽が離せないのでは発音やリスニングなどできるわけがないな。

寝るにも寝れず

喉が渇いて水を飲んではトイレに行ってを繰り返しているので身体が落ち着かない。睡魔が襲ってくるのを待つがてら小説を読んでたら理想と違った小説だったので探して別の小説を読んだ。そんなことをしているうちにもうこんな時間で、私はどうやって眠るのか思い出せなくなっていた。口の乾きで眠れないって普段はない理由だから対応にも困る。

 

今日はどちらかというと料理がいそがしかったけど、母に友達作りを強要されたことを思い出して気が荒んでいた。夫からは母が友達が優先の人だからそうなったのではと言われたが、友達なんて母にはいなかったし、母が人と会えば劣等感やストレスを溜めるので慰める立場だった私からしたら友達を欲しがる理由がよくわからない。

 

実を言うと友達の方が家族より大事という感性があまり理解できていない。親があまりに酷いので相対的に友達の価値が高いという話なら納得するが、そうでない場合はそんな他人になぜという疑問になってしまう。二次元作品だと先がないからいいけど、三次元の人間だと先があって環境も代わって出会いもある。そんな中で自分という存在はどうでも良くなっていくのだろうと思うと、何もかもが無駄に感じてしまう。引っ越しが多い境遇だからそうなるのだろうか。浅い関係を嫌うのは、母の言う人付き合いは失敗は許されず他人の悪意は許さねばならないという価値観からくるものだ。人間関係のすべてがあまりにも差別的に構築されてしまったのである。私の人間関係のストレスやトラウマも私の人格ごと否定されるものだった。私は人が怖いのだ。

 

子供の頃はゲームをしていればあっという間に過ぎたし、今も出掛けるスケジュールを作らなくても一日が過ぎているような日々だ。時間を潰す娯楽が増えた現代だからなのだろうか。ただ友達と遊ぶことがすべてだった母にとってそうした楽しい時間はすべて偽物の笑顔と否定された。友達といるあなたの笑顔が本物の笑顔という言葉があまりにも押し付けがましくて、私は友達という概念に嫌悪感がどうしても出てきてしまう。作品を楽しむときの障害になるので困った。

睡眠のバランスが悪い日

生理で体の調子が悪く、頭痛から逃げるように昼寝が長かった影響で眠れなかったところにフラッシュバックが始まり全然眠れない。強めの鎮痛剤を飲むかわりに頭痛のみの日は鎮痛剤を我慢していたが、こんな形で影響が残ってしまった。夫と同じタイミングに眠れないと大変だなと思う。

 

フラッシュバックは大体学校と親のことだ。学校には大体助けてくれなかった親の記憶がまとわりつくので家と学校は実質セットだ。精神的にはホームレスかのごとく家庭内での安全の保証を得られなかった。

 

そんな時を思い出すので怒りと悲しみと恐怖と無価値感と憎しみが雪崩のように襲いかかる。こんな場所へ自分を追いやったすべてが許せない。みんなが席替えの度にオエーってリアクションしていた時の怒りと悲しみは今もずっと忘れられない。そんな学校でも親は楽しかった以外の感想を許さなかった。私は席替えの時間に教室から逃げるようになった。爪で皮膚を傷つけるようになり、そのうち不登校にもなった。三者面談でみんなが気持ち悪がるからと席に座らなかった私を見ても、教師も母も私を助けることはなかった。

 

みんなは私が嫌いだし、私はみんなが大嫌いだ。今更人が大丈夫だと思うには、何もかもが遅すぎる。