学校に行かなくていい法律が生まれる前に不登校になり精神病になった失敗作の私の人生の意味はなんですか

外で小さな子供が防音イヤーマフをつけていたのを見て、私は自分との待遇を比較してかなり落ち込んでいる。私は生まれた時代を間違えたと思うことがある。

 

復学が目標の時代の不登校だった私

私は一挙一動を笑われたりいじめられたりする学校生活を過ごした。小学校低学年頃に高圧的な教師や同級生と一緒にいじめをする教師と過ごし、転校した後は5年に近くに渡る同一人物からの執拗ないじめとか、同級生に笑われたり怒鳴られたり影口を言われたりして、私は自尊心を大きく失うような生活を過ごした。進学後もいじめに合うようになり、学生の声を聴くのが今でも怖くて通学時間を避けて外出するような生活をしている。

 

私には誰も味方がいない

母は頭がおかしいから病院に連れて行くと脅すことで無理やり学校に行かせた。母は一時は貴方が発達障害なのを知らなかったとか言い訳をした後、最終的に精神病の貴方が私の言動を妄想で作ったんでしょうと言い出すようになった。

 

5年間執拗にいじめをしてきた生徒は先生がいない瞬間に隙あらばいじめを行うので、私は自然と担任を職員室前で待ったり保健室で極力過ごすようになった。いじめてきた同級生とは違う同級生からえこひいきだと責められ肩身が狭かった。生徒たちは別に私へのいじめを止めてくれるわけではないから、一緒にいる理由がわからなかった。

 

同級生と仲良くしてほしいという圧の強い担任になった時は執拗にいじめをする生徒と同じクラスにさせられて結局いじめっ子に毎日入念に机を拭かれてはお前の机はこんなに汚いとクラス中に晒しものにされるという仕打ちを受けて地獄だった。泣きながら拭きに来る前に自分のハンカチで必死に拭いてもどうにもならなかったことをよく覚えている。

 

そんな不信感を膨らませる日々の中で私が理科のグループのリーダーにさせられたときは本当に最悪だった。私は泣いていたし、みんなは呆れていた。

 

こんなことがあったので私は子供に子供らしさを望む大人に対して憎悪を抱いているし、プリキュアのような明るい子供を期待する作品を気持ち悪いと思っている。オタクに優しいギャルが幻想であるように、内気な子をクラスが受け入れて前向きになっていくドラマだって幻想なのだ。

 

中学に行っていじめに合い、ようやく不登校になった後もフリースクールに通わされ、学生が恐ろしいのに通わされる挙句、自分をいじめてきた人たちがいる場所に戻ることをニコニコと勧めてくる大人達に根本的には味方ではないのだろうなと悲しくなった。

 

発達障害の自分を誰も許してくれない

母は発達障害を知らなかったから行動したので私は何も間違っていないと言う。現実にはわかった後もイヤーマフをつけないと生きていけなくなるから付けてはいけないと責めて使わせなかったので、発達障害と知っていたところで根本的に味方にはならないのだ。母は発達障害である私を拒絶した。表では発達障害に理解があると言い、施設にも通って育児に積極的な親であるそぶりを見せたが、現実には普通の子供と同じ子供でない貴方は責められて同然だし幸せになることが許されないという態度で一貫していた。

 

私はそんな母をイヤーマフをつけた小さな子供を見て思い出した。私はイヤーマフを付けたことがないわけがない。家を出た後に夫が買ってくれたイヤーマフをつけて頭が痛くなることを知っているので、イヤーマフをつけてまで集団の賑わいに溶け込まなきゃいけない世界なんて糞くらえという気持ちではいる。

 

多様性の中におそらく私は入っていない

今も発達障害の医師は多様性の時代なんだよと呑気に語っていたが、私のように精神病になり自尊心が根こそぎ奪われた人間が多様性という言葉の許容範囲にならないのは理解している。最低限に出来ることをやった上での自由の話で、それが私と違って何でも出来る医師からはわからないことなのかもしれない。いつも世界はみんなが手を取り合って輪になることばかりを語り、一人でいることを許してくれない。誰かが誰かを受け止めてくれるっておとぎ話ばかりして、結局私は努力していないから嫌いだとつまはじきにされるだけだ。

 

私は国の失敗作だ

こんなすべての出来事は、無理やり学校に行かなければいいルールが出来れば済むことだった。国が税金を払って私に多くの精神疾患を煩わせたも同然だ。しかし国は治療費にはまともに金を払おうとしない。自助は自傷の衝動で失敗した。薬で防げる症状はあるが、根本的な人へのトラウマや自分が壊れてしまった部分を解決することにはならない。

 

私はいまだに自分がどうしたらいいかわからない。国が用意した発達障害の施設だとか支援だと語るような集団からモラハラをされたり、人から虐げられる頻度が高くて、何をしても失敗して、ただ敵意と無気力感と自己嫌悪しかない殺された後の心が、あらゆる行き詰まりを自分への攻撃性へ変換するので、最終的に好奇心が物事に湧かなくて追い詰められている。私って何で生きてるんだろう。

夫の理想になれなくて死にたくなってきた話

あらゆる物事への拒絶反応で身体が軋むように痛む。私は夫の理想の趣向を持つことが出来ない自分の存在が不安で不快でたまらない。

 

夫の新しい趣味が好きになれない

夫の語学趣味が好きになれない。頭の中が死にたいって声でいっぱいなのに語学のためにリスニングしようなんて言われてもそれどころじゃないってパニックになる。人の声がうるさくてうるさくて仕方ないから流暢のある声を聴いていられない。今も想像しただけで語学の発音のパとかバとか聞こえた瞬間の不快感が再生されて苦しんでいる。私は流暢のある人の声を聴くことがどうしても好きになれない。みんなゆっくりの声でしゃべって欲しい。Youtubeの動画もやはり楽しくない。雑貨より本人の顔が映される確率が海外の動画だと高い。シンプルに辛い。何語なら大丈夫とかやる気が出るとか以前に三次元への興味が出ない。聖地巡礼したくなる二次元に今はハマってないから難しい。もう少し昔だったらヘタリアにドハマりしていてワンチャンモチベが確保出来たのだ。

 

夫の理想の体型になれない

ピル太りとかコロナ太りとかいろんなことが重なった。今まで何度も自炊の生活を取り戻そうとしては情緒を荒らして夫がご飯を買い直すことになった。前に漢方外来に行ったところ私はどうやら満腹感でイライラしていないだけだったようだ。私は私の満腹にならなかった時のイライラしやすさが怖くて追い詰められている。

 

運動も嫌いで、頭の中の嫌とか無理とか、そういう声が常に鳴り響いているので頭が破裂しそうだ。私は私の機嫌をキープしてダイエットをする方法をひとつも持っていない。午後になると学生が増えて行って怖くて歩けないから、家事を片付けて近場を出るのが私の外に出掛ける限界だ。

 

リングフィットも駄目だったのでよほどの運動嫌いなのだろう。身体を動かして自分の熱とかを感じるだけで気持ち悪く感じる。

 

三次元を意識すると死にそうになる

夫は私の合わせてくれるところが好きだと言ってくれていた。思えば私は夫と生活していたようで、二次元が好きな私と夫が生活していたのであって、共に食事はすれども出掛けようとも私は常に二次元を漂う自分で夫と触れ合っていた。

 

今の三次元に生きている夫に触れようとすると、それはもう今までの私とは全く別の私が触れることになる。怒りと絶望と拒絶反応で構築された無気力な自分が、二次元の私のようにあらゆるものを楽しもうとすることは果てしなく困難だ。何をするにも出来ないとか無理とか駄目とか嫌いとかそういう言葉が頭に埋め尽くされる。言い訳だらけと言われても黙っていても身体による暴力的なほどの拒絶反応が止まらない。委縮する身体やストレスで異常なほど熱くなる自分の身体に追い詰められて自分の頭を殴ったり悲鳴を上げて喉を荒らしたりする。

 

自分を殺さないと夫と生きれない

頭の中が勉強することを想像するだけでその手をナイフで刺したくなるし、語学の音が聞こえるスマホを滅茶苦茶に破壊したくなる。頭の中の死にたいって声が邪魔をして外の音を聞いているのに頭が認識しきれない。運動することを想像するだけで階段から自分を突き落としたくなる。私はこの私の殺し方がわからない。でも殺さないと夫といられる私になれない気がして怖い。今も嫌いって悲鳴が身体の中から聞こえる。だれかが私の内臓部を全部抜き取って夫に愛されるように動く機械に作り替えてくれたらいいのに。二次元に生きる私が求められなくて、三次元の破綻した自分を動かすことを要求されることが恐ろしく怖い。

運動が嫌いすぎて泣き叫んでいる

夫に運動しろと言われてからフラッシュバックが止まらない。運動で失敗して怒られたり笑われた記憶から学校の記憶が出て来る。

 

肉体の記憶が怖い

運動のことは考えるだけでもパニックが酷くなる理由は肉体的な不快感まで同時に思い出すことだ。身体が汗をかくことの気持ち悪さや暑くなってイライラしている自分の姿を過去のフラッシュバックからの未来のやらなきゃいけないという想像からも浮かべてしまいそれを何度も反芻してパニックになる。

 

プレッシャーもとまらない

頭の中にやらなきゃいけないって言葉もループし続けるので嫌だとか楽しくないとか言い合いになる。運動がつまらなくてイライラしている自分まで浮かぶし、フラッシュバックが始まって失敗している自分も浮かぶ。

 

食事制限出来るようになりたい

運動どうしても無理だ。頭が滅茶苦茶で怖い。正気に戻るのにどのくらい時間が掛かるかわからない。もうフラッシュバックのトリガーを引かれないようにやせなきゃいけない。だけど痩せる方法が食事制限くらいしかない。だけど食べ物を減らすといつも怒りっぽくなって失敗するし、でも今みたいにパニックになるならもう毎日怒っててもあんまり変わらないような気がしてくる。

 

痩せてる自分に夢を持てたらな

何が問題かって痩せる自分のイメージとか痩せていい事があるイメージが全く浮かばないことだ。痩せてたことにいい事があったわけではなかったし、人から大切にされるとかそういう記憶だってひとつもない。ただ攻撃されないようにするだけで、まったく楽しくなくて苦しい。

長文で嘆くような状態で医師に伝えきる難しさ

感情は滅茶苦茶で、部屋も滅茶苦茶、そしてブログも文字を書き散らし画面内も滅茶苦茶、そんな状態で病院に行くにあたって伝えても伝えきれない心地になる。

 

医師との時間10分ほど

うっかりイヤホンで聞いてた音楽を止めないまま院内に入ったことで私は医師と10分話したかどうかであることが明らかになった。病院で医師と話すにあたって私は書いたものを持って行った。しかし医師は読む時間がないのである。その時の反省を踏まえて今回は口頭で話したが個人的には釈然としない心地だった。神田橋処方が効いている時点で医師の中ではわりと朗報な方なのかもしれない。医師の反応を見るに神田橋処方は万人に効くわけではないようなのだ。

 

医師はお薬くれる人だということ

暑いし怒りが止まらないということで貰った加味逍遥散は合わず、とりあえずフラッシュバックを抑えるために神田橋処方を貰って過ごしているものの自己否定感というか自分への攻撃性や無性にイライラする感じが止まらないことと、爆弾のような自分から逃げ出したいを往復し、たまに二次元に逃避することでやり過ごすという生活をしている。

 

医師に怒りっぽくて死にたいと感じるし音はしんどいよと伝えるものの薬が増えるわけではない。なぜなら漢方を複数飲んでいると甘草の摂取が多くなって危険だからだ。その上で夫に西洋薬を飲まないように頼まれていて増やしようがないのである。

 

カウンセリングのトラウマと経済の壁

私がスクールカウンセラーや市のカウンセラーを利用してトラウマになったことや、金銭的な敷居の高さも相まって利用できないでいる。医師から利用してみないか言われたらどうしようかなと思う。もしそのカウンセラーがトラウマになると医師にまで話せなくなるからだ。そういうことで医師以外に話しようがないのである。

 

そうしてぱっとしないままの帰宅とその後

そうして私は医師から処方箋を貰い、その処方箋を薬局で漢方に変えて帰った。RPGのおつかいみたいだとよく思う。処方箋を貰う時は大体フルネームで呼ばれるので落ち込む。私は私の名前をこの瞬間以外意識しないように生きているが、結婚しても名前は変わらないので名前を呼ばれるのは辛い。

 

本当はたまには外を歩いた方がいいとか普段と違うことをした方がいいだとか考えはするのだが、薬局に行き終わる頃には体力より先に頭がヘロヘロな上に、やるべき家事が残っているので帰る。後日外出するのかと言うとしないのだ。

 

夫とはその日に病院で話したことを話すのだが。大体医師に話した私の情報の夫から見た私が食い違っていることが明らかになる。夫は病院に同伴する気がないのだが、やはり来てもらわないとまずいのだろうかと悩ましくなる。

勉強が怖いし楽しいを詰め込んで寝たい話

夫が寝る前に語学学習をしようと提案してきた。それを聞いて数十分後、そこにはパニックになって文字をひたすら入力している自分がいるのだ。最初はいいかもと思ったがもう無理だ。

 

出来ないとわからないが怖い

私は勉強が苦手だ。パニックになって息苦しくなって手足が痺れだすとか自分は駄目なんだって泣いたり叫んだりとか自分への攻撃性で自分を叩き出したりして、落ち着いて勉強が出来るわけではないからだ。英語は単語を覚えるだけならそう頭を抱える気難しさはないだろうが、文法やリスニングなどになった途端に癇癪を起こす可能性がある。だから日中に単語の暗記をする上では問題ないが、夜中になると問題が起きる。

 

夜中の心の栄養不足が怖い

夜に自分を責めだしてパニックになり出すと夫婦の睡眠時間に思いっきり支障が出て来る。夫からは怒られるので絶対に寝る前に不快感を増やすことはあってはならない。つまらないとか寂しいみたいな感覚が浮かばないように心地よさを詰め込まなくてはいけない。夜寝る間に今日の自分も駄目だったとか自分は明日も何も出来ないんだとか、逆にやることの不安、過去の記憶などが浮かばないようにする必要がある。冬眠の準備が私の夜なのだ。

 

楽しいをひたすら頭に溜め込んで眠る

夜に眠るという情報を流し込めない時間の前には必ずネットサーフィンをしたりゲームをしたりして遊ぶ。○○が今日も可愛かったとか○○の描いた○○は世界一可愛いとかこの台詞はこういう意味なのかなとかアニメ化したらcv○○がいいなとか。そういうことを頭に巡らせながら眠る。とにかく夫を起こさないようにパニックにならないことに私の日常は必死だ。傍からみると遊んでいるだけなのだが常に綱渡りをしている。

 

夜に英語学習する自分を想像して絶望した

そんな私が英語学習を夜にする姿を想像すると、出来ないかわからないかつまらないか寂しいかのどれかに引っ掛かって不快感が離れずどんどん落ち込んでいき、過去の記憶を掘り出しながら自分はもう駄目だと夜に騒ぎ出して夫に時間を無駄にするなと怒られる自分が浮かぶ。一回どころではなく何回も失敗する自分のイメージ像が浮かんでパニックになっていく。そうして何もしてないのに自分は死ぬしかないと夜に語学学習をすると聞いただけでパニックになる自分が出来上がったのであった。

 

今日も失敗してしまった

自分に波風起こらないようにしなきゃいけないのにどうしも失敗する。私はせめて土日の間だけでも心はどこかに預けて夫の理想通りに動けるロボットにでもなれたらいいのにって思う。そのくらい精神的に肩身が狭くて終始イライラしていて追い詰められている。

土日の過ごし方がよくわからない

夫が堕落した生活を過ごす私を見て何かしたいこととか夢とかないのかって聞いてくる。

 

有益な夫と無益な私

今回聞かれた理由は最近私はPrime Videoでワンピースを見ていたら夫が一緒に見て長すぎだとか時間が勿体ないと夫が言ったからだ。

 

夫は語学で暇を潰せるが、私は語学に何も楽しみや喜びを感じられずその日の退屈にイライラしだすことを恐れて一人アニメを見ているわけだが、結局何かまちがった行動を取ってしまった気がして落ち込みながらその日は音楽を聞いて眠った。

 

頂上戦争編はエースが死ぬのは意味がわからないけど盛り上がっていったのは間違いない。夫は創作物に時間を使うのが勿体無く感じるそうだ。夫は私がスマホゲームをするたびにシナリオが好きでもないのによくするねと言ってくる。スマホゲームは無料ガチャとイラストとゲームシステムを楽しむものなのでさほどシナリオの問題はない。キャラの良さを語ったら浮気だと怒られて追い出されそうになるので、キャラを語るときは夫が納得する設定重視である必要がある。

 

労働者の夫と専業主婦の私

夫は仕事で普段仕事があるから土日を無駄に過ごしたときの後悔が激しいようだ。私に忙しさを知らないという。これを聞いて私はどうしたらいいのかわからない。働けるならとっくに働けるだろうし、家事はやっていたし、一人で暇を潰せるようにアニメ見て怒られたし、反省して外で働こうとしたら私はまた世界のサンドバッグにされてしまう……夫は私の無能さを知っているようで知らないのだ。夫は有能だからなんでも自分で出来るしあまり人にやらせることに心地よさを覚えないようだが、大概の人は人にやらせることを選ぶしそんなことも出来ないのかと私を激しく嫌悪する。

 

土日の過ごし方がわからない

平日であればチラシを見て食材を探すとか掃除機をかけるなどをするが、せっかく夫がいるのに部屋を離れるのは惜しい。そうは言えども部屋で暇を潰せる時間は限られているという悩ましさがある。それでアニメを見たら私は時間の感覚が子供なのだと責められるのである。おそらく私の土日の優先順位は夫と共にいることではある。ただ一緒にいる間に何をするかがあまりにわからない。夫はそのわからない部分の答えを求めている。

 

やっぱり過ごし方がわからない

私はあまりに現実にしたいことがない。現実をずっと放棄して二次元を巡っていた私に今更三次元の過ごし方を聞かれるのが困る。自然と人工物と自分を嫌う人間と動物がいるだけじゃないかという退屈さがある。もちろん教養があればあれもこれもあって楽しめるから教養がない私が悪いというのは簡単だが、興味や好奇心が湧かないという壁はあまりに凄まじい。私の無気力さや不快感の激しさは異常なのだろうか。みんなこれを我慢しているのか、その時の感情の波が人より異常なのだろうか。これが性格なのか薬を飲んでどうにかするべき病的なものかのかよくわからない。

逃げたり避けるべき相手が親だった場合どうしたらいいのって話

自分を傷つける人からは逃げた方がいいとか、自分の直感を信じて駄目だと思った相手は避けていいとか、親がそういう相手だった私にはすべての警告がただただ後の祭りで途方に暮れる。

 

悪い例や危険な発言は、いつだって親と同じ言葉

声かけ本の悪い例とか、心理学のダブルバインドとか、こういう人からは逃げた方がいいよというものの特徴とか、子供がいじめにあったり不登校になった時にやってはならないこととか、毒親モラハラ加害者の特徴とか、そういうものに母は当てはまる。父はいたずらに横になっているだけでトドだと言って笑ったり(私は常に健康体重より下なのでただの幼児体系)、私が笑っている時にニヤニヤしていると指摘をしたりする。あの家に暮らすことは刑罰や拷問に使われてもいいのではないかと思うほどに恐ろしいことだ。自分の行いや思考も否定され、他人の一挙一動も自分への批判の材料に使われる。日常生活でさえ漠然と針の筵が敷かれた座敷牢のような場所だった。

 

加えて父も母もあまりに差別的だった。母はいじめの加害者の乱暴を許し、父は母による虐待を許し私に我慢するように言う。母と電車に乗っている時に母が体調不良の人に声を掛けに行った姿を見た時は吐き気さえ覚えるほどのものだ。私が同じ状態になったらきっと、人に迷惑をかけちゃいけないとかどうして出来ないのとか貴方のせいで予定が崩れるって責められるだけだったからだ。

 

生存バイアスは持てなかった冷たい人生

そうした親の言動に左右されず親ガチャは甘えと言ってのけるには、私はあまりにも能力に恵まれなかった。一挙一動を笑われたり比較されたり審査されるような日々で、人に過敏に反応しない方が難しいことなのかもしれないが、私はどうしても発達障害と診断が下る程度には冴えない人間であった。毒親育ちと呼ばれる人たちの中には学校や仕事場では生きていける人たちがいるが、私は障碍者用の施設を利用しても叶わないことだった。転入した初日から自己紹介で名前くらいしか知らない相手からいじめにあったり引っ越してはいじめに合う人生なので、発達障害という言葉だけではないほど嫌われ者の私にはどこにも平穏は得られない。教室にいる間も怒られたり笑われる恐怖が常にあった。

 

大人になる前に壊れてしまった

あらゆる迷惑な言動が親からであるとわかったところで、人は大体一人で暮らせるまで我慢してそれまで頑張って勉強すればいい。くらいのことを言うだけだろう。しかしその前に壊れてしまったらどうしたらいいというのだろうか。子供の頃から漠然と自分は嫌われる存在だと思いながら生きてきて、頭に自分は死ぬしかないって思考しか浮かばないほどどこに行っても人から嫌われた私に、自分の身の周りすべてが批判に利用される家にいた私に、外や希望をどうやって持ったらよかったというのだろう。不登校になってから元々わからなかった英語以外の勉強もわからなくなり、自尊心を失い自傷の衝動を抑えたりそれにも失敗して自殺未遂をした人生で、逃げたり言い訳をしたのが悪いなんて言われてもどうしたらよかったのだろう。逃げなくていいような場所で育った人たちが私は羨ましい。

 

人で癒される世界から遠い場所にいる

母の家系には統合失調症、父の家系にはうつ病がある家庭に生まれた私は、親の異常性がなくても発達障害精神疾患になることは変わらなかったのだろうか。つい最近になって統合失調症発達障害になるゲノムが重複しているという話を聞いた。

 

その時点で解決方法がないのに私には人間関係のあらゆるトラウマがあり、今さら人の選び方を知ったところで人と同じ穏やかさは得られないことが苦しい。人に選ばれるには私はあまりにも無能である。世話をしてくる人間の見返りを求められることにも疲れた。明るい人間には逆に私が疲れてしまう。

 

なぜなら本当に明るい人間は私と接することで役に立っているという承認を得ながら生きる必要性を持たないので私と接するようなことをしないのだ。そういう偽りの明るさや優しさを持った人間のふとした爆発を食らってきて私はもう疲れ切ってしまった。私よりも器用に色々なことが出来るし私より普段落ち着いた私よりも多くを持った人間からずるいと言われるといつだって困惑する。私は相手の善意に一方的に助けられ一方的に悪とされる。一人で出来るならとっくにやっている。私だってそうなりたかったのに、それが出来る人たちが私にずるいって言ってくる。

 

私はもう医師が期待するほどまともな人間の側ではないし、医師が知るようなまともな人間ばかりの世界に辿り着くことはないのだろう。助けが必要な人間は助けたくないような人というのは本当なのかもしれない。

 

私が統合失調症だから相手が悪く見えるだけだと思うだろうが、そばにいる夫が違う世界に来たようだというほど人の悪意という被害に一緒に巻き込まれているので事実である。私自身不安になって夫に私が怒るのは間違いではないんだよねと聞いているので間違いではないようだ。

 

ちなみにこの前も排水が詰まったので大家が業者を呼んだらシルバー人材のような人が現れて水を床ぶちまけられたり汚れたホースを床に置かれたりした。前回個人で呼んだ業者ではそんなことがなかったので唖然としていた。おまけにぞうきんがないか聞かれたりした(業者ってなんだ)。おそうじ本舗では新聞を敷いたりビニールを貼ったりしているし、勿論ぞうきんを頼まれたりしないので私はそのまま汚れたものを置かないでほしいと言ったら、こんな狭い家なんだからしょうがないじゃんと逆ギレされた。突然破壊しに来たり家の大きさを馬鹿にするような業者を前にパニックになった。後から話を聞いた夫からしたら業者がため口の時点でおかしいだろと言われるが、私は家にいても人から辛く当たられる事実があまりに恐ろしかった。その後に業者は別の業者に変わったらしいがとにかく私は人から粗雑な対応をされる頻度がとてつもなく高いのだ。家でくらい平和で過ごさせてほしい。その後に夫が対応した業者はあっさりと解決させて帰ったという。

 

夫以外に人間関係の作りようがない

相変わらず夫と通院先の医師以外からは人間扱いされない人生を過ごしている。つい最近は趣味の共通から結婚に至った夫が語学という全く方向性の違う趣味(夫からしたら変わらないらしい)を持った挙句、従来の趣味の時間がなくなってしまった。とりあえず私も教材が豊富そうな英語に手を出しているが、どうしても出来ないやわからないというパニックから抜け出せなくなって終わる。何が○○詞なのかわからないという日本語の理解の問題なのではという場所で引っ掛かっている。英文を日本語に直すのも上手く日本語が組み立てられない。ひたすら英単語の意味を答えているが、覚えているのかはよくわからないし文法が壊滅的なので使えないだろう。正直世界史で物語のような文章を見るのは楽しいけれど単なる文字の羅列をひたすら見るだけの語学はあまり楽しくない。文字の歴史を見るのは楽しいだろうけど何百何千と意味を覚えるのは退屈だ。

 

ただ夫が夫の趣味をしている間私はどうしようもなく寂しくなる。一人で過ごしている時は寂しくないし他の趣味をして時間を潰したり過去の記憶や自己嫌悪で勝手に時間は過ぎていくがそばにいるのに接していないのは寂しくなるし時間があまりに重く感じる。こういう時に本当は依存先が多い方がいいという医師の話を思い出す。ただ人から愛されず求められず虐げられやすい人間というものがその解決方法を使うのはあまりにも難しい。自分に対する目を投影して相手も自分を嫌っていると思うにはあまりにも理不尽が多すぎた。