無理やり学校に行かせた子殺しの親

今日は頭痛がするので昼寝したら寝起きも頭痛が耐えず、その間にフラッシュバッグが酷くなりパニックになっていた。絶対に許さないと私が殺意を抱く相手は母である。私が散々学校に行きたくないって言ったのに母が無理やり学校に行かせたせいで15年は過ぎた今も多大な被害が出来ているのだ。殺すことすら生ぬるい。拘束して無限にいじめによる自殺のニュースや親殺しのニュース、ありとあらゆる地域の紛争やら何やら、ありとあらゆる人の悪口や陰口を延々とモニターとスピーカーで垂れ流してやりたい。たまに静かになったかと思えば静かな所に下品な女の馬鹿笑いを流して睡眠すら妨害して脳と心を存分に破壊されて欲しい。まぁこれは私の苦痛な学校の環境を再現しようという試みでしかないのだが。

 

助けてもらえなかったというトラウマが及ぼすトラウマは本当にどうにもならない。私は母が憎い。母は今更人生の責任が私自身にあると言い出すが、それなら学校に行かない選択肢を奪うべきでなかったのだ。母が私を殺したのだ。お前は私を殺したのだ。お前は子殺しなのだ。保護者会だか子ども会に参加しようとお前は子供を殺したも同然なのだ。無理やり学校に行かせた親はみんな子殺しだ。

子供の頃からのトラウマが辛い

誰も味方がいなかったという感覚が強烈すぎて辛い。もう私は身体がめちゃくちゃなのだ。寝れないし、寝てもすぐ起きるし、生理は明らかに期間が開きすぎているのにPMSかの如き苛立ちは常に自分に存在し続けるのだ。自分が嫌いだという攻撃性もおさまらないし、人に対する衝動もある。もう人が怖くて憎くて耐えられない。どうせみんな私を嫌うんだってパニックが子供の頃からずっと続いている。

 

もう自分も人も嫌いすぎてこの世界にいたくない、ただただ嫌悪感に苦しむ。学校と言う場所でスケープゴートにされて誰も助けてくれなかったこと、それ以前から世間体を気にして虐待をする母によって、私はもう何もかも最初からおかしかったのだ。

自分より人を優先するように言いつけられること、人の存在を何より気にするように言われること、友達の人数が自分の価値だと言わんばかりに私という存在を否定され続けたこと。私は人が持つ人への壁を持ってない。扉とか窓とか心にそういう話があるが、それ以前に私はずっと野ざらしだ。

 

人が持つような主体とか主観のようなものがないらしい。あっても薄いのか知らないけど何かがおかしいらしいのだ。そんなことを言われてももう人の存在の圧がしんどすぎてもうどうにもならない。人が襲ってくる。人が迫害してくる。人が消費してくる。父親が私を馬鹿にしてきたように、他の子と仲良くしたくて私の悪口を言う同級生のように、全人類が私以外のために私を苦しめる。私の消えない脳みそに無責任にずけずけと入り込んでくる。

 

そんな誰にとっても価値のない自分といることが凄くきつい。自分のいない場所に行きたい。攻撃の的ではない存在としてあり続けられた人間の記憶や感覚が欲しい。私は私の感覚に耐えられない。私はもう私であることに強烈に疲れた。すべてが嫌いだ。本当にすべてが。

公的機関は信用できない

困ったときは助けを求めようという話があるが、私は公的機関に相談してよかったことなんてろくにない。紹介された医者が運よく数少ない会話の通じる相手だったが、それ以外は大体攻撃的で逆にトラウマが増えた。スクールカウンセラーや青少年相談センターで私は信用しようと努力しているのを酷く踏みにじられた。

 

就労移行支援では相手を人間だと思っていないような酷いモラハラを受けた。肉体的な暴力を受けた人のことを相談しようと電話や警察への電話したり、国の用意してるウェブ相談に掛けた時は、警察からは名前を言わないから話は聞かないと凄く迷惑そうに対応された。私は相談しようとした子を結局助けられなかった。国の用意してるホットラインからは虐待だと押し付ける貴方の方が虐待だという酷い言葉を受けた。私は助けを求めれば助けを求めるほど、人がどんどん信用できなくなっていく。国から金を貰って崖に登った人間を突き落とすような外道たちが救いであると語るこの世界のことを信用できない。私も、私以外の人も誰も助けてくれない。この国は人殺し達ばかりが善性を語る。すぐそばにいる大人が駄目だったら、本当に人生が終わりなのだ。親ガチャが外れるというのはそういうことなのだ。

いつも自分を好きになれない

自分に暴力を振るいたくなる苛立ちがある。私は何も出来ない。お金も稼げない。もうすぐ生理で身体が凄くフラフラする。生理前から体調が悪い。生理中も休み休みキッチンに立つので限界。生理の後もホルモンバランスの問題かイライラしやすい。一週間あるかどうか、ようやく不調が精神疾患だけになるのだ。私は治ることもないだろう精神疾患発達障害を抜いても、ホルモンバランスだけで人間として終わっている。

 

ピルを飲めればこの精神的な苛立ちは軽くなるのかもしれない。しかしフラッシュバッグが怖くて通院もままならない。私は自分の名前がトラウマだからだ。怒りっぽさに拍車が掛かるし、医者か受付どちらかが嫌になるともう通えなくなる。強烈な敵という感覚。この感覚を一人に持つと、周りが全員助けてくれない人に早変わりする。過去の記憶との違いがわからなくなる。大丈夫であったことなんて一度もない。横暴な誰かとそれを許して私に我慢を強いる周囲のみで世界ができている。

 

夫も私が病院に行く都度悪化するので、病院に通わせることを渋るようになった。私はこんな破綻した自分を持続させること、自我が存在することがひたすらに苦痛だ。この苦痛から解放されたい。

 

夫は自分に優しくしろという。私は物も買えずにどうやってというと、言葉を掛けろという。好きでもない人間からの言葉なんてなんの慰めにもならないのだと私は夫に返す。私は私という存在に常に苦しめられているのに、どうしたら優しくなれるというのだろう。自分という欠陥品を好きになる理由が作れない。

 

私は私が嫌いだ。過去に外にいた自分も、人と関わろうとした自分も、助けを求めた自分も、結局助けて貰えなかった自分も。人は最後に頼れるのは自分だけとか、自分だけは自分の味方でいろというが、集団による敵意や悪意を前に個人というのはあまりに無力だ。自分を粗末に扱う人間がいて、それを身近な誰もが黙認している時、私は私という存在に価値があると思える理由を一切失くしてしまったのだ。

自分の人生が大嫌い

私の家は汚い。自分のオタクグッズ以外の物でなんでこんなに物が溢れているのかもうよくわからない。布団は煎餅布団をゴリ押しして重ねたものなので、もう相手する気にもならず万年床である。押し入れもパンパン。グッズの置き場所がろくに確保できないから服を収納する枠を犠牲にグッズを詰めている。計画してたフィッツよりも安くて底の深いものになってしまったし、そんな暮らしをしているのは寝室を単体で用意出来ない貧しさのせいなので、私は部屋の数がろくに足りない自分の暮らしが凄く大嫌いなのである。

 

私はこの生涯において働けそうにない。就労移行支援では酷いモラハラに合うし、それからも通院先で酷い目にあって、学生時代に悪化した人への恐怖心は環境を選ぼうとしたところで悪化するばかりだった。結局綺麗事ばかり言っても障害者の居場所なんて実際はどこにも存在しなかったことがよくわかる。働くことを想像しても、そこには叱責を受ける私、ひそひそ陰口を言われる私、こんなことも出来ないのかと笑われる私、過呼吸になってパニックになっている私、それを見てさらに怒鳴りつけられる私、さらに嫌われる私、いなければよかったのにと言われる私、そういうものしか浮かばないのだ。

 

私はこんな人生を続けることがとても苦痛だ。私は私のどうしようも出来ないこの人生のことが本当に大嫌いだ。やってみても最悪な目に合い続けたこの人生で、もうこれ以上傷つきたくない。これ以上私はこの世界に苦しめられたくない。どうして私は生まれてきてしまったんだろう。こんなに誰からも嫌われて誰からも望まれないのに。もう憎しみが常に爆発しそうで、これ以上誰かに小突かれたくない。これ以上なにも突き付けられたくない。本当に苦しい。どうしてこんなに私ばかり普通から遠いんだろう。嫌だ。普通を突き付けられることが本当に怖い。普通が憎い。普通のフリが出来ない私には生きていける場所はどこにもない。

学校に殺される前に逃げろ!

今日はインターネットを見てたらいじめで自殺があったニュースを見た。私は何度も言うが、いじめにあったら絶対に逃げろ。

 

その瞬間我慢したら解決するかもしれないとか、逃げたら自分がみじめになるかもしれないとか、そういう懸念を持つ人間はいるだろう。しかしその瞬間どうこう紛らわそうといじめられた瞬間の自分は尊厳を貶められたという事実や、我慢している間の誰も助けてくれなかったという記憶は強烈に焼き付く。もう15年以上苦しんでいる私が言うのだから間違いない。危機を感じる記憶というのは想像以上に起こる。少しでも罵声や暴力があったら真っ先に教室を飛び出し家に引きこもるくらいで丁度いいのだ。記憶のフラッシュバックというのは勉強する頭の余裕というのをごっそりと奪う。外は危険だと思っていたら当然進路なんて組めなくもなる。通信教育、放送大学などでも資格は取れるので、学業を心配するなら度重なるトラウマで廃人になるよりは籠ることに徹する方が確実だ。いかに記憶を増やさないかが勝負なのだ。

 

私は助けを求めたのに教員からは何言ってるんだお前と返される始末で、いじめられてる瞬間を目撃した学年教員は無視して通り過ぎて行った。母にかけてはいじめの加害者にも長所があるとか言い出す。正直コミュニティ内の憂さ晴らしやコミュニケーションの一環として同じ敵を作るという目先の利益はまだ見えるいじめの加害者よりも、身内の心が壊されたのに何の利益もなしに壊した人間を褒める母の方が数千倍頭おかしい。しかしいじめをやった生徒本人も周りの教員もクソなのは変わらない。

 

私はあれから強烈な人間嫌い、とりわけいじめの加害者が女集団とそれに頭の上がらない男集団であるものだから、メインであった女性が大嫌いになり、女性なのにミソジニー圏女性恐怖症である。加害者の一部であった男子生徒は偶然出会ったら学校に来ないことを心配したり、無言で会釈をしてきた者もいる。女のコミュニティを前に男は無力だ。女の群れって本当に怖い。これは県外のいじめが発生する前の小学生のコミュニティ時代から同じだった。なんなら不登校になった先でも同じだった。異性を取り合うから違う派閥の女を消そうとするのだとフェミニズムの知識人は語っていたが、ここまで加害することが生きがいな女がいいのだとしたら、あまりに男の趣味が理解出来ない。私は男とは気が合わないのだろうという気持ちになる。女も男も気を付けた方がいい。集団で群れたがる女はとにかくヤバい。奴らはリア充とか陽キャとかパリピとかギャルとか、あらゆるあだ名はつけられるが、実際には人の生き血を食って生きてるような存在なのだ。そんな殺人鬼のような奴らを放置してる日本の学校はみんな名前を屠殺場に変えるべきではないだろうか。

 

学生出入り禁止にしたマックと同じ市内で起きたことである。あの学生のたまり場マクドナルドが学生を出勤するという治安の悪さが伝わるだろう。あそこは本当にヤバいのだ。なんか上級生の廊下歩いたら半裸で歩いてたし、泣きながら教員は教室から飛び出す。担任の教員は容姿で相手への対応を決めていた。

何にも興味が湧かなくて深刻

先々にはあるけど今期は見たいアニメもとくにない。あらゆる趣味一覧を見てもやりたいことが一つも見つからない。集中しなきゃいけないことはあるのに、だんだんイライラして自分を傷つけたくなってくる。どうしたらいいんだろうと悩むと過去の引き出しが一気に開いてますます何も手につかなくなる。

 

英語の本を見ても頭に入らない。昔よりは翻訳には慣れてきたけど、自分で使いやすいように分解したり、それを覚えたり、実用出来る感覚は全くない。空虚な日常にはお腹すいたと、暇と、頭が痛いと、スマホはどこくらいしか定番のフレーズが見つからなかったのだ。この鬱屈としたブログを翻訳する気にはとてもなれない。本当はもっと試行錯誤しなきゃいけないのに、自分はなんて駄目なんだろうという感覚で痛みさえ感じてきて、何も手につかない。

 

どうしようと悩んでは何かお金を掛けてでも真新しいものを買うべきなのだろうかと思いつつ、フェリシモを開いても自分の親もフェリシモを買っていたと思い出してげんなりとしてしまう。結局私も母のように好きな物もない薄っぺらい人間になってしまったのだ。私は母に私という存在をないがしろにされたり、見殺しにされてきたから何も立つ要素がなくなってしまった。これは厳格なプロテスタントに生まれた呪いか何かなんだろうか。