学校に殺される前に逃げろ!

今日はインターネットを見てたらいじめで自殺があったニュースを見た。私は何度も言うが、いじめにあったら絶対に逃げろ。

 

その瞬間我慢したら解決するかもしれないとか、逃げたら自分がみじめになるかもしれないとか、そういう懸念を持つ人間はいるだろう。しかしその瞬間どうこう紛らわそうといじめられた瞬間の自分は尊厳を貶められたという事実や、我慢している間の誰も助けてくれなかったという記憶は強烈に焼き付く。もう15年以上苦しんでいる私が言うのだから間違いない。危機を感じる記憶というのは想像以上に起こる。少しでも罵声や暴力があったら真っ先に教室を飛び出し家に引きこもるくらいで丁度いいのだ。記憶のフラッシュバックというのは勉強する頭の余裕というのをごっそりと奪う。外は危険だと思っていたら当然進路なんて組めなくもなる。通信教育、放送大学などでも資格は取れるので、学業を心配するなら度重なるトラウマで廃人になるよりは籠ることに徹する方が確実だ。いかに記憶を増やさないかが勝負なのだ。

 

私は助けを求めたのに教員からは何言ってるんだお前と返される始末で、いじめられてる瞬間を目撃した学年教員は無視して通り過ぎて行った。母にかけてはいじめの加害者にも長所があるとか言い出す。正直コミュニティ内の憂さ晴らしやコミュニケーションの一環として同じ敵を作るという目先の利益はまだ見えるいじめの加害者よりも、身内の心が壊されたのに何の利益もなしに壊した人間を褒める母の方が数千倍頭おかしい。しかしいじめをやった生徒本人も周りの教員もクソなのは変わらない。

 

私はあれから強烈な人間嫌い、とりわけいじめの加害者が女集団とそれに頭の上がらない男集団であるものだから、メインであった女性が大嫌いになり、女性なのにミソジニー圏女性恐怖症である。加害者の一部であった男子生徒は偶然出会ったら学校に来ないことを心配したり、無言で会釈をしてきた者もいる。女のコミュニティを前に男は無力だ。女の群れって本当に怖い。これは県外のいじめが発生する前の小学生のコミュニティ時代から同じだった。なんなら不登校になった先でも同じだった。異性を取り合うから違う派閥の女を消そうとするのだとフェミニズムの知識人は語っていたが、ここまで加害することが生きがいな女がいいのだとしたら、あまりに男の趣味が理解出来ない。私は男とは気が合わないのだろうという気持ちになる。女も男も気を付けた方がいい。集団で群れたがる女はとにかくヤバい。奴らはリア充とか陽キャとかパリピとかギャルとか、あらゆるあだ名はつけられるが、実際には人の生き血を食って生きてるような存在なのだ。そんな殺人鬼のような奴らを放置してる日本の学校はみんな名前を屠殺場に変えるべきではないだろうか。

 

学生出入り禁止にしたマックと同じ市内で起きたことである。あの学生のたまり場マクドナルドが学生を出勤するという治安の悪さが伝わるだろう。あそこは本当にヤバいのだ。なんか上級生の廊下歩いたら半裸で歩いてたし、泣きながら教員は教室から飛び出す。担任の教員は容姿で相手への対応を決めていた。