聞いて欲しいけど返事はいらない

特別お題「わたしがブログを書く理由

私は文字を書くことをなんだかんだ10年と少しは続けている。中学生頃から通院しながらも行き場のない気持ちを吐き出して、吐き出しては黒歴史としてなかったことにしている。当時の私は周りが私を見下すのに利用するだけだということをよく理解していて、見下す人間が必要であるつまらない人間が自分が誇らしい人間だと思いたいと願うその弱さを利用している気分になっていた。

 

今となっては私の周りにはただ本当にそういう人間しかいなくて、そういう交流の方法以外を知る余地がなかったのだと思う。自分の正当化のために子供を利用している親から産まれてしまっただけだった。浅ましい人間の付き合い方しか私は知ることが出来なかった。助け合いや協調という言葉の裏にある一定の能力値のノルマが不足していた人間には、歪な関係性しか作ることが出来ないのだ。いかに自分が優位で正しく、相手は劣っているのか知らしめることがあの家での交流の形である。つまらない罵声を避け、いかに的確に相手を砕くかというのがあの母から学んだ会話の在り方で、ただ逃げるか我慢すればいいというのが父の在り方だった。

 

そんな殺伐としたやり取りの中で私は致命傷を負いすぎた。今では空気に触れることすら痛々しいと思うほどに他人の言葉を避けるようになった。日々の大半は二次元に想いを馳せるという不完全で擬似的な幽体離脱をしつつ身体を機械的に過ごしている。擬似的なのでストレスにぶつかるとすぐ状態が悪くなるので篭って家事の生活だ。必死に二次元に心を寄せてないと私の内部は自他に対する怒りと失望を思い出してしまう。人々はどうせこれからやり直せばいいと思うだけだろうが、臨戦態勢を取らなくていいということをおそらく今更私の頭も身体も理解はしないだろう。他者を折るか、私が折れるか、常に戦いだ。かすり傷を越えて骨折、戦いすぎて粉々だ。

 

話を聞いて欲しいだけなら病院もあるし、カウンセラーがいる。しかしそういう人間に話してもさらに傷つき疲れるだけだった。解決や前進をただ勧められ、それが上手く行かないと怒り狂われるだけだからだ。私にとっては何を言われてもお前が我慢すれば済む話だろうと言われているのとすべて同じだった。そう思わなくていいような環境に偶然私がいなかっただけで、私は犯罪者のような扱いを受けるのだ。認知の歪みという烙印を押されて正しさを突きつけられるだけだった。その正しさがいかに幸運によるものか無知な人間から努力を急かされることにも心底疲れてしまった。心の在り方が自らの努力だと思っている人間が自分が他に優位に立つ方法がないからと他者を見下す姿にも反吐が出る。

 

おそらく私のように監視されながらも精神的な不衛生と栄養失調の環境で育った者には、他者が要求するような状態になることは困難だ。他者が他の人間と繋がりがある時に、自分の存在が尊重されるという信頼は欠片ほども持てない。違えば戦いの世界で三人以上の関係性が私は理解できないのだ。一人に合わせられてもさらにもう一人にも同時に合わせるのは困難だ。だから常に奪い合いの戦乱だ。

 

不安と恐怖と猜疑心が日に日に私を蝕み、そのうち人前では食べ物が喉を通らなくなる。まるで深刻な恋煩いのように相手が自分をどう思っているのか、誰の手を取るかに悩み、自分という存在が他者によって踏みにじられる恐怖によって崩壊していく。私の人生すべてがそうだった。

 

形だけ品のいい交流方法だけ学んでも、私はこの混乱を止めることが出来ない。アレルギー反応のように、一度そうなってしまったらもう終わりはないのだ。父が母を選び、母は世間体を選び、私に流れてこなかった愛情の飢えを、他者に埋めて貰おうとすることが間違いだといくら説明されても、その飢えによる後遺症や反射的な反応が止まるわけではない。アレルギーの仕組みを理解しても反応が止まらないようにだ。極端だといわれても人を避ける他はない。この取り返しのつかないような感覚は、おそらく他者が持っていることがあってもわかり合うことは困難だろう。なぜなら人と触れる時にそれぞれの過去の痛みも思い出すからだ。寂しくても声を掛けたらまたさらに苦しみが積み重なってしまう。

 

今となっては深呼吸が出来ないほど常に緊迫した身体の状態にあり、こうして文字を打ち込むことしか出来ない。ただ書くことによって八方塞がりで堕落的に生きるしかない人間がいることも少しは知られて欲しいと思っている。みんな友情努力勝利のハッピーエンドや極上の悲劇、誰かの逆転するような成長物語壮絶な転落人生やは大好きでも、最初から歪で低空飛行な人間は好まない。ただきっと何処かに私のように情熱的でも精力的でもなく、亡霊のように生きる人間がいて、人と交流することが喜びや癒しであるという前提をそもそも理解できない人間がいることを書き残したいのだ。

 

母は世間体を気にし人と関わるがその度に愚痴や自虐をいうほど人といるのが向いてないのに友達がいないことが異常なほどコンプレックスだった。母は自分の暗さや卑屈さを考慮せずに不向きな生き方を望んでは常につまらなさそうな顔をしていたし、そのつまらなさを子供を利用して満たさせようとしていた。

 

悲しいことに私も母もある種の同族だが、母のように自分の感覚に気づいたり言語化することが出来ない人も少なくはない。偶然にも私は言い訳の天才といわれるような人間だったので、曖昧な存在でも誰かが私のように八方塞がりな人間の愚痴を読んで考察して試行錯誤すれば何世代か未来には他人と合わせろという方法ではなく、私のような人間に合う生き方が形成されないかなと思っているのだ。なにぶん私は人が明るい言葉だとされる言葉が自分を否定する単語として利用され過ぎて、言葉を使った医療がままならない。通院はしていても生きてる間にどうにかなるとも思っていないのだ。だからこうして書き残して、私のように人や言葉が癒しになりようのない人間を癒す方法をいつか世界が見つけて欲しいと願っている。

 

私はこうして無気力な自分を理由を見つけて自分を責めないでいることで手一杯である。過去に自分が何かをして良い事があったと思えることもなかった。悪化してフラッシュバックのトリガーが増えるだけである。やる気のない人間に苛立っている人間は自分のいない場所で邪魔にならないように頑張って欲しいと思っていて、結局誰も彼もが私のような人間と一緒にいたいと思っていないのを私はよく知っている。私には人々が言うような普通が自分の人生に見つけられそうにもない。

 

情けないと言われても、誇りを持つほど最初から自分の存在が許されたこともないし、悲劇のヒロインぶるなと言われても人からの悪意が嫌だったことに嫌だった以外の感想を持つことはあまりにも難しい。これでも私はまだ親から物理的に逃げられた運のいい人間側で、それでも親により死んだ部分は戻らないし、そうした欠落のある人間を人々は許しはしないのである。人の悪意を集団の和のために許す世界によって死んだ亡霊の言葉がこのブログの文字なのだ。