助かり方がわからない

自分の状態に悩んで本を読んではまた傷ついて落ち込む。私はいつもその繰り返しである。人と関わり必要とされることによる回復力というのを信じる人たちは、人と交流しない人間のことを解決から遠ざかる愚かな人間とするのである。

 

しかし私にはもう人と繋がるような体力はない。人の存在そのものが小学生の頃の、○○じゃなくて○○ちゃんと同じクラスがよかった。という言葉であるとか、母親からの貴方は発達障害だからいじめられても仕方なかったという加害者への一方的な許しなどで酷く傷つけられすぎて、人という存在を前に癒される方法が何一つわからないのである。

 

発達障害である限り、いじめにあっても仕方ないのであれば、これからも人は私を加害してくるし、その加害行為が咎められることがない。私は外にいる限り虐殺されるような恐怖を抱えることしか出来なくなってしまった。

 

あの時学校に行かなければこんなトラウマなかったのに、国が学校作らないでくれたらいじめられることもなかったのに、親が私を生まないでくれたらよかったのに、親が学校に行きたくないって言った時に脅して通わせなければよかったのに。私にはもうそうした無念と憎悪以外何も残っていない。そんな状態で人と関われるわけがないのである。

 

人との繫がりというのは能力のある人間が能力のある人間同士で利害が一致することで初めて効果を生むのであって、私のような無能はサンドバッグにされる人権のない存在でしかない。

 

だから私はいじめられてて辛い状況なのにそれを無視して同じ教室にいた子がどれだけ相手が酷いことを言ったかとか、親が親として機能していないのにいい親のふりだけして世間から関心を買おうとしてきたことすべてを怒って嫌悪することは出来るのだ。それでも私の身に安全が保障されるような世界ではない事実は何ひとつ変わらない。そのことが非常に恐ろしいのである。

 

人はそんなに自分を見ていないわけがない。学校の女子の会話なんて自分と違うグループの人の悪口だらけだ。親は自分や自分の子供を他人の母親や他人の子供と比較していかに間違った存在であるかを説明してくる。無理だ。私にはこの世界が安全であると認識する理由がない。