自分の責任や自分への嫌悪感を整理してきた年

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

なぜ責任を減らす必要があるのかと言えば、慢性的な自己否定感で家事をしている時間以外が丸つぶれするからだ。親の毒親と呼ぶしかないような思想の押し付けや学校によるいじめで被害者の自助努力を求める国や医療の風潮の中で、私は少しでも自分が駄目だと思うことを減らしていこうとした。

 

本を読むことで自分の生き方が許容できる価値観を私は探した。神田橋処方でお世話になった神田橋医師の本で、人といることが毒になる人という価値観をみて、人と関われば関わるほど怒りや恐怖が増幅する自分にとって人はやっぱり毒だったんだって随分とほっとした。人と会うのが救いになる話が多い中で目から鱗が出る新しい価値観の発見だった。

 

斎藤環先生の本では自傷的自己愛という形があると知ったことで、自己嫌悪を異常扱いすることが少し和らいだ。実を言うと一番の収穫は夫に話しても通じない価値観が男女の身体の差であったり長女という境遇がそれだけで特殊な状態になることを知れたことだ。ここまで日々を絶望して世の中が嫌いでも解決方法を探そうとする理由は家の中で平和に暮らすという目標があるからであり、大満足の情報である。

 

毒親問題では田房永子さんの本にお世話になった。私は同性からいじめにあって女性が苦手だったり田房さんのように働ける人間ではないのだが、親に対する怒りに気づかせてくれた人である。

 

本の筆者の話ではないが、あらゆる精神や心理、神経などの本を説明してくれたサイトの人がいたおかげで本を読むという解決方法を知ることができた。私はそれまで悩みがそのままタイトルになったような自己啓発本を読んで絶望して本が嫌いになっていたのでおすすめの本を知ることが出来てよかった。

 

 

責任の整理も毎日のようにしている。私の母は非常に極端で、いじめに合うのは貴方のせい、いじめを気にするのは貴方が卑屈だから、いじめを許さないのは貴方が根暗で性格が悪いからと、苦しい気持ちを言語かしたところで貴方の心は闇ですねとしか言わないような、とにかく子供に対して人間とは思えないほど人の心がない奴だった。ロボットが人のふりをしている方が可愛いくらいなもので、道理や一貫性もなく、いじめの加害者による悪意をいくら子供が受けても許容するけど、自分の子供には一切の負の感情さえ許さなかった。私の悪口で笑ってた人達の馬鹿笑いを見て、あの人は明るくていいわねと言い出すのに、私の被害を受けた話は悪口として全否定する異常さがあった。許しも感謝も認知療法も私にとって母から押し付けられた全否定の為の呪いの言葉になった。

 

子供を誰よりもゴミ箱扱いしていた立場でありながら、加えて母は劣等感を代わりに子供に解消して貰おうとしていた。子供が何かを成し遂げて欲しいなら環境を整える立場であるべきはずなのにだ。育てて貰ったというよりぼろ雑巾のように利用されて捨てられたとしか考えられない。

 

結婚する時にバツイチになっても私は気にしないと母から嫌味を言われて、当時の私はそんなに私は人から好かれる価値がないんだと傷ついて泣いたが、冷静に考えれば嫁ぐ前の娘にそんなことを言う母があまりに正確が悪すぎるのだ。

 

私は親や学校の人、医者や福祉の人などが散々私の内側に捨てて行ったゴミを捨てることで毎日が忙しい。フラッシュバックという形でゴミがいきなり爆発して目に入るような生活をしている。それでも分別そのものは昔よりずいぶんと進んだ。問題はゴミを捨てる方法を今も全く知らないことだ。夢中になってゴミの存在を見ないようにするか、これ以上ゴミが増えないようにひきこもるしかないことである。

 

2023年になるかはわからないが、できれば記憶が綺麗さっぱり消せる技術があれば使いたいなと思っている。長年に渡る人々からゴミ扱いされた記憶には結局どこにも行き場がない。医者からはそんな自分が消えたり小さくなることを願われながらも実際には変わらず続け、加えてゴミにスペースが取られて昔より何も出来ないのに医者の能天気具合にさえ怒りが湧く状態だ。

 

人と接すれば接するほどゴミは増え、どんな治療法を読んでも身が強張り自分を傷つけてしまう私には自分で処理することが叶いそうにないからだ。マインドフルネスのやり方を読むたびに、そこにある木の方が大事だから私が駄目だっていうのか、これ以上悪者にしないでくれと怒り狂うことをもう止められそうにもない。