褒められたいけど一人になりたい

無償、タダで、何もしなくても、褒められたい!ということをふと思う。問題は褒められたところで無償であると感じる相手が夫以外に誰もいないことだ。

 

元気になるとか明るくなるとかそういう見返りを期待されることに疲れ果ててしまったから、言葉には癒やしを感じ取れない。人と会うことそのものが暴力であるというのを何処かで見たが、私の人生の価値観そのもののような言葉である。人と関わりたくないと言う自分も褒められたいという自分も、褒め言葉にプレッシャーを感じた自分もいる中で多数決を取るといつも人と会いたくない自分が勝る。トラウマになって何度も反芻するリスクと一言の褒め言葉では釣り合いが取れないのだと。

 

人が望むような社交的な人間になることを望む人たちは、人と関わりたい自分という存在を贔屓するけれど、大部分の自分は人と関わってトラウマを背負ったことで山のように出来た困り事を処理したり、怒ったり、泣いたり、悩んだり、諦めたり、逃げたりしながら今も未処理のごみのように溜まった出来事の数々に悩んでいる。脳天気な馬鹿一人にこれ以上振り回されていられるかと怒るのは当然なのに、一般論としてはそれを認知の歪みだとか、過去をひきずるのが悪いとか言い出すのだ。言ってる奴ら全員を骨折させて無理やり走らせてやりたいものだ。

 

あらゆる時代の怒りや悲しみを背負った自分が、これ以上自分の中に記憶を増やすのをやめろという。生活のために動いている人たちも、ただでさえ人よりできないことばかりなのに何かが起きて自分たちまで動けなくなったら死んでしまうという。裏切られた自分たちが、ここまで自分たちを犠牲にしてもわからないのか、もう人に近寄ることを避けろという。わたしのなかはいつだって暴動一歩手前だ。だから人と関わることを避けなくてはならない。

体質改善できますように

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

体質改善をせねばならない。月ごとに重くなり鎮痛剤を規定より1回分多く使い、生理が終わった頃にはいつも胃が荒れていることに危機感を感じて、1年ぶりにリングフィットを取り出した。ジョイコンを抜き差しすると寿命が減るので避けていたが、ここまで運動しない人間がジムに通うことに比べたらジョイコンの費用などタダと呼べるほど安いと自分に言い聞かせている。実際今はそこまで痛みが酷くない。思えば夜に一段と激痛が走るのは夜は動くような出来事がないからなのかもしれない。

 

瘀血と呼ばれる体質の改善の為に生活を改めなくてはならず、今日のおやつは油分を避ける為におかゆにした。梅干しが食べる習慣がつくのでいいが正直何日持つかはわからない。おかゆのレパートリーを考える必要がありそうだ。そして靴下を履いている。寒い季節に腹巻は毎日着ているけど靴下はサボりがちなので今年こそは靴下を日々に定着させたい。血が不足するのか考え事が減って精神的には普段よりマシではあるが、流石に毎日激痛で悲鳴を上げるのは辛い。ゆくゆくは生理が軽くなり夏に暑がりなことも改善されて欲しいものだ。

 

中医学の本を読んでいるとおすすめの食材を教えてくれるので、専業主婦としては料理のアイデアになり助かっている。夫が口内炎がよく出来るので、夫向けの食材もメモしておいた。みかんがいいらしいのでせっかく冬だからそろそろたくさん買いたいなと思う。

父も含めて私は親から愛されてなかった子供だった

子供の頃の私は学校で我儘で自己中だと言われていたが、正直私の中では我儘だったことはなかった。父によって作られた女の癖に愛想がなく性格が悪いとか、髪が癖毛なのはお前の性格がひねくれてるからという言葉が積み重なり、学校でも男のような名前でいじめられて、私はいつも必死に女の子でいようとした。そんなの傍からしたら言い訳にしかならないけど、私はいつも父の言葉や母の言葉を思い出して目の前のルールと矛盾を起こしてパニックになりながら学校生活を送っていた。普通のふりをしなきゃいけないのに、面白がって馬鹿にする男子たちが怖くてたまらなかった。友達がいれば比較して批判し、友達がいなければ友達がいない卑屈さを虐げる母を前に、友達がいる子たちがどうしてそんなに気楽そうなのか全く理解出来なかった。怒りも悲しみも持ってはいけないのに、いたずらに関わることを強いる世界が嫌で嫌で仕方なかった。私は家に帰ったらまた馬鹿にされちゃうかもしれないのに、怒られちゃうかもしれないのに。そんな感情でぐちゃぐちゃだった。

 

一度だけそんな不安を泣きながら吐き出した時に、その時の先生は怒らなくて、むしろもっと喋ってもらおうとしていた。私は女の子だから大声出しちゃいけないのを思い出して慌てて黙ってしまった。その後に毎日のようにからかっていた子たちが謝ってくれたことがあった。その時の私は私のお母さんのことは関係ないからって言ったことを覚えている。そういう点では私は私なりに我儘に突き合わせてはいけないという感覚を持っていたのだろう。謝られても身についた対人恐怖や体育への嫌悪や恐怖は消えないが、謝られたことをなかったことには出来ない。

 

今思うとこんなに母親に気を遣っていることが当たり前だったこと自体がおかしかったのだ。父は私に何を言うにもするにも決まって母に迷惑をかけるなと言ってきたが、母といた時間を全体的に言えば私はずっと母に精神的な搾取をされてきただけだった。父も私を愛してなかったことに目が行くようになると、父が言っていた母を大事にしろという言葉もすべて従おうとするだけ無駄だったのがわかる。私の子供時代は何もかもが無駄だったのだ。無駄どころかあまりにも重い後遺症を多く背負ってしまった。

朝からトラウマの自分の泣き声が止まらない

正月の朝、最初に何を考えましたか?私は朝からみんなが私を嫌うから怖いよという自分の胸の中の泣き声で目を覚ましました。まだスマホさえ手に取れていないような状態で、私は朝からその恐怖に支配されていて、絶望的な新年になり、朝から不安が止まらない。

 

怖い、苦しい、助けて、そう叫んでいる私に私はどうしたら何もわからない。朝ごはんを食べたとか、家事をしたとか、そういうことをしていても一度始まったものを止める方法は私にも全くわからない。空気は内臓ごと押しつぶすように苦しくて、物凄く心細くて、子供の頃の自分に出来ることなんて何もわからない。私の無理やり学校に通い続けた時の恐怖心はずっとそのままだ。

 

怖い、一人になりたい、外に出たくない、家で一人でいる時でさえまだ一人でいる時間が足りなくてずっと悲鳴をあげている。怖い。誰も助けてくれなかったと、怒りと憎悪と恐怖が常に無意識に棲みついている。休みたい。私はこの状況から逃げ出したい。普通に学校に行けた人達も、学校でいじめをしてた人達も、それを許してた国も学校も親もみんな許せない。

自分の責任や自分への嫌悪感を整理してきた年

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

なぜ責任を減らす必要があるのかと言えば、慢性的な自己否定感で家事をしている時間以外が丸つぶれするからだ。親の毒親と呼ぶしかないような思想の押し付けや学校によるいじめで被害者の自助努力を求める国や医療の風潮の中で、私は少しでも自分が駄目だと思うことを減らしていこうとした。

 

本を読むことで自分の生き方が許容できる価値観を私は探した。神田橋処方でお世話になった神田橋医師の本で、人といることが毒になる人という価値観をみて、人と関われば関わるほど怒りや恐怖が増幅する自分にとって人はやっぱり毒だったんだって随分とほっとした。人と会うのが救いになる話が多い中で目から鱗が出る新しい価値観の発見だった。

 

斎藤環先生の本では自傷的自己愛という形があると知ったことで、自己嫌悪を異常扱いすることが少し和らいだ。実を言うと一番の収穫は夫に話しても通じない価値観が男女の身体の差であったり長女という境遇がそれだけで特殊な状態になることを知れたことだ。ここまで日々を絶望して世の中が嫌いでも解決方法を探そうとする理由は家の中で平和に暮らすという目標があるからであり、大満足の情報である。

 

毒親問題では田房永子さんの本にお世話になった。私は同性からいじめにあって女性が苦手だったり田房さんのように働ける人間ではないのだが、親に対する怒りに気づかせてくれた人である。

 

本の筆者の話ではないが、あらゆる精神や心理、神経などの本を説明してくれたサイトの人がいたおかげで本を読むという解決方法を知ることができた。私はそれまで悩みがそのままタイトルになったような自己啓発本を読んで絶望して本が嫌いになっていたのでおすすめの本を知ることが出来てよかった。

 

 

責任の整理も毎日のようにしている。私の母は非常に極端で、いじめに合うのは貴方のせい、いじめを気にするのは貴方が卑屈だから、いじめを許さないのは貴方が根暗で性格が悪いからと、苦しい気持ちを言語かしたところで貴方の心は闇ですねとしか言わないような、とにかく子供に対して人間とは思えないほど人の心がない奴だった。ロボットが人のふりをしている方が可愛いくらいなもので、道理や一貫性もなく、いじめの加害者による悪意をいくら子供が受けても許容するけど、自分の子供には一切の負の感情さえ許さなかった。私の悪口で笑ってた人達の馬鹿笑いを見て、あの人は明るくていいわねと言い出すのに、私の被害を受けた話は悪口として全否定する異常さがあった。許しも感謝も認知療法も私にとって母から押し付けられた全否定の為の呪いの言葉になった。

 

子供を誰よりもゴミ箱扱いしていた立場でありながら、加えて母は劣等感を代わりに子供に解消して貰おうとしていた。子供が何かを成し遂げて欲しいなら環境を整える立場であるべきはずなのにだ。育てて貰ったというよりぼろ雑巾のように利用されて捨てられたとしか考えられない。

 

結婚する時にバツイチになっても私は気にしないと母から嫌味を言われて、当時の私はそんなに私は人から好かれる価値がないんだと傷ついて泣いたが、冷静に考えれば嫁ぐ前の娘にそんなことを言う母があまりに正確が悪すぎるのだ。

 

私は親や学校の人、医者や福祉の人などが散々私の内側に捨てて行ったゴミを捨てることで毎日が忙しい。フラッシュバックという形でゴミがいきなり爆発して目に入るような生活をしている。それでも分別そのものは昔よりずいぶんと進んだ。問題はゴミを捨てる方法を今も全く知らないことだ。夢中になってゴミの存在を見ないようにするか、これ以上ゴミが増えないようにひきこもるしかないことである。

 

2023年になるかはわからないが、できれば記憶が綺麗さっぱり消せる技術があれば使いたいなと思っている。長年に渡る人々からゴミ扱いされた記憶には結局どこにも行き場がない。医者からはそんな自分が消えたり小さくなることを願われながらも実際には変わらず続け、加えてゴミにスペースが取られて昔より何も出来ないのに医者の能天気具合にさえ怒りが湧く状態だ。

 

人と接すれば接するほどゴミは増え、どんな治療法を読んでも身が強張り自分を傷つけてしまう私には自分で処理することが叶いそうにないからだ。マインドフルネスのやり方を読むたびに、そこにある木の方が大事だから私が駄目だっていうのか、これ以上悪者にしないでくれと怒り狂うことをもう止められそうにもない。

自傷的自己愛を読んだけど精神系の本を読むといつも反動で死にそうになる

昨日は斎藤環さんによる自傷的自己愛を読んだ。自己嫌悪の構造や男女の身体の差、母子密着の中で長女は特に大変であることなどを読んで夫と話が通じない理由がわかって納得した。

 

その反動で滅茶苦茶死にそうになってる。私はもう助からないんだって自暴自棄に体の中がグサグサとしている。誰が書いた本でもなるほどわかるそうかそれでか作者天才か?としていたのが解決方法の話題になった途端に全く認識できない世界観になり身体が強張り失敗する自分の姿を浮かべて自己嫌悪が始まり自暴自棄になるのはワンセットである。

 

私には金もないしこれ以上失敗できるほど後がないのである。人が怖すぎて人とどうこうする療法のイメージが湧かずにフラッシュバックばかりが起こり、自分の言葉や体を使えば自分への攻撃性が溢れ出し、なにか成功体験を糧にしようとすれば失敗で身体が強張り一日が潰れる。キュアやケアがわからない。当たって砕けた後にまた当たって砕けろ言われても無理だ。ここで寝たきりになったら一日中フラッシュバックする頭だけ動く状況になるので本当に死ぬしかなくなる。

 

子供の頃から斎藤環さんの病院に通院してオープンダイアローグしてれば違うだろうけど今の私にはもう無理だ。もう人への恐怖が大きすぎて、よくなろうとして失敗したり助けを求めて傷付けられたことがおおすぎて無理だ。今は人の言葉が怖くて話を聞くなんて耐えられない。記憶が完全に消えるくらいしないと全く先が見えない。

キラキラ好きな女の子になれなかった

どうして自分はにゃるらになれなかったんだろうという話を増田で読んだ。実をいうと私もにゃるらのようになりたかった。正確に言うと好きなものにはいくらでも食いついていけるキラキラ女児向けアニメが好きなオタクになりたかった。セーラームーンはタイムリーに見たことあるし、カードキャプターさくらだって見たことあるのに、こどものおもちゃでマネージャーさんが元カノっぽい人の映像を暗い部屋でループしているシーンに夢中になっていた。それからもその性質は変わる事はなかったし、何でも好きになれるわけでもない癖に私は飽き性だった。

 

今の私は精神疾患で診断書の診断名だけは長い無能だ。あちらこちらで成人した当時女児だった客層向けの商品が出てきているが、私はそれを買うお金もないし、そういうキラキラが好きになれるような元気もない。何かを好きでいられる人たちが羨ましい。自分がみじめになるからきらら作品だって見ることが出来ない。何かを好きになるには自分には欠落が多すぎて自分への嫌悪感ばかりが膨らんでいく。

 

働きたいとか、働けるようになりたいとか、そういうこともやろうとしていた。実際には行った先で職員からパワハラされたりカウンセラーから怒鳴られたり、虐待される経験が増えて症状が悪化した。家でも母から気にする私が悪いと否定される日々が続いた。気が付けば身の危険を感じた身体が固まることを覚えてしまった。母が予定を変更しただけで痺れが止まらなくなるようになった。これ以上失敗したら次は布団から起き上がれないかもしれない。

 

その身体は逃げるように結婚してからも変わらない。何かこの自己嫌悪感を打破しようと手を出しては何かに引っ掛かり、その引っ掛かりが恐怖感を思い出して身体をシャットダウンさせていく。安心できる場所にいても自分の無能さが付きまとう人生にもう絶望しか感じられない。自分が嫌いで自分を傷つけたくなる衝動ばかりがまとわりついてどんな療法にも手を出せない。私は私が嫌いなこと以外が思い出せなくなる時間がどんどん長くなっている気がする。