父も含めて私は親から愛されてなかった子供だった

子供の頃の私は学校で我儘で自己中だと言われていたが、正直私の中では我儘だったことはなかった。父によって作られた女の癖に愛想がなく性格が悪いとか、髪が癖毛なのはお前の性格がひねくれてるからという言葉が積み重なり、学校でも男のような名前でいじめられて、私はいつも必死に女の子でいようとした。そんなの傍からしたら言い訳にしかならないけど、私はいつも父の言葉や母の言葉を思い出して目の前のルールと矛盾を起こしてパニックになりながら学校生活を送っていた。普通のふりをしなきゃいけないのに、面白がって馬鹿にする男子たちが怖くてたまらなかった。友達がいれば比較して批判し、友達がいなければ友達がいない卑屈さを虐げる母を前に、友達がいる子たちがどうしてそんなに気楽そうなのか全く理解出来なかった。怒りも悲しみも持ってはいけないのに、いたずらに関わることを強いる世界が嫌で嫌で仕方なかった。私は家に帰ったらまた馬鹿にされちゃうかもしれないのに、怒られちゃうかもしれないのに。そんな感情でぐちゃぐちゃだった。

 

一度だけそんな不安を泣きながら吐き出した時に、その時の先生は怒らなくて、むしろもっと喋ってもらおうとしていた。私は女の子だから大声出しちゃいけないのを思い出して慌てて黙ってしまった。その後に毎日のようにからかっていた子たちが謝ってくれたことがあった。その時の私は私のお母さんのことは関係ないからって言ったことを覚えている。そういう点では私は私なりに我儘に突き合わせてはいけないという感覚を持っていたのだろう。謝られても身についた対人恐怖や体育への嫌悪や恐怖は消えないが、謝られたことをなかったことには出来ない。

 

今思うとこんなに母親に気を遣っていることが当たり前だったこと自体がおかしかったのだ。父は私に何を言うにもするにも決まって母に迷惑をかけるなと言ってきたが、母といた時間を全体的に言えば私はずっと母に精神的な搾取をされてきただけだった。父も私を愛してなかったことに目が行くようになると、父が言っていた母を大事にしろという言葉もすべて従おうとするだけ無駄だったのがわかる。私の子供時代は何もかもが無駄だったのだ。無駄どころかあまりにも重い後遺症を多く背負ってしまった。