キラキラ好きな女の子になれなかった

どうして自分はにゃるらになれなかったんだろうという話を増田で読んだ。実をいうと私もにゃるらのようになりたかった。正確に言うと好きなものにはいくらでも食いついていけるキラキラ女児向けアニメが好きなオタクになりたかった。セーラームーンはタイムリーに見たことあるし、カードキャプターさくらだって見たことあるのに、こどものおもちゃでマネージャーさんが元カノっぽい人の映像を暗い部屋でループしているシーンに夢中になっていた。それからもその性質は変わる事はなかったし、何でも好きになれるわけでもない癖に私は飽き性だった。

 

今の私は精神疾患で診断書の診断名だけは長い無能だ。あちらこちらで成人した当時女児だった客層向けの商品が出てきているが、私はそれを買うお金もないし、そういうキラキラが好きになれるような元気もない。何かを好きでいられる人たちが羨ましい。自分がみじめになるからきらら作品だって見ることが出来ない。何かを好きになるには自分には欠落が多すぎて自分への嫌悪感ばかりが膨らんでいく。

 

働きたいとか、働けるようになりたいとか、そういうこともやろうとしていた。実際には行った先で職員からパワハラされたりカウンセラーから怒鳴られたり、虐待される経験が増えて症状が悪化した。家でも母から気にする私が悪いと否定される日々が続いた。気が付けば身の危険を感じた身体が固まることを覚えてしまった。母が予定を変更しただけで痺れが止まらなくなるようになった。これ以上失敗したら次は布団から起き上がれないかもしれない。

 

その身体は逃げるように結婚してからも変わらない。何かこの自己嫌悪感を打破しようと手を出しては何かに引っ掛かり、その引っ掛かりが恐怖感を思い出して身体をシャットダウンさせていく。安心できる場所にいても自分の無能さが付きまとう人生にもう絶望しか感じられない。自分が嫌いで自分を傷つけたくなる衝動ばかりがまとわりついてどんな療法にも手を出せない。私は私が嫌いなこと以外が思い出せなくなる時間がどんどん長くなっている気がする。