全く話の通じない毒親に全力で殺してやると言った2022年9月8日のこと

毎日いじめをした加害者のことや助けを求めたときの母の批判の言葉を抱えて自殺したいとか殺してやりたいの衝動に泣き叫んだりとかしている。最終的に学校にいかない選択肢を奪った母に殺してやりたいって気持ちを抱えて生きている。それを聞いた夫は本人に伝えるべきと言った。怒りは第三者に向けるよりは返すべき相手に返す方が正しいとも思っていたが、会話が通じる相手でもないから放置をしていた。

 

今日も今日とてフラッシュバック

しかしふとやることを処理したくなる衝動にかられたので、母に伝えてみた次第である。今回は前回の母からの発言から思うことを伝えてみた。電話した時に母は何があったと聞いた。私はいじめにあってからずっとフラッシュバックに苦しみながら生活しているので何もなかった日なんてよっぽどの病気で頭が働いてない時くらいしかない。熱で苦しんでいる方が楽だと熱を出す度に思うほどには常に記憶が支配しているのだ。

 

とりあえず前回の会話で思ったことを伝えてみた

自分の人生が上手く行ってないのを私のせいにするなというなら過干渉に私の不登校をやめさせるべきではなかった。学校に行かない権利を奪ったのに今更責任がないというのは無責任であると。

母がおかしいのは元々のことである。自分が言ったことを一言も覚えてないという。50代ではあるだろうがさすがに認知症なのだろうか。夫にこの時の話を当日から何度もして矛盾も改変もないことは確認済みだというのに母は作り話でしょと言ってくるのだ。

 

私の母は今まで話を聞いてことがない

母は過去の話をすると

「また過去のことを持ってきて」「過ぎたことなんだからいいでしょう」「貴方の作り話でしょう」「私は何も覚えてないから知らない」

などと言って全く話を聞かないのだが、被害が起きた瞬間に話したところで

「あなたの幻聴でしょう」「あなたが気にするのが悪いんでしょう」「貴方が相手の良いところを見てない」「貴方は性格が悪くて可哀想な人」

など私を責めるような返答しか今までしてきたことがない。つまりどのタイミングで話しても無駄なのだ。私が悪口などの実害を食らっている話を相談しているのに「人のことを悪く言うな」と何故か私に怒る。傷口に塩を塗ることしかしたことがない。母はそれらすべてを忘れている。

 

母はお前は頭がおかしいから病院に連れて行くと脅して学校を休む権利を奪ったことさえ忘れている。当時私が名前でいじめられていること、それで自分の名前が大嫌いだということ、その時に母はこの名前にしたことを謝罪したことも覚えているのに、母は学校で何かあったなんて知らなかったと言い出すのだ。そして言わなくなった時期もあったけど母に脅されてから怖くて言えなくなったと伝えたことさえ忘れている。

 

貴方は夢見がちだから記憶が正しくないとか言いがかりを付けてくる。貴方は嫌なことは覚えてるけどともさっき言っていたのでこの時点で矛盾をしだす発言をしてきた。そもそも母はリアルタイムに被害を訴えても加害者が良い人だとお花畑なことを抜かすので夢見がちなんて言われる筋合いはない。

 

だから私は過去が過去がと言いながら当時起きた瞬間にだって対応したことはなかったと言った。母は貴方の理想通りには出来ないと言ってきたが、そう自覚があるならなぜ過干渉になり続けて自分が子供を世話出来てると思い込んでいるのかと言った。そもそもいじめの主犯格を名指しで褒めるような発言は理想の母親かどうか以前に被害を受けた人間への発言として異常でしかないのではないだろうか。ウクライナ人に「ロシア料理は美味しいからロシア人が攻めてきても仲良くしろ」とか「犬を可愛がるプーチンは思いやりがあるから悪く言うな」とかそのくらいに道理もないことを言う。

母はひたすらに「貴方は私が嫌いだからそう思うだけ」「私だっていろいろ考えてるのとか」あまり中身のないことばかり繰り返していた。正直覚えてないと言われる時点で会話としての継続性がない。

 

とりあえず要件を済ませてみた

私はいじめの被害で苦しんでいたけど、いじめの加害者をお母さんが褒めた時からいじめの主犯よりもよっぽどお母さんを殺したいって思っていたよ。

 

そう伝えると母はただあっそうと言ってきた。貴方がそんな風に思っているなら仕方ないねって切り捨てるように母は言った。それじゃあ私が何を言っても無駄だねと。母はすべて貴方が歩み寄らないのが悪いと言いたげだった。殺したいと思った瞬間からどうにかその理不尽さは何故なのか母を知ろうとしたり自分の伝え方を新しく考えたりしたりしながら、10年間も私が伝えようと努力してきたことを一切知らないようだった。今が幸せならそれでいいんじゃないのと母は言った。

 

そして兄弟に電話を変わる母が兄弟にまた掛け直し来ても面倒だし電話受け取ってよと言っているのも聞いた。私は母の外面のよさで助けを求めても信じてもらえなかったから、お前が本性を隠してるせいで私は誰にも気がついてもらえなかったのにと憎悪がなおのこと強くなる。私の記憶という地続きの土台のようなものを破壊したことが許せない。兄弟とはただ最近の流行りの話をした。

 

電話再チャレンジ

その後に電話を掛け直した。私は幸せだからこそ毎日のフラッシュバックがただただ苦しくて、記憶のフラッシュバックで今を蝕む母がしてきたことが許せないと言った。不登校を無理やり学校に戻した子供は自殺しやすい、子供を殺すも同然のことをした母を私は絶対に許すことはないと言った。不登校をちゃんとさせてくれればこんなにたくさんのフラッシュバックが産まれなくてよかったのに母が無理やり学校に行かせたせいで苦しまなきゃいけない。自殺未遂しても馬鹿じゃないのと言ったりとかさっきの電話も面倒くさいとかそういうことは言うのに、そういう本性を隠して外面だけよくして母親としての甘い汁だけ吸ってそのせいで私はいじめからも虐待から助けられることもなく穏やかな子供時代を過ごせなかった。先生の方がまだ私のことを考えて動いていた。母親の席に貴方がいるから私には母が誰もいなかった。私に母親がいる人生を返して欲しい。

 

母は終始ふーんというだけで、貴方がそう思うならとだけ言った。完全に可哀相な人の話を聞いてあげている私と言わんばかりの対応であった。どうして貴方に幸せでいて欲しいって思っている私に対してそんなことを言うのかと言い出す。

 

だから私が幸せなことで母のしたことはなかったことにはならないと伝えた。私の幸せには貴方の記憶が邪魔だから産まないで欲しかった。他に好きな人がいるなら父と結婚しないでくれればよかったし、故郷の長崎から一生出てこなければよかったと伝えた。母はもう何を言ってもふーんとそうと貴方はそう思うのよねの繰り返しだった。

 

話したけれど相変わらず不気味な母

私は母にどうして貴方がそんなにおかしいのか母の親族に聞きたいという話をした。親代わりのようだった叔父には連絡していいか聞いたら、叔父はすぐ都会に行ったのでそんなに子供時代を知らないと返してきた。さっきまでの会話は何もなかったようにお互いやりとりをした。

 

私が父が母と結婚するために挨拶に行った時の話を聞いたときに、祖父も祖母も終始無言で叔父が代わりに意思疎通をしていたという話を聞いて本当にそうなのかを母に聞いた。さっきの話だと叔父は都会に行ったくらい祖父祖母は終始介護が必要だったわけでもないことを知り、なおさら叔父が結婚の挨拶のやりとりを代わりにしているのが変だと思った。

母は緊張してただけとは言うが、私は祖母が聖書を朗読していたことを知っていたので流石に終始無言なのは変じゃないと返した。そして母は私は久々にお母さんに会えて嬉しかったからキッチンで料理を手伝っていたのと言った。私はそんなに和やかなら終始無言だったって感想にはならないよね。まさかお父さんの言葉にまで記憶を改ざんしているって言うのかと言った。

なんだかおかしいよと母に言った途端、今まで私の言葉になんの感情もなかった母が突然「なにがおかしいの」「どうしてお母さんを悪く言うのー!!」と突然泣きだした。そしてその後に電話は切れてしまった。

 

とりあえず電話を掛け直すと兄弟

お母さんに何を話したの?すっごく泣いてるよと兄弟が凄く焦った声で言ってた。どうやら母は裏で「お母さんのこと悪くいったー!」「もう電話に出たくないー!」など泣きわめいているようだった。それを聞いた兄弟は育てて貰った人のことを悪く言っちゃだめだよと言い出す。母が兄弟にしてきたあらゆる発言を覚えているだけに兄弟はこんな奴に健気さ向ける必要はないのにとで悲しくなるが、とりあえず母から聞いた祖母の話をした。

・(未就学児を夜に)家から追い出すのが普通のことだと言っていた

・母は末っ子で私への育児に飽きていた

・私の食パン一枚しか朝ごはんがなかった(から頑張って私は作ってる)

キリスト教の礼拝をサボって豹変したように凄く怒られた

 

などと言った話をした。ちなみに社交的とか美人だったとかそういう褒め言葉は聞いたが、親子関係には全く関係ないことしか褒めていない。

 

祖母に執着する母と巻き込まれる家族

母の祖母への執着は相当なもので、父が帰ってくるのが遅くて祖母の危篤に向かうのが遅れたという理由で父のことをずっと嫌っている。冷静に考えると神奈川に移住した母は父の転勤のおかげで神奈川にいる頃よりは祖母のいる故郷に近くなっている。だからこんな理由でずっと嫌われている父には同情せざるを得ないが、それだけ母は祖母が関わると情緒不安定になる。ワンピースのビックマムもマザーカルメルが絡むと大変なことになるが、マザーカルメルと違って私の聞いた祖母情報は別に優しくもなんともない。

 

こうして思うと母はストックホルム症候群のまま結婚して母親になってしまったのではないかと思う。やはり母も虐待はされてきて、母に褒められるような家庭を作ること以外何も考えていなかったのではないかと思わざるを得ない。

 

それにしても私がどれだけ悪く言われても私は母から我慢しろとしか答えられなかったのに、母は祖母が悪く言われたと思うと泣きだすのだ。私は母から今まで本当に何の情も向けられてなかった事、それなのに父や世間の目を前にすると散々猫をかぶって子供思いの母親なのにこの子が悪さをしているんですとあらゆる場所に出向いていたことが本当に気持ちが悪い。本当にこの親から生れたくなかったし意思疎通が出来る親と健全な幼少期を過ごしたかったなと思った。

 

後日談

母に再び電話したがもうすべてが作り話だと言われるだけになった。私がいじめられてたのを途中言わなくなったのは母が「お前は頭がおかしいから病院に連れて行く」と脅したからなのも言った本人は貴方の頭の中の母親の話なんでしょって鼻で笑うように言うだけだった。私は自傷行為をしながら無理やり学校に行って今もフラッシュバックを繰り返しているが、本当に私はなんで学校なんかに行かなくてはならなかったのだろう。母の中で私のトラウマはすべて全くなかったことになっていた。

 

母はひたすらに話を発達障害の貴方が発達障害であることを知らなかったけど、それは貴方が発達障害だからであって私は悪くないという話に変えようとしていた。私は発達障害に産んで欲しくなかったとは言うが、気づかなかったことに対しては文句を言っていない。世代や知能指数を思えば気づくことは難しいからだ。そして今となっては高齢の父から生まれた結果であるので母一人に発達障害に生まれた責任を問うことはないが、無理に学校に通わせて複数の精神疾患の診断やフラッシュバックがついて回る人生になったことはどうしても許せない。

 

いじめがあったことを訴えても無視することは子供が発達障害かどうかなんて関係はないのではないだろうか。子供の訴えを聞いたり信じたりすることが発達障害の理解があるかどうかには関係ない。ましてや被害に合った人を前に加害者を褒めだして貴方は人の良い所を見て許しなさいと言い出すような人間は子供の発達障害や世代が悪いと言う言葉で言い訳がつくものではないだろう。

 

世の中の人々は親は話せばわかるとか、生きていれば親心がわかるとか、親と絶縁しない生き方もあるとか、いろいろな価値観を語ってもいるが、私はこんなモンスターのような存在は親かどうか以前に人として意思疎通に無理であるので、絶縁して何年か経ってまた話してみて、距離感を少し近づけるようなことや母を理解しようとすることはどうしても無理だと思った。ここまで人の存在をないがしろにする人は顔見知りにだってならない方がいいくらいなのだ。

 

私は母を忘れられないんだろうか

私の人生は母から理想を要求され叶えられず虐げられ続け、そのこともまるごとなかったことにされ、私は母の中で完全にいない存在になっていた。だけど私は毎日のようにフラッシュバックして苦しんで、薬を飲んで病院に行ってごくまれに役所で障碍者として役所で更新をするという人生を送っている。自分を褒めるとかタッピングするとか自力でやるようなものは反動で自傷をしてしまうのでことごとく失敗している。EMDRをするには数も多く期間も長く、費用を考えてもあまり現実的ではない。記憶はあっても記憶や感情の処理をする方法は結局私は持っていない。誰かこんな親から生まれた私の人生に安楽死の権利をください。というか最初から生まれたくなかったな。

朝起きてすぐにみんな私が嫌いなんだと胸の中が囁く。

10年か20年以上前の言葉達が響き渡る。

もっと眠っていればよかったと思う。

 

こんな記憶が最初からなかったらよかったのに。

どうして私は学校なんかに行ってしまったんだろう。

私は誘拐された場所でお外に出ずに暮らしてて、

学校なんてもちろん知らなくて、

お父さんとお母さんが心配しているんだ。

子供の頃からそんな夢を見て生きていた。

 

私はこの王子様願望に近い夢を今でも持っている。

本当は母性や愛情飢餓なのかもしれないが、

悪い奴を倒してくれる信頼も欲しくて、

正義の味方だと博愛的で距離が遠そうで、

なんとなくこういう呼び方になっている。

愛する者の為に他の者を排除してくれる人、

なんて言葉を一言で表すのは難しいかもしれない。

 

 

結婚して誰とも顔見知りにならない生活をした上で、

今でもそういうことを考えてしまうのだ。

だからきっと正確には今誰かが必要なのではなく、

記憶に汚されたくなかっただけのことなんだろう。

父のことも母のことも、学校のことも、

何もかもをただ知りたくなかった。

 

夫から情熱がないって言われる。

現実という私を嫌う世界に対し、

私はどう好意を持てばいいのか今でもわからない。

 

フラッシュバックが辛いから薬は貰いに行く。

だけど医者とのやりとりにいつも困る。

医者が見ている世界と私が見ている世界が違う。

私は過去の私の記憶からしか作れない。

だから未来とか自分とか他人の成功例とかから、

希望を見出すことが出来ない。

いじめを台風に例えるなら大人たちは人殺しだ

インターネットでいじめは台風のようなもの。だから過ぎ去るのを待って勉強すればいいなんて話を見た。いじめは何か月も何年も起こり続ける。そんなに長居をする台風を少なくもの私の人生で体験したことなんてない。もしそんな台風があるなら社会の停滞どころではない。畑を見に行くタイミングなんてないし、雨のせいで浸水や地面が崩れてしまう。今のパキスタンを見るように今日明日の生活さえ危険な状態になる。台風というのはその瞬間過ぎ去るだけでも恐ろしいのに長居をしてしまえば、その後の生活さえままならなくなってしまう。だからいじめは恐ろしい。

 

現実不登校になった私は進研ゼミなんて微塵もわからなくなって勉強が出来なかった。出来ない、わからないという心の波に耐えられなくなってしまったのだ。こんなことも出来ないから酷い目に合うのだろうかとフラッシュバックが始まり、自分の頭を叩いたり泣き叫んだりすることが止まらなかった。無理やり行かされた期末試験で何もわからなくて自分はもう駄目なんだとわかってから、自分の中で勉強は出来ないものになった。不登校として別の場所に通っていてもにいても教室に戻ることを推奨される場所だった。それは非常にゆったりした場所で本来の授業からは離れた場所だった。それなのにこのテストをすることに何の意味があったのか、私にはわからない。まさか己を見直して一生懸命勉強しだすと期待でもしていたのだろうか。

 

本質的にこの人たちは私の味方ではないのだろうなと深く悲しくみじめな気持ちになった。いじめをしたあの人たちが正解で私が間違いなのだと世界のすべてが私を責め立てているようで恐ろしかった。みんなが加害者の味方で、あんな人たちに居場所を与える場所に行きたいと思えなくなっていった。大人達はみんな台風の中に子供を投げ出す人殺しだった。私にとって学校の同級生は自分の身を砕いた濁流も同然だったというのに。

 

その後も何度か勉強をやり直そうとしたが、自分が出来なくて駄目だと感じると一気に身体が委縮して息が苦しくなり、目も開けていられなくなるようになった。わかるまでゆっくりやればいいと言葉を念じても身体が自分を捨てることが止められない。頭痛や手足の痺れを感じながらすべてを呪うように状態が終わることを待つしかない。

 

今でも自己否定感から自傷行為をするので衝動を立てないように無気力に生きている。出来ることの範囲が狭くて自分でも自分が許せないのに、向上心は自分を殺してしまう。私の場合怒りの抑圧で矛先が自分に向かうようになってしまったのかもしれない。いじめを行った学生や放置した学年や学級の担当、無理やり学校に行かせた母や母に従うように言った父。私はすべての怒りが風化されないまま生きている。

 

中学生をすぐに不登校になったことにより失敗経験やトラウマ記憶などに穢されていない世界史の話は聞いていて楽しい。他の科目は独学で理解をするのが難しいが、物語を楽しむ娯楽のように読めるのでいいものだ。もしかしたら小学二年生の頃にちゃんと不登校になっていれば日本史や理科や英語も楽しめる人間になっていたかもしれない。

胸の塊を取りたい

胸の中に物凄く大きな塊があるようで苦しい。今までの何か詰まったような感覚よりも重い。胸の中がまるごと水で満たされた瓶のように詰め込まれていて空気が入るたびに痛みがある。

 

夫からは一人で病院に行って欲しいと言われる。お金はいくら使ってもいいから時間が欲しいと言われる。だけど私一人だと病院に行くという決断が出来ない。今も常に死にたくてもう自分という存在から逃げたくて、自分に価値なんてないって自分を殺したくなる衝動でいる。だからこそ自分にお金を払うことが物凄く苦痛になる。

 

他の虐待もいじめも受けなかった人達はもっと楽しいことにお金を使っているはずなのに、私は薬や治療費にお金を使わなくてはいけない。こんな何も出来ない人間が健康になって何になる。働けるわけでもないのに。また外に出たら虐げられてトラウマを増やすだけだ。外の人間は私を攻撃することしかないんだ。人が望む普通になれないのに助けを求めて何になるんだ。

 

常にそんな絶望感が胸にある。落ち込んだ時点で病院に行ってねと夫に言われてるけどこんな爆弾のようになった自分が受付をしたり処方箋を貰ったりすることがただただ怖い。病院の中でパニックを起こして歩けなくなったらどうしようとか、ヒステリーになって医者に怒られたらどうしようとか、大嫌いな自分の名前を呼ばれてキレてしまったらどうしようとか。下手に深呼吸してとか言われてももう無理だって怒鳴り散らしてしまうのではとか、もうあらゆることが怖くて、何が救いになるのかわからない。ただただ意識を失ってすぐに自分から逃げてしまいたい。

 

金が無いのに精神病むと死に一直線

家では母の機嫌を気にするよう父に育てられ、外では世間の目を気にするよう母に育てられた私は円形脱毛症のある幼稚園児になったり胃痛で毎日保健の先生から飴をもらって耐え凌ぐ日々だった。

いじめ被害を訴えても無視して社交性がある子供を期待した母は、私が不登校になってから母の理想からも社会のレールから外れて金銭的な希望がなくなった私にあてつけのような振る舞いをするようになった。こんなに人が嫌いで恐ろしく、人といて穏やかを感じない私に母はいつまでも心を開ける友達がいることを期待する。私は何度も自殺未遂をしたり、冷たい水を浴びたり何リットルも水を飲むなどの自傷行為をした。

どこかに拐われたいから始まり自分でない誰かにならなくてはならないというところから、最終的に自分の中に死にたいという感覚が生まれたのだ。

真っ黒焦げの料理が入った熱い鍋を抱えてるような苦痛が自分が生きているということであり、この失敗作を焦げた鍋ごと捨ててしまいたくなるような衝動に駆られる。

トラウマ治療も漢方による体質改善も膨大な資金が要求され、福祉を活用すれば暴言を吐かれる。金が無いと怒鳴らない人に出会うことも治療法を探すことも困難で、解決方法を探せば探すほど死ぬしかないという現実を突きつけられる。常に記憶が溢れ、身体が固まり、破裂しそうなほど死にたいという感情以外がわからなくなってゆく。

死にたいという感情でパニックになる頻度が上がっていく。生きていることが苦しい。産まれたくなかった。

世間体を大事にした母とゴミ箱の娘

私の母は気が狂ったように世間体を大事にした。

私がパニックになった時も近所の人に聞こえるでしょと、

近所からの目の心配しかしていなかった。

私が自殺未遂をしても救急車を呼ばなかった。

私の命は世間体を前に無価値だ。

 

母は父が嫌いだ。好きな人がいる中結婚したとか、

バイト先で好きな人が出来たとかそういう話をする。

反抗期の私よりも母は父を嫌っていた。

私は父から母を理由に我慢しろとか言われていて、

子供を犠牲にした父を無下にする母が、

あまりにも邪魔で憎かった。

父からの愛情を奪う癖に愛情を注がず、

世間体というものに貢ぐ母が気持ち悪かった。

世間体という新興宗教にハマって、

家族を犠牲にする人殺し同然の親だ。

 

もう貴方に愛情を持てないと言う母を、

父は相変わらず腫物扱いはすれど手放さない。

母から避けられている父は子供の苦労を知らない。

母に理想像を押し付けられ人格否定され、

愚痴聞き役をしたり潔癖な家事を押し付けられる。

今も兄弟を犠牲に無理やり家庭を続けている。

そんな家庭で育ってしまった自分がとても憎い。

 

最近になって気が付いてしまった。

私には父も母もいないということを。

二人の夫婦ごっこに利用された道具でしかなく、

誰も私を人だと思ってくれなかったことを。

 

異常な量の怒りを抑圧してしまった。

あまりに緩和されない。もう何千文字も書いた。

このブログ以外もいろんな場所で吐き出した。

吐いたり消したり、やってもやっても、

人に話してもあまりにも消えない。苦しい。

美人でもないし能力だってない。

とくに忘れる能力がどこか欠けている。

 

私はどうしたらあの母の存在を忘れられるのか。

新しく母がいたらいいのだろうか。

しかしそんなことをしてももう遅いのだ。

子供の頃から培った感受性がきっと欲しいのだ。

世界が恐ろしくなくて、理不尽に私のせいでなくて、

加害されたら加害された人が悪いとは言わず、

加害した人が間違っているとちゃんと言ってくれて、

傷ついた心をそれは傷ついて当然だと言ってくれるような、

そんな平穏の中で育たなくてはならなかった。

そうしたところからの感性で生きなくてはならなかった。

認知療法のような妄言が現実の積み重ねには空虚で、

自分を傷つけたい衝動から身体からのアプローチも使えず、

八方塞がりになった私はもう手遅れだ。

少しストレスを感じるとあらゆる身体症状が出る。

だから死にたいとか消えたいとかを繰り返している。

不登校になった私がいじめっこより母に死んでほしいワケ

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もうすぐ子供の自殺が多いとされる時期だ。

みんな学校には行かない方がいいと私は伝えたい。

小学生の頃に無理やり学校に行っていた私は、

その頃のトラウマ記憶が20年経っても抜けず、

働けない精神疾患になってしまったからである。

 

私はこの記事を読んで私の母を思い出していた。

私の母は嫌がる私を脅すことで無理やり学校に行かせた。

お前は頭がおかしいから病院に連れて行くと母はいうのだ。

一挙一動笑ってくるクラスに入りたくない。

そう思うのは私が気にしすぎたり人の良い所を見ないから、

私の性格が悪いからというのが母の言い分だった。

 

教科書読むだけで、体育に参加するだけで、

笑われたり怒鳴られる教室だった。

途中から私は胃痛が発生するのが当たり前になり、

保健室で飴を溶かし、胃痛を慰めていた。

 

母は良く学校周りに顔を出していた。

通知表には毎年自信のある子になって欲しいと書いたり、

PTAに参加しては私に愚痴を言ったりしていた。

お母さんは頑張って行ってるのに貴方は何も利用しない。

私は何も頼んでいない。PTAも子供会も。

恨み節を言われたのでその年のクリスマス会には行った。

先生含めてみんなから優しいお母さんだねと言われる。

怒ると家から追い出すんだと言ったらびっくりしていた。

爪を皮膚に立てて無理やり我慢して学校の中を過ごしていた。

こんな生活だけど私は家族から我儘で自己中な子供扱いされた。

 

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不登校は無理やりやめさせると自殺することが増えてしまう。

この記事の通りに私は服薬による自殺未遂。

兄弟はリストカットをするようになった。

私と兄弟は母が世間の目を優先したことでそうなった。

外に出ると外の目だけ母が怖くなる。

助けを求めるはずが母からの足を引っ張る腕が増える。

私は世間体という武器を持った母に虐待された子供だ。

 

母の誕生日は地獄そのものだった。

母の怒りや憎しみが家族にぶちまけられる。

不登校になった私や父に対して攻撃される。

事前に聞いてもサプライズをしても無理だった。

大掃除の時にしかしないような家事まで引っ張りだして、

私が家事をしなきゃいけないと泣き叫んでいた。

父と私は涙目でお互いの顔を見つめ合うしかなかった。

何がいいか聞いたときは笑顔でいてくれたらいいと言われた。

病院に通って薬を飲んでる生活の中で、

それはただの今の貴方であってはいけないという、

人格否定のメッセージとして残り続けた。

誕生日さえ刃物にして襲い掛かった。

 

母は私が中学生に不登校になると加害者を褒めた。

あの子は読書感想文の賞を取った凄い子なのよと。

私の読書感想画の賞は母には何の価値にもならないのに、

会ったこともない同級生の私を傷つけた人の感想文が、

母にとって価値のあるもので、自分を亡き者にすること。

それがあまりに強烈な怒りと自尊の破壊になった。

死にたいと殺したいが交差するようになった。

実際には殺さないので自殺未遂を何度かした。

母は私に人に迷惑かけて馬鹿じゃないのと言った。

私を傷つけた人は尊く私は無価値だった。

 

母は今でも兄弟を利用して施設に通う。

施設を利用しないと私の話し相手がいないからと母は言う。

そのたびに兄弟は親から今の貴方のままでは駄目という、

否定のメッセージを受け止め続けなくてはならない。

 

母は世間体からお母さんであればどうでもよかった。

PTAと子供会に参加してたから立派に育児をしたという。

貴方の不幸を私のせいにしないでという言葉に絶望した。

優しい母が私の苦しみを外から隠してしまったのに、

優しいお母さんがいるから頑張りなさいって、

カウンセラーの人にSOSを突っぱねられたのに、

一人で背負うようなそぶりをしていたくせに、

突然に私の責任だと放り投げた。

それじゃあなんで無理やり学校に行かせたのだろう。

あの時の選択肢をどうして母は奪ったのだろう。

私の学校に行ったことで失った尊厳は戻りようがない。