全く話の通じない毒親に全力で殺してやると言った2022年9月8日のこと

毎日いじめをした加害者のことや助けを求めたときの母の批判の言葉を抱えて自殺したいとか殺してやりたいの衝動に泣き叫んだりとかしている。最終的に学校にいかない選択肢を奪った母に殺してやりたいって気持ちを抱えて生きている。それを聞いた夫は本人に伝えるべきと言った。怒りは第三者に向けるよりは返すべき相手に返す方が正しいとも思っていたが、会話が通じる相手でもないから放置をしていた。

 

今日も今日とてフラッシュバック

しかしふとやることを処理したくなる衝動にかられたので、母に伝えてみた次第である。今回は前回の母からの発言から思うことを伝えてみた。電話した時に母は何があったと聞いた。私はいじめにあってからずっとフラッシュバックに苦しみながら生活しているので何もなかった日なんてよっぽどの病気で頭が働いてない時くらいしかない。熱で苦しんでいる方が楽だと熱を出す度に思うほどには常に記憶が支配しているのだ。

 

とりあえず前回の会話で思ったことを伝えてみた

自分の人生が上手く行ってないのを私のせいにするなというなら過干渉に私の不登校をやめさせるべきではなかった。学校に行かない権利を奪ったのに今更責任がないというのは無責任であると。

母がおかしいのは元々のことである。自分が言ったことを一言も覚えてないという。50代ではあるだろうがさすがに認知症なのだろうか。夫にこの時の話を当日から何度もして矛盾も改変もないことは確認済みだというのに母は作り話でしょと言ってくるのだ。

 

私の母は今まで話を聞いてことがない

母は過去の話をすると

「また過去のことを持ってきて」「過ぎたことなんだからいいでしょう」「貴方の作り話でしょう」「私は何も覚えてないから知らない」

などと言って全く話を聞かないのだが、被害が起きた瞬間に話したところで

「あなたの幻聴でしょう」「あなたが気にするのが悪いんでしょう」「貴方が相手の良いところを見てない」「貴方は性格が悪くて可哀想な人」

など私を責めるような返答しか今までしてきたことがない。つまりどのタイミングで話しても無駄なのだ。私が悪口などの実害を食らっている話を相談しているのに「人のことを悪く言うな」と何故か私に怒る。傷口に塩を塗ることしかしたことがない。母はそれらすべてを忘れている。

 

母はお前は頭がおかしいから病院に連れて行くと脅して学校を休む権利を奪ったことさえ忘れている。当時私が名前でいじめられていること、それで自分の名前が大嫌いだということ、その時に母はこの名前にしたことを謝罪したことも覚えているのに、母は学校で何かあったなんて知らなかったと言い出すのだ。そして言わなくなった時期もあったけど母に脅されてから怖くて言えなくなったと伝えたことさえ忘れている。

 

貴方は夢見がちだから記憶が正しくないとか言いがかりを付けてくる。貴方は嫌なことは覚えてるけどともさっき言っていたのでこの時点で矛盾をしだす発言をしてきた。そもそも母はリアルタイムに被害を訴えても加害者が良い人だとお花畑なことを抜かすので夢見がちなんて言われる筋合いはない。

 

だから私は過去が過去がと言いながら当時起きた瞬間にだって対応したことはなかったと言った。母は貴方の理想通りには出来ないと言ってきたが、そう自覚があるならなぜ過干渉になり続けて自分が子供を世話出来てると思い込んでいるのかと言った。そもそもいじめの主犯格を名指しで褒めるような発言は理想の母親かどうか以前に被害を受けた人間への発言として異常でしかないのではないだろうか。ウクライナ人に「ロシア料理は美味しいからロシア人が攻めてきても仲良くしろ」とか「犬を可愛がるプーチンは思いやりがあるから悪く言うな」とかそのくらいに道理もないことを言う。

母はひたすらに「貴方は私が嫌いだからそう思うだけ」「私だっていろいろ考えてるのとか」あまり中身のないことばかり繰り返していた。正直覚えてないと言われる時点で会話としての継続性がない。

 

とりあえず要件を済ませてみた

私はいじめの被害で苦しんでいたけど、いじめの加害者をお母さんが褒めた時からいじめの主犯よりもよっぽどお母さんを殺したいって思っていたよ。

 

そう伝えると母はただあっそうと言ってきた。貴方がそんな風に思っているなら仕方ないねって切り捨てるように母は言った。それじゃあ私が何を言っても無駄だねと。母はすべて貴方が歩み寄らないのが悪いと言いたげだった。殺したいと思った瞬間からどうにかその理不尽さは何故なのか母を知ろうとしたり自分の伝え方を新しく考えたりしたりしながら、10年間も私が伝えようと努力してきたことを一切知らないようだった。今が幸せならそれでいいんじゃないのと母は言った。

 

そして兄弟に電話を変わる母が兄弟にまた掛け直し来ても面倒だし電話受け取ってよと言っているのも聞いた。私は母の外面のよさで助けを求めても信じてもらえなかったから、お前が本性を隠してるせいで私は誰にも気がついてもらえなかったのにと憎悪がなおのこと強くなる。私の記憶という地続きの土台のようなものを破壊したことが許せない。兄弟とはただ最近の流行りの話をした。

 

電話再チャレンジ

その後に電話を掛け直した。私は幸せだからこそ毎日のフラッシュバックがただただ苦しくて、記憶のフラッシュバックで今を蝕む母がしてきたことが許せないと言った。不登校を無理やり学校に戻した子供は自殺しやすい、子供を殺すも同然のことをした母を私は絶対に許すことはないと言った。不登校をちゃんとさせてくれればこんなにたくさんのフラッシュバックが産まれなくてよかったのに母が無理やり学校に行かせたせいで苦しまなきゃいけない。自殺未遂しても馬鹿じゃないのと言ったりとかさっきの電話も面倒くさいとかそういうことは言うのに、そういう本性を隠して外面だけよくして母親としての甘い汁だけ吸ってそのせいで私はいじめからも虐待から助けられることもなく穏やかな子供時代を過ごせなかった。先生の方がまだ私のことを考えて動いていた。母親の席に貴方がいるから私には母が誰もいなかった。私に母親がいる人生を返して欲しい。

 

母は終始ふーんというだけで、貴方がそう思うならとだけ言った。完全に可哀相な人の話を聞いてあげている私と言わんばかりの対応であった。どうして貴方に幸せでいて欲しいって思っている私に対してそんなことを言うのかと言い出す。

 

だから私が幸せなことで母のしたことはなかったことにはならないと伝えた。私の幸せには貴方の記憶が邪魔だから産まないで欲しかった。他に好きな人がいるなら父と結婚しないでくれればよかったし、故郷の長崎から一生出てこなければよかったと伝えた。母はもう何を言ってもふーんとそうと貴方はそう思うのよねの繰り返しだった。

 

話したけれど相変わらず不気味な母

私は母にどうして貴方がそんなにおかしいのか母の親族に聞きたいという話をした。親代わりのようだった叔父には連絡していいか聞いたら、叔父はすぐ都会に行ったのでそんなに子供時代を知らないと返してきた。さっきまでの会話は何もなかったようにお互いやりとりをした。

 

私が父が母と結婚するために挨拶に行った時の話を聞いたときに、祖父も祖母も終始無言で叔父が代わりに意思疎通をしていたという話を聞いて本当にそうなのかを母に聞いた。さっきの話だと叔父は都会に行ったくらい祖父祖母は終始介護が必要だったわけでもないことを知り、なおさら叔父が結婚の挨拶のやりとりを代わりにしているのが変だと思った。

母は緊張してただけとは言うが、私は祖母が聖書を朗読していたことを知っていたので流石に終始無言なのは変じゃないと返した。そして母は私は久々にお母さんに会えて嬉しかったからキッチンで料理を手伝っていたのと言った。私はそんなに和やかなら終始無言だったって感想にはならないよね。まさかお父さんの言葉にまで記憶を改ざんしているって言うのかと言った。

なんだかおかしいよと母に言った途端、今まで私の言葉になんの感情もなかった母が突然「なにがおかしいの」「どうしてお母さんを悪く言うのー!!」と突然泣きだした。そしてその後に電話は切れてしまった。

 

とりあえず電話を掛け直すと兄弟

お母さんに何を話したの?すっごく泣いてるよと兄弟が凄く焦った声で言ってた。どうやら母は裏で「お母さんのこと悪くいったー!」「もう電話に出たくないー!」など泣きわめいているようだった。それを聞いた兄弟は育てて貰った人のことを悪く言っちゃだめだよと言い出す。母が兄弟にしてきたあらゆる発言を覚えているだけに兄弟はこんな奴に健気さ向ける必要はないのにとで悲しくなるが、とりあえず母から聞いた祖母の話をした。

・(未就学児を夜に)家から追い出すのが普通のことだと言っていた

・母は末っ子で私への育児に飽きていた

・私の食パン一枚しか朝ごはんがなかった(から頑張って私は作ってる)

キリスト教の礼拝をサボって豹変したように凄く怒られた

 

などと言った話をした。ちなみに社交的とか美人だったとかそういう褒め言葉は聞いたが、親子関係には全く関係ないことしか褒めていない。

 

祖母に執着する母と巻き込まれる家族

母の祖母への執着は相当なもので、父が帰ってくるのが遅くて祖母の危篤に向かうのが遅れたという理由で父のことをずっと嫌っている。冷静に考えると神奈川に移住した母は父の転勤のおかげで神奈川にいる頃よりは祖母のいる故郷に近くなっている。だからこんな理由でずっと嫌われている父には同情せざるを得ないが、それだけ母は祖母が関わると情緒不安定になる。ワンピースのビックマムもマザーカルメルが絡むと大変なことになるが、マザーカルメルと違って私の聞いた祖母情報は別に優しくもなんともない。

 

こうして思うと母はストックホルム症候群のまま結婚して母親になってしまったのではないかと思う。やはり母も虐待はされてきて、母に褒められるような家庭を作ること以外何も考えていなかったのではないかと思わざるを得ない。

 

それにしても私がどれだけ悪く言われても私は母から我慢しろとしか答えられなかったのに、母は祖母が悪く言われたと思うと泣きだすのだ。私は母から今まで本当に何の情も向けられてなかった事、それなのに父や世間の目を前にすると散々猫をかぶって子供思いの母親なのにこの子が悪さをしているんですとあらゆる場所に出向いていたことが本当に気持ちが悪い。本当にこの親から生れたくなかったし意思疎通が出来る親と健全な幼少期を過ごしたかったなと思った。

 

後日談

母に再び電話したがもうすべてが作り話だと言われるだけになった。私がいじめられてたのを途中言わなくなったのは母が「お前は頭がおかしいから病院に連れて行く」と脅したからなのも言った本人は貴方の頭の中の母親の話なんでしょって鼻で笑うように言うだけだった。私は自傷行為をしながら無理やり学校に行って今もフラッシュバックを繰り返しているが、本当に私はなんで学校なんかに行かなくてはならなかったのだろう。母の中で私のトラウマはすべて全くなかったことになっていた。

 

母はひたすらに話を発達障害の貴方が発達障害であることを知らなかったけど、それは貴方が発達障害だからであって私は悪くないという話に変えようとしていた。私は発達障害に産んで欲しくなかったとは言うが、気づかなかったことに対しては文句を言っていない。世代や知能指数を思えば気づくことは難しいからだ。そして今となっては高齢の父から生まれた結果であるので母一人に発達障害に生まれた責任を問うことはないが、無理に学校に通わせて複数の精神疾患の診断やフラッシュバックがついて回る人生になったことはどうしても許せない。

 

いじめがあったことを訴えても無視することは子供が発達障害かどうかなんて関係はないのではないだろうか。子供の訴えを聞いたり信じたりすることが発達障害の理解があるかどうかには関係ない。ましてや被害に合った人を前に加害者を褒めだして貴方は人の良い所を見て許しなさいと言い出すような人間は子供の発達障害や世代が悪いと言う言葉で言い訳がつくものではないだろう。

 

世の中の人々は親は話せばわかるとか、生きていれば親心がわかるとか、親と絶縁しない生き方もあるとか、いろいろな価値観を語ってもいるが、私はこんなモンスターのような存在は親かどうか以前に人として意思疎通に無理であるので、絶縁して何年か経ってまた話してみて、距離感を少し近づけるようなことや母を理解しようとすることはどうしても無理だと思った。ここまで人の存在をないがしろにする人は顔見知りにだってならない方がいいくらいなのだ。

 

私は母を忘れられないんだろうか

私の人生は母から理想を要求され叶えられず虐げられ続け、そのこともまるごとなかったことにされ、私は母の中で完全にいない存在になっていた。だけど私は毎日のようにフラッシュバックして苦しんで、薬を飲んで病院に行ってごくまれに役所で障碍者として役所で更新をするという人生を送っている。自分を褒めるとかタッピングするとか自力でやるようなものは反動で自傷をしてしまうのでことごとく失敗している。EMDRをするには数も多く期間も長く、費用を考えてもあまり現実的ではない。記憶はあっても記憶や感情の処理をする方法は結局私は持っていない。誰かこんな親から生まれた私の人生に安楽死の権利をください。というか最初から生まれたくなかったな。