金が無いのに精神病むと死に一直線

家では母の機嫌を気にするよう父に育てられ、外では世間の目を気にするよう母に育てられた私は円形脱毛症のある幼稚園児になったり胃痛で毎日保健の先生から飴をもらって耐え凌ぐ日々だった。

いじめ被害を訴えても無視して社交性がある子供を期待した母は、私が不登校になってから母の理想からも社会のレールから外れて金銭的な希望がなくなった私にあてつけのような振る舞いをするようになった。こんなに人が嫌いで恐ろしく、人といて穏やかを感じない私に母はいつまでも心を開ける友達がいることを期待する。私は何度も自殺未遂をしたり、冷たい水を浴びたり何リットルも水を飲むなどの自傷行為をした。

どこかに拐われたいから始まり自分でない誰かにならなくてはならないというところから、最終的に自分の中に死にたいという感覚が生まれたのだ。

真っ黒焦げの料理が入った熱い鍋を抱えてるような苦痛が自分が生きているということであり、この失敗作を焦げた鍋ごと捨ててしまいたくなるような衝動に駆られる。

トラウマ治療も漢方による体質改善も膨大な資金が要求され、福祉を活用すれば暴言を吐かれる。金が無いと怒鳴らない人に出会うことも治療法を探すことも困難で、解決方法を探せば探すほど死ぬしかないという現実を突きつけられる。常に記憶が溢れ、身体が固まり、破裂しそうなほど死にたいという感情以外がわからなくなってゆく。

死にたいという感情でパニックになる頻度が上がっていく。生きていることが苦しい。産まれたくなかった。