不登校になった私がいじめっこより母に死んでほしいワケ

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もうすぐ子供の自殺が多いとされる時期だ。

みんな学校には行かない方がいいと私は伝えたい。

小学生の頃に無理やり学校に行っていた私は、

その頃のトラウマ記憶が20年経っても抜けず、

働けない精神疾患になってしまったからである。

 

私はこの記事を読んで私の母を思い出していた。

私の母は嫌がる私を脅すことで無理やり学校に行かせた。

お前は頭がおかしいから病院に連れて行くと母はいうのだ。

一挙一動笑ってくるクラスに入りたくない。

そう思うのは私が気にしすぎたり人の良い所を見ないから、

私の性格が悪いからというのが母の言い分だった。

 

教科書読むだけで、体育に参加するだけで、

笑われたり怒鳴られる教室だった。

途中から私は胃痛が発生するのが当たり前になり、

保健室で飴を溶かし、胃痛を慰めていた。

 

母は良く学校周りに顔を出していた。

通知表には毎年自信のある子になって欲しいと書いたり、

PTAに参加しては私に愚痴を言ったりしていた。

お母さんは頑張って行ってるのに貴方は何も利用しない。

私は何も頼んでいない。PTAも子供会も。

恨み節を言われたのでその年のクリスマス会には行った。

先生含めてみんなから優しいお母さんだねと言われる。

怒ると家から追い出すんだと言ったらびっくりしていた。

爪を皮膚に立てて無理やり我慢して学校の中を過ごしていた。

こんな生活だけど私は家族から我儘で自己中な子供扱いされた。

 

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不登校は無理やりやめさせると自殺することが増えてしまう。

この記事の通りに私は服薬による自殺未遂。

兄弟はリストカットをするようになった。

私と兄弟は母が世間の目を優先したことでそうなった。

外に出ると外の目だけ母が怖くなる。

助けを求めるはずが母からの足を引っ張る腕が増える。

私は世間体という武器を持った母に虐待された子供だ。

 

母の誕生日は地獄そのものだった。

母の怒りや憎しみが家族にぶちまけられる。

不登校になった私や父に対して攻撃される。

事前に聞いてもサプライズをしても無理だった。

大掃除の時にしかしないような家事まで引っ張りだして、

私が家事をしなきゃいけないと泣き叫んでいた。

父と私は涙目でお互いの顔を見つめ合うしかなかった。

何がいいか聞いたときは笑顔でいてくれたらいいと言われた。

病院に通って薬を飲んでる生活の中で、

それはただの今の貴方であってはいけないという、

人格否定のメッセージとして残り続けた。

誕生日さえ刃物にして襲い掛かった。

 

母は私が中学生に不登校になると加害者を褒めた。

あの子は読書感想文の賞を取った凄い子なのよと。

私の読書感想画の賞は母には何の価値にもならないのに、

会ったこともない同級生の私を傷つけた人の感想文が、

母にとって価値のあるもので、自分を亡き者にすること。

それがあまりに強烈な怒りと自尊の破壊になった。

死にたいと殺したいが交差するようになった。

実際には殺さないので自殺未遂を何度かした。

母は私に人に迷惑かけて馬鹿じゃないのと言った。

私を傷つけた人は尊く私は無価値だった。

 

母は今でも兄弟を利用して施設に通う。

施設を利用しないと私の話し相手がいないからと母は言う。

そのたびに兄弟は親から今の貴方のままでは駄目という、

否定のメッセージを受け止め続けなくてはならない。

 

母は世間体からお母さんであればどうでもよかった。

PTAと子供会に参加してたから立派に育児をしたという。

貴方の不幸を私のせいにしないでという言葉に絶望した。

優しい母が私の苦しみを外から隠してしまったのに、

優しいお母さんがいるから頑張りなさいって、

カウンセラーの人にSOSを突っぱねられたのに、

一人で背負うようなそぶりをしていたくせに、

突然に私の責任だと放り投げた。

それじゃあなんで無理やり学校に行かせたのだろう。

あの時の選択肢をどうして母は奪ったのだろう。

私の学校に行ったことで失った尊厳は戻りようがない。