世間体を大事にした母とゴミ箱の娘

私の母は気が狂ったように世間体を大事にした。

私がパニックになった時も近所の人に聞こえるでしょと、

近所からの目の心配しかしていなかった。

私が自殺未遂をしても救急車を呼ばなかった。

私の命は世間体を前に無価値だ。

 

母は父が嫌いだ。好きな人がいる中結婚したとか、

バイト先で好きな人が出来たとかそういう話をする。

反抗期の私よりも母は父を嫌っていた。

私は父から母を理由に我慢しろとか言われていて、

子供を犠牲にした父を無下にする母が、

あまりにも邪魔で憎かった。

父からの愛情を奪う癖に愛情を注がず、

世間体というものに貢ぐ母が気持ち悪かった。

世間体という新興宗教にハマって、

家族を犠牲にする人殺し同然の親だ。

 

もう貴方に愛情を持てないと言う母を、

父は相変わらず腫物扱いはすれど手放さない。

母から避けられている父は子供の苦労を知らない。

母に理想像を押し付けられ人格否定され、

愚痴聞き役をしたり潔癖な家事を押し付けられる。

今も兄弟を犠牲に無理やり家庭を続けている。

そんな家庭で育ってしまった自分がとても憎い。

 

最近になって気が付いてしまった。

私には父も母もいないということを。

二人の夫婦ごっこに利用された道具でしかなく、

誰も私を人だと思ってくれなかったことを。

 

異常な量の怒りを抑圧してしまった。

あまりに緩和されない。もう何千文字も書いた。

このブログ以外もいろんな場所で吐き出した。

吐いたり消したり、やってもやっても、

人に話してもあまりにも消えない。苦しい。

美人でもないし能力だってない。

とくに忘れる能力がどこか欠けている。

 

私はどうしたらあの母の存在を忘れられるのか。

新しく母がいたらいいのだろうか。

しかしそんなことをしてももう遅いのだ。

子供の頃から培った感受性がきっと欲しいのだ。

世界が恐ろしくなくて、理不尽に私のせいでなくて、

加害されたら加害された人が悪いとは言わず、

加害した人が間違っているとちゃんと言ってくれて、

傷ついた心をそれは傷ついて当然だと言ってくれるような、

そんな平穏の中で育たなくてはならなかった。

そうしたところからの感性で生きなくてはならなかった。

認知療法のような妄言が現実の積み重ねには空虚で、

自分を傷つけたい衝動から身体からのアプローチも使えず、

八方塞がりになった私はもう手遅れだ。

少しストレスを感じるとあらゆる身体症状が出る。

だから死にたいとか消えたいとかを繰り返している。