社会に溶け込めたことのない私

私は学校の中では悪い意味で悪目立ちしていた。目立つことを考えていたわけでもないし、同級生に積極的に話しかけるわけでもなかったけれど、転入者として学校に入っていじめのターゲットになってそれに合わせて周りの男子も面白がって私を馬鹿にするようになった。そうすると何をするのも怖がるし、失敗するようになって、パニックを起こしやすくなった。そうすると人と同じように出来ない私はますます嫌われていった。別に一人で授業中に絵を描いてるだけで笑われるし、音読しても笑われる。学校にいる間はずっと辛かった。

 

だから私は落ち着いて人の中に溶け込む感覚は今も先もわからないままでいる。どんどんフラッシュバックする記憶の量も増えて行って、目の前の出来事よりも過去の出来事のボリュームの方が多くなっていくのだ。私にとって落ち着いた場所というのは外にはろくにも存在しないのである。人が私を攻撃してこない環境のイメージが全然湧かない。自意識過剰という言葉があるけど、本当に人から何も言われたことのない環境に生まれた人間には、他人からいい意味で放置される環境というものが浮かばないのである。母の過干渉とか、父が笑いものにしてくることとか、同級生が馬鹿にしてくることとか、父まで私に私の日常の中には私が私であってはいけないというメッセージが常に存在していたから、そう思わなくていい感覚がよくわからないでいる。

 

私には親から愛されなかっただけ、愛情飢餓感と同時に自分という存在が良い意味で放っておかれたことがないので、人から承認されたい感覚よりも一人でいたいという感覚の方が勝ってしまうところがある。何かあっても助けて貰えないという記憶もあるから、ひたすらに怖くて、もうひきこもること以外にどうしようもなくて辛い。無理せずにという話があるが、私には人の存在そのものが無理をする行為そのものだ。人が語るような人といる幸福と縁がなくて、人の笑い声も煩わしいものとしか思えない。他者との交流のために自尊心を搾取されることが重なると、笑い声が恐ろしいものにしか思えなくなる。