学校に行かなくていい法律が生まれる前に不登校になり精神病になった失敗作の私の人生の意味はなんですか

外で小さな子供が防音イヤーマフをつけていたのを見て、私は自分との待遇を比較してかなり落ち込んでいる。私は生まれた時代を間違えたと思うことがある。

 

復学が目標の時代の不登校だった私

私は一挙一動を笑われたりいじめられたりする学校生活を過ごした。小学校低学年頃に高圧的な教師や同級生と一緒にいじめをする教師と過ごし、転校した後は5年に近くに渡る同一人物からの執拗ないじめとか、同級生に笑われたり怒鳴られたり影口を言われたりして、私は自尊心を大きく失うような生活を過ごした。進学後もいじめに合うようになり、学生の声を聴くのが今でも怖くて通学時間を避けて外出するような生活をしている。

 

私には誰も味方がいない

母は頭がおかしいから病院に連れて行くと脅すことで無理やり学校に行かせた。母は一時は貴方が発達障害なのを知らなかったとか言い訳をした後、最終的に精神病の貴方が私の言動を妄想で作ったんでしょうと言い出すようになった。

 

5年間執拗にいじめをしてきた生徒は先生がいない瞬間に隙あらばいじめを行うので、私は自然と担任を職員室前で待ったり保健室で極力過ごすようになった。いじめてきた同級生とは違う同級生からえこひいきだと責められ肩身が狭かった。生徒たちは別に私へのいじめを止めてくれるわけではないから、一緒にいる理由がわからなかった。

 

同級生と仲良くしてほしいという圧の強い担任になった時は執拗にいじめをする生徒と同じクラスにさせられて結局いじめっ子に毎日入念に机を拭かれてはお前の机はこんなに汚いとクラス中に晒しものにされるという仕打ちを受けて地獄だった。泣きながら拭きに来る前に自分のハンカチで必死に拭いてもどうにもならなかったことをよく覚えている。

 

そんな不信感を膨らませる日々の中で私が理科のグループのリーダーにさせられたときは本当に最悪だった。私は泣いていたし、みんなは呆れていた。

 

こんなことがあったので私は子供に子供らしさを望む大人に対して憎悪を抱いているし、プリキュアのような明るい子供を期待する作品を気持ち悪いと思っている。オタクに優しいギャルが幻想であるように、内気な子をクラスが受け入れて前向きになっていくドラマだって幻想なのだ。

 

中学に行っていじめに合い、ようやく不登校になった後もフリースクールに通わされ、学生が恐ろしいのに通わされる挙句、自分をいじめてきた人たちがいる場所に戻ることをニコニコと勧めてくる大人達に根本的には味方ではないのだろうなと悲しくなった。

 

発達障害の自分を誰も許してくれない

母は発達障害を知らなかったから行動したので私は何も間違っていないと言う。現実にはわかった後もイヤーマフをつけないと生きていけなくなるから付けてはいけないと責めて使わせなかったので、発達障害と知っていたところで根本的に味方にはならないのだ。母は発達障害である私を拒絶した。表では発達障害に理解があると言い、施設にも通って育児に積極的な親であるそぶりを見せたが、現実には普通の子供と同じ子供でない貴方は責められて同然だし幸せになることが許されないという態度で一貫していた。

 

私はそんな母をイヤーマフをつけた小さな子供を見て思い出した。私はイヤーマフを付けたことがないわけがない。家を出た後に夫が買ってくれたイヤーマフをつけて頭が痛くなることを知っているので、イヤーマフをつけてまで集団の賑わいに溶け込まなきゃいけない世界なんて糞くらえという気持ちではいる。

 

多様性の中におそらく私は入っていない

今も発達障害の医師は多様性の時代なんだよと呑気に語っていたが、私のように精神病になり自尊心が根こそぎ奪われた人間が多様性という言葉の許容範囲にならないのは理解している。最低限に出来ることをやった上での自由の話で、それが私と違って何でも出来る医師からはわからないことなのかもしれない。いつも世界はみんなが手を取り合って輪になることばかりを語り、一人でいることを許してくれない。誰かが誰かを受け止めてくれるっておとぎ話ばかりして、結局私は努力していないから嫌いだとつまはじきにされるだけだ。

 

私は国の失敗作だ

こんなすべての出来事は、無理やり学校に行かなければいいルールが出来れば済むことだった。国が税金を払って私に多くの精神疾患を煩わせたも同然だ。しかし国は治療費にはまともに金を払おうとしない。自助は自傷の衝動で失敗した。薬で防げる症状はあるが、根本的な人へのトラウマや自分が壊れてしまった部分を解決することにはならない。

 

私はいまだに自分がどうしたらいいかわからない。国が用意した発達障害の施設だとか支援だと語るような集団からモラハラをされたり、人から虐げられる頻度が高くて、何をしても失敗して、ただ敵意と無気力感と自己嫌悪しかない殺された後の心が、あらゆる行き詰まりを自分への攻撃性へ変換するので、最終的に好奇心が物事に湧かなくて追い詰められている。私って何で生きてるんだろう。