発達障害者の敵は発達障害者である

私は遠い昔に烏山病院に行き、重ね着症候群を指摘されたものの、デイケアに通える距離では全然ないので通わなかったということがある。当時通院していた病院の医師からは「烏山病院のデイケアは東大出身の人もいるから劣等感で辛くなるし、発達障害者の人と関わると失言が多くて傷つきやすいから違う所に入った方がいいかも」と言われた。インターネットを見ていると発達障害者同士で関わる危険性がわかってくる。

 

この前もTwitterでは反芻思考を性格や本人が逃げているのが悪いと批判している人がいた。この人はおそらく発達障害を理解していると自称しているが、フラッシュバックの症状が重い発達障害者のことを知らないのだと思う。

 

私はもう最近は自分をコントロール出来ないことそのものに絶望している。どんな言葉を頭に並べても頭の中では過去の絶望の瞬間や抑圧された怒りが溢れ出して、次第に身体が痺れて動けなくなる。パニック障害のような症状だが、命の危機を感じているというよりは、世の語る普通を振る舞えない自分がまた迫害されることが恐ろしいのだ。

 

私はここで何度も語るのだが、記憶力が強くて辛い発達障害者と、記憶力ではない障害で困っている発達障害者を同じ発達障害者として扱うべきではないと思っている。発達障害者のすべての人生が絶望に包まれているわけではないが、少なくとも虐待いじめ引っ越しが悪魔合体して解離やフラッシュバックで医師との会話すらままならない私は、発達障害者としての解決方法でどうにかなる地点をとうに過ぎている。

 

私のような発達障害者は、他の発達障害者からも理解はされない。自分たちは努力をしているのにこの人は言い訳をして楽していると責め立てられて終わるのだ。何かしても人から遅いとかやる気がないとか批判され、しなくても人格否定をされる。私には安全な場所はどこにもない。