一人に成りえない生き物

医師の言葉でパニックになって一か月後、夫に引っ張られて辛うじて行くことが出来た歯科によると、横に生えた親知らずの影響でとんでもなく腫れてたらしい。飲んだ抗生物質と合わせて飲んだロキソプロフェンによって、頭の倦怠感と胃痛に悩まされている。どうしてこんなにロキソプロフェンが胃に合わないのだろうか。昔はもっと飲めていたはずなのに。

 

歯科の医師によると最近寝不足とかありましたか?と聞かれたが医師の言葉でパニックになってから私はずっと寝不足だ。夜に眠る方法をすっかり忘れてしまった。睡魔に倒れる以外にどうやって眠りに持っていくのだっけという状態がもうずっと続いているのだ。薬の効果か飲めば少しは眠くなるような気がするようで、胃がキリキリとして普段と違った眠り辛さがある。

 

私はこんなことの為に通院してたんじゃなかったのにと虚しくて仕方ない。人と会えば会うほど壊れていくことが心細くてたまらない。どんどん壊れていく悪循環の中にいる自分が怖くて縋るものが欲しいのに、何も見つからない。

 

最近は作品やキャラクターの供給を得ようにも、すっかりソシャゲが増えて金銭的負担は高くつくようになった。Vチューバーなら動画を見る上ではタダなのだろうが、声の完成度に欠けてしまうし、俗っぽくてどうにも好きになれない。

 

私が好きだった作品のキャラクターが、何もかも始まっては終わるだけだと語っていたが、最近はそれを実感する。すべてのキャラクターが物語の登場人物であり、華々しい演出の後は締めくくられて終わりを迎えてしまう。生き生きとしたキャラクターという芸術品が好きなのであって、私にとっては人は複雑で不気味な存在なのだ。

 

しかし私という存在はそれでもキャラクターが必要なのだ。その時にハマっているキャラクターを借りて喋ったり動いているので、キャラクターを得ないと電池のない機械のようになってしまうのである。そしてその供給を得るためのコイルのようなものも、少しずつ壊れてきている気がする。夫からは何か好きなものを自分で見つけるように言われるが、キャラクターを好きで居続けないと私の心臓の鼓動は止まってしまうのだ。

 

しかしそうすると結局自分を構築する方法は見つからないわけで、私はどうしても何ひとつ自分の生き方を見つけていない、まだ一人の人間として生まれてすらいない生き物なのかもしれない。