ADHDも死ぬほど辛いよねって話

インターネットで診断書を貰って自殺している人を見た。そこには診断書に短い文章しかなかったけれど、その診断名のひとつにどれだけの重みがあるのか人々が理解することは簡単なことではないだろう。ADHDだけで自殺を選ぶな、もっと苦しんでいる人たちがいるという軽率な発言を見て思ったことを書いていきたい。

 

二次障害がない発達障害はごく少数なのではという話

ADHDというものは薬を飲めば改善すると言われているものの、二次障害なくADHDだけを抱えて生きている人は少ないのではないかと思う。子供の頃から療育を受けて社会に問題なく適応出来て親から発達障害を理解されて愛されている日本人なんてピラミッドの頂点の如き少数しかいないのではないだろうか。

 

大体の人間は親から普通の子供と比較されて絶望したりとか、発達障害の症状で人から嫌われたりとか、薬が効くことよりも薬の副作用が顕著であったりしてままならず、自尊心を失ったり二次障害を起こしているのだと思う。自殺者と似た年齢である兄弟は親が発達障害に理解はないし療育もないし精神疾患を抱えている。

 

ADHD自閉症が混ざっている人の多さ

ADHDは薬を飲めば多動や集中力の問題が解消するとは言われるが、アスペとネットで揶揄されがちである自閉症においてはまともに機能する薬がなく、ADHD自閉症を併発している人が少なくない。薬を飲めば解決するなんて簡単なものではない。

 

ここに二次障害が増えるとさらに災難なことになる。抑うつ状態やPTSD発達障害のタイムスリップ現象)やそれに伴う解離であったり、依存症の併発や自律神経の失調に慢性疲労症候群もある。ここで薬の副作用が出やすさがさらなる重荷になるのだ。薬で助かるADHDなんて少数なのである。

 

みんなと一緒にの社会で人と違う苦しみ

ADHDの診断があったからと言って別にどうしてくれるわけでもないことが一番の問題だ。聴覚過敏なら防音イヤーマフをつけて行けばいいとは言うが、ヘッドホンのような見た目をして挟み込むように圧迫してくる産物なので常につけていられるものではない。そんなものを付けないで一人でいた方がいいに決まっているのに、必要ではない騒ぐようなものごとに参加させられることが子供時代は多かった。私の母は私が母にされて傷ついたことを話しても妄想で作り上げた別人だと言い張るが、今でもディズニーランドで暗闇や物音が怖くて泣いた私のことは忘れず憎んでいるようだった。普通の貴方と普通の私でなければ親子関係さえ生まれないのだ。

 

発達障害という診断をされた上で、人の輪の中にいることをゴールとする人たちが多すぎるように思う。コミュニケーションが苦手だという情報が有名なのに友達作りを目標にしたりとか、みんなでご飯を食べる方が美味しいとか、そういうことを生真面目に信じて、どうしてこんな簡単なことが出来ないのと責めてくるのである。人々が語る幸せはその人の幸せとは限らないのだが、それさえ認知の歪みの一言で片づけられがちである。

 

医師に話しても解決しないことは多い

医師に私がフラッシュバックを相談したときには、他の患者も同じことで悩んでいて困っているという話をしていた。医者でも解決出来ない発達障害と診断された人間の困りごとはたくさんある。他の医師と話した時も、発達障害の人は自律神経が常に悪くなりやすいので仕方ないというような話しぶりであった。

 

そういうわけで薬や医師だけで解決しないことは本当に多い。私から言えることはなるべく二次障害が増えない人生になるように親ガチャなどの人選で当たりガチャを引き続けることしかないということだ。

 

発達障害は一筋縄ではいかない

私は医師ではないので自分や書籍で知っていることを語るだけだが、それだけでも発達障害で楽であるということがほとんどないことは確かだ。政府や支援施設のいい例のように社会に溶け込める人なんてごくわずかなものなので、他人の診断書を軽視することはやめた方がいいのである。病院変えれば診断書も変わる。私の医師はあえて診断名を教えない方針だったが私の悪化ぶりを見かねてすぐに発達障害があれば教えるようになったと言ってたから、教えない医師がいる可能性もある。

 

自殺者が何を抱えているのか私が知る由もない。とりまく環境もわからない。バイクで一人で日本一周出来ても死ぬのはなぜかと言われると私だったら所属することが困難だからで説明できる。もちろん当人はどう思っていたかは不明だし、色々な人たちが自殺者に否定の言葉を投げかけるだろうが、その人達は自殺者が生きていたところで何も気に止めはしないだろう。当然理解のある彼や彼女にもならないし、会社で雇おうとは思わないし、生活保護や年金を貰って一人で生きていても死んでほしいと言う。構ってほしいからとか承認欲求がとか他人という名の自分のような存在が必要であったと思い上がっている。今日も生存バイアスで自分は人生を知っている気になって酔っている癖に他人が悩んでいることは無知で酔っていると言って馬鹿にするのだ。

 

発達障害の苦しみというのはそういう人間ばかりが干渉してくることだ。何かに酔った人間がウザ絡みする以外は大半の人間は面倒なので近づこうともしない。インターネットの外部でなく、現実であるとさらに災難なのだ。

 

一人で楽しいが発達障害で何よりも資産であること

人選で当たりを引くのは難しい。結婚に逃げるとか言ったところで性別や年齢で縛りのある事だと思う。おすすめなのは一人でいる楽しみを覚えることだ。有名な発達障害の人も言っていた気がするがその人は本のことを言っていた。私の場合はゲームであった。耳で音を聞いて手で操作をして目で情報が入るくらいの方がフラッシュバックが起こりやすい私にちょうどいいようだった。

 

そして世の中が一人でいてもいいというメッセージを発していくことが必要だと思う。一般的には孤立をするなというのが定番だが、そう言ったところで発達障害の人間を受け入れようとする人なんてほとんどいない。支援施設でさえ差別的だったので現実にはそうである。

 

少なくとも子供の頃の私にはそういうメッセージが必要だったからそう言っている。友達はいらないけれど友達がいなくても自分は存在していいというメッセージが私には必要だった。それが今更あっても壊れてしまったものは戻らないから私にはもう手遅れなのはわかっている。記憶のゴミ箱が爆弾のようになった私の願いだ。

 

そして生活保護障害年金は積極的にみんな使ってほしい。甘えられる家で育った人間の戯言なんて気にせず、自立して働かないと実家から出てはいけないなんて縛りをやめてほしい。親子関係が辛い発達障害の人たちは医師から診断書とか貰って生活保護申請して一人暮らししてほしい。役所も親族に連絡せずとも積極的に受け入れてほしい。療養するはずが家でモラハラ受けてる間に精神疾患が増えていくの本当に大変だし今でも出てきた症状治らない。自立や孤独に悩むのは人権のない家庭から脱してからでいいのではないかと思う。