家族という格差

父はよく自分のことを馬鹿だと主張する。父は中卒なことがコンプレックスなのである。しかし父が問題なのは中卒なことではなかった。

父の問題点は精神疾患を抱えた私や妹がいるような状況で、小学生の子供も朝から電車に乗って通学しているのにと比較してくるようなところである。武蔵小杉で朝から電車に乗って通学するような小学生と、精神疾患になった地方都市の駅から徒歩三十分の場所の場所に住んでる姉妹を比較なんてあまりに文化圏が違いすぎて馬鹿げているだろう。

父は自分が中卒であることにはコンプレックスを持っている癖に、他の人間にも得意不得意があると認識していない。父の口癖は手足があればなんでも出来るだった。その癖俺は馬鹿だからとか目が悪いからとかいろいろ理由をつけては何もしない。良い事があれば日頃の行いが良いからだと言う。父は子供がトイレで失禁した様を笑ったり、髪が癖毛なのは性格が悪いからだと言ったりして、正直何がいいのか全然わからない。

おそらく父が言いたいのが、自分は他人の穴を埋めるくらい出勤して給料を稼いでいることなのだ。父の自己肯定感は仕事をすることで養われるものであって、家の存在は全く関係がなかった。それならまるで父は金に対してはあまり文句を言わないのかと思えば、子供の頃は笑いながら子供を金食い虫だというような人間だった。気前よく連れて行ったはずのファミレスではメニューを選ぶのが遅いとキレ散らかす始末であった。途中から飲食店が食べ放題のみになったのはこうしたいざこざを避ける為である。

父は優しい時もあったが、私の価値は会社と母には遠く及ばぬもので、そうしたものの為に私と言う存在がそのままでは許せないような人間だった。最後の最後まで、いつか病気が治って働けるようになるとか呑気なことを抜かしていたし、どんな励ましの言葉も最後にはだからお母さんに迷惑かけるなよが付くことがとても寂しかった。

父親が育児に非協力であるというのは、発達障害や育児においてはよく言われる話である。それに比べてお母さんは本当に熱心で発達障害を理解している。という風に世間では思われるが、私の家庭においてはそうではなかった。

 

発達障害だと診断されるのが遅かった。正確には医師が意図的に言わなかったらしい。私という失敗例を見てからは言うようになったようである。

わかるのが遅い年齢だからインターネットでは普通に発達障害の情報もあるし、自分で調べればどんなものが必要なのかもわかった。しかし母はそれを嫌がった。防音イヤーマフを私は付けることが許されなかった。他の人と同じように出来なくなると言われた。既に出来ない状態でそういうことが理解できなかったが、母は普通の子供がいる親でいたかったのだ。

発達障害の親のすべてが子供を優先しているわけでも、子供を愛しているわけでもない。病院や施設は親が子供を愛している前提で動こうとする。私は違った。母は世間を愛していたが私のことはわりと真面目に死んでほしいと思っていた。フラッシュバックが酷い私が記憶が飛ぶような酷い発言を母は何度もしてきたし、いじめでは起きなかった自殺未遂を母の言葉で二度か三度ほどした。

いじめにあった時には母は加害者を褒めた。私が能力がないと大切にされないと思うのは、家族による差別の積み重ねだった。私は私であってはいけないのだといつも医師へ見せるための事前のメモに書いていた。

 

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私はアルビノではなく発達障害だが、同じ発達障害でどうしてこの人は出来るのにあの人は出来るのだろうと悩むことはたくさんある。発達障害の特性の違いがあるとわかったうえでも、どうしてそんなに人が嫌いじゃないのかとか、自分が何かが出来ると思えるのかとか、理解できないことはたくさんある。

 

しかしその裏には親が子供の発達障害とどう向き合ったかとか、住んでいる場所であるとか、経済的な豊かさや夫婦の関係性、いじめやトラウマにあう出来事があったかどうかとか、解離するかフラッシュバックするかみたいな違いがたくさんあるようである。私は親からの学校に行けと学校での私がいなければいいというダブルバインドで苦しんだり、親からの自信を持って欲しいという言葉と、他の人間から加害されてもお前には価値がないから我慢しろという親の態度から、発達障害だけではなく複数の診断名が出されるようになった。

 

人のせいにしてはいけないとか、人を憎んではいけないとか、努力すればいいとか、綺麗ごとばかりを人は好むが、人には悪意があるし誰もが悪意を受けずに生きてこれるわけではない。それを守ってくれる家族がいないこともある。むしろ家族が悪意を向けることもある。忘れる能力があるわけでもないのである。そういう格差を努力という言葉で見て見ぬふりをしていても、トラウマが増えるだけで何一つ良い事はなかった。

 

だから私は病院で発達障害同士で繋がろうという活動をやっていることが心配である。任意参加と言われても、誰もが自分が参加したくないと思えば参加しないでいられるわけではない。少なくとも私は親から人格否定を交えつつ脅されて通わされることになるだろう。