医師の言葉に強烈に失望した話

私は医師になるべく自分のことを説明している。いかに自分が人嫌いであるかとか、こういうトラウマがあるとか、夫婦以外の人間関係なんて形式すらもなく脆くて無価値であり、無能力な私には生涯にわたって縁のないものであると。

 

そんな話をしていると、医師がへらへらと育児ってママ友作りとかしなきゃいけませんもんね。子供が寂しくなるから。なんてふざけたことを言い出した。この医師は自称ADHDのせいか、たまに医師としての見解ではなく適当な自分の感想を呟いてそれが失言になることが多いのだ。私はそのたびにモヤモヤして、そのモヤモヤを言語化したのちに、次回行った時に謝罪の言葉を貰うというのを繰り返していたが、今回の話は流石に謝られても許せる気がしない。

 

医師は私の話を全く聞いていなかったのだろうか。私がどれだけ世間体を気にして友達作りを強制させた母に苦しめられたか全く聞いていないのだろうか。母のママ友を気にする目によってブチ切れられて家から追い出されたりして、どれだけその友達という存在を作ろうとする母親によって苦しめられてたか聞いていたらそんな単語が出ないはずである。私は母が友達作りなんてしなければどれだけよかったと後悔している。母にひきこもっていて欲しい。誰とも会って欲しくないと常々思っていた。そういう話を説明したのによくもまぁそんなことを。

 

私がどれだけ友達を作れという呪詛を切り離すことに苦戦して、この安全の感覚が乏しい世界で今の自分の生活を作ろうとしているかこの医師は知らんのだろうか?あんなに説明してやったのに。毎回行く度に説明したし、その言葉をいう前にも私はそういう話をしたよな。

 

私はそれで酷く失望してしまった。トラウマの専門医だからと転院したのに、よくもそんなつまらない耳が腐るような言葉を言ったなとブチ切れている。金曜日に通院したからもう三日は毎日のように苛立っているのだ。

 

私は家から出るまでずっと母親の気を遣ってきた。母親の顔色を伺うように父に言われながら育ってきた。子供時代に搾取されてきた自分にとって、大人になっても自己犠牲をすべきという価値観を医師から聞かされて私は酷くショックを受けている。本当に自己犠牲を美徳だと思ってそれを自他に押し付ける人間がどれだけ人を苦しめるのか、医師は知らないし私にはそれを伝えるような精神的なゆとりもない。というかあんなに説明したのに聞かないじゃんって思うしかない。

 

もう医師でも肉声はうんざりである。きっちり添削した書物以外では二度と医師の言葉なぞ聞いてやるものかと私は思うのである。精神科医ですらこんな調子では育児をしたがる人間なぞ増えるはずもない。こんな国はさっさと少子化で滅びればいいのである。

 

猿同然の子供を狭い場所に押し込めて、いじめの加害者や被害者を作って子供を精神的や肉体的に殺害する義務教育を語るチャウシェスクのような失策を何十年もだらだらと放置し続けて、世間だか社会だかが母親の愛情とか言うものをいたずらにご近所だかPTAだか子供会だか学校行事だかで搾取しながら、今度はGDPがどうこうぼやき続ける愚かな国は、一生自己犠牲や自己責任だといい続けて生きたいと思う人々を少なくして少子化不登校の人数と精神疾患を抱える人間の数を増やしていくのだ。