私に必要な教養ってなんだろう

夫に教養を身に着けろ、と言われてモヤモヤしている自分がいる。私は馬鹿で愚かだろうが、その愚かさをどうにかしようという気力の生まれ方はよくわからないのだ。

 

自分というものに価値を感じなければ、人なんてどうせみんな自分を嫌うのだと思っている中で、一般的に語られる自己投資しようという気になれない。そういうわけで本を読む気にもなれない。本は安くないし、そんなことよりトラウマを抱えた自分への攻撃性を自分に向けないための逃避とか、頭の中で反芻する言葉を言い返すようなものを探すことに本当はお金を使いたいのである。語学の教材買っても読んだら語形変化でパニックを起こす。あまりに私という存在は勉学と相性が悪すぎる。ガチャのように本を買い漁るゆとりもない。教養には金がいる。私は人の声が嫌いだったり他人の説教臭い価値観を聞かされるのが嫌で、動画で教養を身に着けるのは困難なことだった。夫がしているオンライン英会話が分ごとに金が溶けるなら何時間も読めて繰り返せる本の値段なんてタダみたいなものではあるのも事実だろう。

 

大量の本を買いつければ夫が頭ごなしに教養身に着けろと言ったことに後悔してくれるだろうか。教養のないやつは教養の付け方もおマヌケなのだと気づくかもしれない。まぁ本が増えて家が狭くなって困るのは私なのでそんなことやりたくないのだが。電子書籍だと夫へのインパクトに負けてしまうので困った。

 

そんなことを書きつつも、本を買いに行く気力すらないわけである。この無力感に苛まれてない人種ってどうなってるんだろう。