髪を切りにいきたくない

髪を切りにいくのがもの凄く面倒臭い。正直どこで切ればいいのかわからない。1000円カットでガサツな女の人とやりとりするのも辛いし、QBハウスでつまらない返答しかしないラジオパーソナリティの別に声優の声でもないつまらない音声を聞かされるのも苦痛。だからと言って美容院で客や店員のキンキンした声かガサガサした声を聴き続けるのも嫌なのだ。

 

前髪を伸ばすか切るかも決まらない。伸ばそうと思った後には突然邪魔だとハサミでざっくり切ってしまう。自分の髪への対応が面倒くさくて仕方ないのだ。髪自体も白髪は生えまくっているが、化粧もしないのに染めても眉毛が浮くだけだろう。通う頻度が上がるのも嫌だ。私みたいな人間が社会に適応できる人間だと見られることも怖い。世捨て人くらいに思われて近寄らんとことか思われておきたい。だけど見た目の色のバランスがちぐはぐなのは気にくわないとは思ってしまう。物質の美しさに妥協はしたくない。美しい音、美しい物には囲まれたい。しかし自分は別に美しいトルソーではないのだ。それでも化粧をしないのは潔癖症の夫が服ごと捨てるレベルで化粧品を汚いと思っているからだ。毎日服なんて変えていられない。そんなことが出来るのは大富豪だけである。

 

なにより母の世間に合わせようとした中途半端な化粧とか、自信を持ちなさいとかいいながらさつまいもみたいな服とかかぼちゃの皮みたいな服を着ていたこととか、そういう記憶のすべてが卑屈な人間が無理に自信を持とうとする愚かさを思い出させたり、明るいことを押し付けられたこのによる苛立ちが明るい色の服への嫌悪感を走らせる。嫌だ!私は地味でいいんだ!中途半端な茶髪なんかなりたくない!そうしてあれやこれやを悩んだ後、燃え尽きることで夫に服を買ってもらっている。見た目にこだわっているようで自暴自棄という無茶苦茶な状態で最終的に芋みたいな姿で歩いているのが私なのだ。まぁ実際には芋というか納豆だ。何着ても頭にはおかめ納豆みたいな顔がついてるトルソーでどうしろって言うんだ。