0点の休日

ここ最近は休日はどっと疲れが出る。意味のわからないヒステリーが起こる。主婦として過ごして数年経ってしまったのだが、精神疾患がある中で病院に運ばれることがなかったくらいでマシなような環境で育ってしまったので、あれやこれやと改善することはそう簡単なことではない。とはいえ流石に悩まざるを得ない。土日の過ごし方を決めねばならぬということである。

 

私は土日というものを夫婦で過ごすものだと思っていたが、よもや最近は全くそういう形を保っていないのである。もうここまで来ると平日と同じようにスーパーに行くべきかと悩むところだが、土日のスーパーって平日ほどチラシが楽しくないのである。金曜日に買いだめてしまうし、土日にわざわざお高い肉が少し安いからって買うわけではないのだ。

 

いっそどこかに一人で出掛けてはと思うこともあるが、主婦で時間組もうとすれば平日出掛けられる身分だと、あえて人の多い土日に出掛ける意味なんて全く感じることが出来ない。不快で苦痛である。家族連れとかカップル連れとか見て帰って虚しくなるのも嫌だ。凄く悲しくなる。

 

そういうわけで外で過ごすってわけにもいかないので、家で過ごさねばならない。そうして家で過ごす時も、普段やってる何ら気にならない行為に対してどうして自分はこんなことをという虚しい気持ちになってしまうのである。普段は空虚な人生の細やかな達成感になるような人から見たらつまらないであろう習慣でさえもだ。それが私の普段の暇つぶしの方法をさらに失わせてしまう。ちょっとした鬱寄りな傾向にすべての物事が偏ってしまうのである。

 

一人でいるときに一人だと全然孤独だって思わないのに、人といるときにはどうしても孤独を感じてしまうので不思議なものである。

 

自分の身体がこの世界にある感覚だからそんなことを考えてしまうのだと二次元のことに熱中したくもなるのだが、そのためのイヤホンは1日付けてると凄く疲れるのだ。スピーカーで聞くのとイヤホンで聞くのは何が違うんだろう。重さ、距離などの影響なのだろうか。だんだん頭がぐわんぐわんとする。右から音が聞こえたり左から音が聞こえることにも設定が込められてるサンホラのような存在はイヤホンが不可欠だが、他の作品の曲の時くらいはイヤホンではなくスピーカーに切り替えたい。しかしそれも平日でないと叶わないものなのだ。

 

何か土日、土日に何か自分のこの鬱屈とした孤独な気持ちをどうにか出来るものが欲しいのだ。土日だけの何か、何があるのだろう。とりあえずイヤホンによる疲れをしらべたところ、コードを後ろに回して付けるのが正しい付け方だと知った。1時間を超えて付けてはいけないという話は、今は見なかったことにしようと思う。

 

ちなみに上記を書いた後、明日のスーパーに行く分を前借しようとスーパーに行ってきたが、道中手をつないだ夫婦かカップルを二人くらい見て胃が痛くなってしまった。もう朝日も見たくない。寝てる間にぽっくりいってないかなとか思わずにはいられないのである。