雲のように過ぎた日々と過去から人はやってくるという話

頭がすごく回らなかったので、ぼーっとしていたら1日が終わった。作る料理も少なかったし、荷物の受け取りがあるから外にも出なかった。読む本が溜まっていたけど、もやがかかった貴重な時間を享受するために読まなかった。少しだけ中国語の本を読んで初心者向けとはいえ知らない単語が減ったなぁと思って再び横たわった。

 

その次の日は頭が回らなかったので少しだけ覚えていない中国語を書いてまた横たわった。昨日も今日もコンビニにも行っていない。きっと私はコンビニに行って人の顔を見ることで自分が思うよりも悲観的になってしまっていたのだろう。外に人がいることを知ってしまえば、外で私が嫌われてきたことも思い出してしまうから。

 

さらにその次の日はスーパーに買い物へ行った。加えて本を読むので忙しかった。いざ本を読みだすとあまりに時間がないのでおやつを食べる時間を省きたくなるが、明らかに体調不良で本を読むどころでないのでおやつを食べた。体重的には間食は必要ないのに、体調としては間食がいるので体によい物事ってなんなのだろうと難しくなる。

 

さらにその次の日、いわゆる今日は読んだ本に悩んでいた。それは自分の資質である。自分の向いていることをしていれば元気になるので、もし今元気がなくて過去に捨ててしまったものがあったらそれをすればいいという。まぁ好きなことを子供の頃に好きだったものから探そうという話を解像度高めに説明されたのだ。

 

そうやって考えて見ると私が過去の捨てたことと言えば家で一人で過ごすことだった。夫に聞いたところ私が捨てたものといえば人との繫がりだったり友人だったり、親であったり勉強であるようだ。

 

私としては人は夫だけで十分ではある。母が友達を作ることに異常な執着を起こされて一人でいることを否定されるばかりだったが、私は女性のコミュニティが苦手だし、男子からはいじめられ、共通の趣味が見つかったころには親や女子が恋だなんだとひそひそ噂をしてくる状況だったので、年下の近所の子と遊ぶのが楽しかった。だから男性の話し相手が欲しいという願望は夫という存在を獲得したことで叶っているところがある。

 

学校というコミュニティは嫌いだが教師の話を聞くのは楽しかった。国語の教師が作品と共に作者の人となりや時代背景を教えてくれる時は特に楽しかった。私がトラウマという概念を調べることをやめないのも、過去や歴史が人を作るのだという確信があるからである。記憶喪失したりタイムマシンでやってきたりでもしない限り、人は過去に起きた出来事から形作られているのだと思う。夫と話しているとあまりに知識が欠けているので勉強をしたらどうかと言われるが、教科書で現代社会の説教を食らうのもうんざりなので、どうやって学習するか悩んでいる。