私の池の水を抜かないで

私の趣味に対して否定的なことを言われるとかなり落ち込む。私は画面内で生きてるとまでは思っていないけれど、頭の中では常に二次元にチャンネルを合わせているという自覚がある。二次元から遮断されてしまうと私はさっきまでの自分の活動ぶりが全くなくなってしまう。まるで停電して動かなくなった画面のように心も真っ暗になってしまう。人が地面を踏んでいる中で私は二次元の海を泳いでいるような心地で生きている。私は水の中で生きていて、他の人は陸地を歩いて生きているくらいの違いを感じる。

 

だからいきなり二次元から遮断されて現実と言う陸にあげられると私は何事も手につかなくなる。さっきまで三次元の何かしらの作業をしていたのは変わらないのに、心が三次元に引き上げられた途端に物事が手につかなくなってしまう。私を嫌っている人たちがいる世界の何がいいのか私にはわからないのだ。生きている意味のない世界のことを考えたら、恐怖や敵意でぐちゃぐちゃな世界のことを思い出してしまったら、私はさっきまでの自分ではいられなくなってしまう。

 

画面を見ていない時、どうやって頭が過去を思い出さないでいられるのか、音楽を聴いていない時、どうやったら胸が苦しくならないでいられるのかが私には全く思い出せないのだ。音楽を聴かないで私はどうやって自分の身体を動かしていたんだっけ。自分の身体の不快感に何もかもを壊されないでいたんだっけ。

 

何もない、なにもしないに耐えられない。何も出来ないのに、何も出来ないことにも耐えられない。二次元から現実にチャンネルが移った時の、あらゆる違和感に耐えられない。私にとってスマホの充電器からイヤホンが血管のひとつのようである。これがないと私は自分の動かし方がわからない。イヤホンをしながら横にもなるので摩擦があるのか耳が痒くなる。

 

ほとんど一日休みなく音楽を聴いているが、聞いてない瞬間はまるで陸にあげられた魚みたいに苦しくなる。ただ普段の生活をしようとしているだけなのに、無理に我慢をしているような苦しみがある。家電製品がない風呂に行くといつも1日の中で一番最悪な気分になって出てくる。だから私の耳は常に音楽を聴くことで忙しい。人の声であれ車の音であれ草の揺れる音も風の音も私には聞く余裕がないのである。今に始まったことではないが、私は音楽を聴いてる瞬間以外は食べ物を流し込んでいないと常に詰まっているような気がしているのだ。

 

三次元の話をされて陸に引っ張り出されるのも辛いが、その作品は大したことないよねみたいなことを言われるのも辛い。泳いでいた場所の水がいきなりいらなくない?と捨てられて死んでしまいそうになるのである。