安心や平穏を奪われるということ

今週のお題「人生変わった瞬間」

 

私はいじめに合った。その瞬間に私の人生は変わった。今まではそう思っていたけど、そうではなかった。私はいじめに合ったことを周りの大人が放置をしたりさらに私を攻撃してきたことが私の人生を変えてしまったように思う。

 

誰も助けてくれなかった。それはあまりにも人に対する不信感になった。加害者以外の傍観者、そんな子供を管理しているはずなのに加害者ばかりを許す教師達、自分の台本通りに行かない被害者の子供に怒り狂うカウンセラー、私の被害をなかったことにしようとする親、私は個人ではなく集団を、集団ではなく人という存在そのものを信じられなくなっていった。そして自分は価値がないのだと家族が証明してしまったことが何よりも苦しみになった。

 

私は常に怒りと悲しみと自己否定の塊になった。親はいじめられる前のように普通のふりをする努力をしろというが、そんな自分は親がとっくの昔に見殺しにしてしまった。母は散々当てつけのように金がない金がないと言っていたものだから私が水商売をするかどうか悩んでいるときには、母は偉そうにそんなことをしたら親の縁を切ると言っていた。私が何度も呼び止めても起きた出来事を話してもそれを許せ許さないお前は性格が悪いと私をどこまでもゴミ箱扱いした母が、世間体を気にして娘が水商売に行くことは嘆くのだ。本当に馬鹿馬鹿しい。

 

いじめを行った人達やそれを無視した人達、学校というシステムを作った国、みんながみんな私の尊厳を踏みにじってのうのうとしている。そんな人たちが努力をしろとか、社会参加とか言ってくる。また私をサンドバッグにするだけなのを綺麗な言葉で飾り立てている。みんな誰かをいじめてサンドバッグにしていただけの癖に、人に迷惑かけずに自分は生きているって顔をして偉そうなことを言っているのだ。加害者として生きてきた癖に、それに無自覚なまま被害者ぶっていると言い出すのだ。

 

私はどう生きていても死にたいとか許せないとか自分が嫌いとかそういう感情に支配されている。トラウマによる影響がそうさせるのだ。そうわかっていても抜け出す方法も止める方法もない。経験という名の記憶に汚された私は死んで自分から逃げ出したい。ほど苦しい。遺書残して、ネットにも書き込んで、盛大に自殺して、親はマスコミから詰められて精神を病んで自殺する。そんな風に死ねたらよかったなって思う。どうせあの親のことだから私の死には悲しまないのは知ってる。どうせ近所にどう説明するかとかお葬式のマナーのこととか親戚との交流のことしか考えないだろう。

 

思えば私はいじめられるよりもさらに前、あの世間体を前に子供の人権をどこまでも踏みにじる母と外出をしてしまった時点で私の人生って終わってたのかもしれないなって思う。子供を愛さない親から生まれた時点で人生ってもう終わりだよ。親ガチャ大爆死の大失敗だよ。働けないからソシャゲのガチャは回せないし、それなのに頭はぐるぐる自己嫌悪を止めてくれないし、本当生まれてこなきゃよかった。