過去と今をふらふらしたまま大人になった

歳のせいか政治の情報を見るのは昔より増えた。私は正直今はどの政治を応援したらいいのかわからない。中国とかロシアとか、右翼と思ってたら単なるカルトとか、大日本帝国満州とかそういうものありきで、今の日本のことを考えてる人って言うほどいないような気がしてきて、どうしたらよかったんだろうと思う。成人ではあるから考えた方がいいのかなって気持ちもあるけど、政治家の人たち自身があまり考えてないのに私が考えてもどうしようもない気がしてくる。

 

そうは言っても私自身も私個人で今日何をしたらいいのかさえ正直わからない。私のように早々と八方塞がりになった人間と上辺で迷走している人たちの景色って凄く違うんだろうし、上手くいってる人たちがさらに満たされる方法を探し続けるのも結構苦しいんじゃないかとは思う。向上心のある上辺の人にとっては新たな目標を作ってくれる宗教の存在は弱点になりがちなのかもしれない。格差が広まる中で悩みも見えない格差が増えて行ってしまっているような気がする。

 

こんな話をしているが、私は単に過去の自分を助けてくれそうな世界を政治家に求めているだけである。虐待とかいじめとか、そういうものから助けてくれる国になって欲しいだけだ。それが無意味な規律やルールで人を苦しめてさらに人にストレスを与え罰する理由を与えるだけになりそうなので辛い。それに加えて表現の規制をしたい人たちも増えているのがさらに辛い。親も学校の先生も言っても助けてくれない。福祉や病院でもトラウマが増える一方で二次元だけが居場所である私にとって、過去の自分が今生まれていたら死んでたなと思うような世界になっていることは怖い。

 

いじめから助けてくれないような親から親権をはく奪して安全な環境をくれるわけでもない。いじめの加害者を転校させたり退学させるわけでもなく、トラウマ治療への金払いも保険適用外のままで対応していない国が、逃げ場だけを奪おうと考えていることが私には恐ろしい。国は生活の保障といいながら手切れ金と言わんばかりの金しか渡さない。学校により生まれたトラウマで私の健康を害したことに責任をとってくれていない。こんな誰も助けてくれなかった世界のことを考えること自体が意味のないことなのかもしれない。そんなことを思って私は今日も途方に暮れている。