発達障害を嫌うのに発達障害を生む高齢出産の親たちと少子化を嘆く国へ

国が少子化で思い悩んでいるらしいことを夫と話していた。晩婚化や不妊などの話をしたりした。私は高齢で出産する行為は発達障害を産むのであまり肯定的ではない。私が高齢出産で産まれた発達障害であるからだ。夫にいざ親が何歳の時に生まれたのか聞かれたので計算したところ、父は42、母は28であることがわかった。

 

父親の高齢化が産む発達障害

高齢出産により劣化が起こり、発達障害が発生しやすいというのは近年の研究で分かったことらしい。父がこんなにも高齢なのは再婚したからである。先妻とは子供もいるらしいが不倫されたので別れたそうだ。その後に不幸にも母と結婚して私という嫌われ者が生まれたらしい。どうして一度家庭が破綻したのに再び作る気になったのか私には不明だ。

 

高齢の父と結婚する母

父と母は職場で出会って結婚したが、母曰く他に好きな人がいたけど結婚したらしい。父が不倫されたのもわかるとか、結婚してもバツイチになると私に嫌味を言ったりとか、母は父が大嫌いである。ただ世間体を気にする母がやりそうなことでもあった。しかしそこで何故子供を産んだのか、それは母にとって近い姉に子供が出来たからだ。母は姉にコンプレックスを持っている。私にとっていとこの彼は、私よりちょうど1歳年上だ。母の姉が年子である2人目を産んだ一か月後に私は生まれてしまった。

 

発達障害の子供を愛さなかった父と母

そうして高齢精子から生まれた私は感覚過敏な子供として、母から心底疎まれた。母から嫌われていくことで私は何を言ってもいじめからも助けて貰えない子供になった。父はそんな母を黙って許し、私には我慢を強要した。父は俺は馬鹿だからとか歳で文字が読めないと言って全く発達障害の知識を得ない。母は発達障害の知識を得ても発達障害の子供というものを受け止めず、防音イヤーマフをつけることさえイヤーマフなしだと生活できなくなってしまうと否定した。発達障害で育てにくい子供だったから私は何も悪くないと言い張り、最終的に母の中では私が母から受けた虐待はすべて病んだ娘の作り話ということにしたようだ。

 

確かに単なる発達障害であればどうにかなったかもしれない。ただコンサータを飲めば同じように働ける恵まれた発達障害とは違って、自己組織化の症状が常にまとわりついていたり、二次障害が困りごとの比重を多く締めたような私には日常生活さえままならない。

 

私の母は発達障害に生まれた貴方がいつまでも人からされたことを根に持つ性格の悪さが悪い。認知療法をしないと幸せにならないと言ってくる。子供の頃からずっと私のすべてを否定して、子供のケアを何一つせず、いじめの対応と何から何まで失敗した母が、普通の子供を望むなんて馬鹿げている。

 

私の発達障害は私のせいではない。世間体を気にしてるからと好きでもない高齢の男、加えて母が馬鹿にするバツイチというものと結婚した母自身の卑屈さが原因だ。そして精神疾患は自分の卑屈さを棚に上げて子供には社交的な人間になって欲しいとコンプレックスの解消を執拗に押し付け、いじめのある環境にまで適応しろと迫った母の傲慢さが原因だ。

 

これから子供を望む人類へ

発達障害に生まれた子供を愛さない人は少なくない。不妊治療に膨大な資金を払った上で発達障害になった子供を憎む親だって多い。子供に愛情を持てなくなる親はたくさんいる。最初は可愛くても、子供が外に出るに連れて次第に嫌いになり、憎くなってくる。

 

子供が悪目立ちして世間体を気にするようになれば親子でさらに苦しむ。劣等感を自分にも子供にもぶつけ肩身の狭さをどうにかするために礼儀正しい親のふりをしてそのストレスをさらに子供にぶつける。子供が困っていても子供が悪いのだろうと助ける気にさえならなくなる。夫が憎たらしくてたまらなくなってため息でしか返事をしなくなる。そうして育った子供はさらに多くの疾患を抱えたり、突然自殺してしまうことさえあるかもしれない。その時には普通でない子供が死んでよかったとさえ思うようになるかもしれない。

 

母の家系が精神疾患がある家庭ではあるが、それを抜きにしても私より5歳下の兄弟は私の持ってる発達障害精神疾患に加えて軽度の学習障害を抱えている。リストカットをするほどに追い詰められている。知的障害で言語化が上手くいかないから?そうではない。いじめの時に酷い対応を兄弟自身もされて人に相談するという選択肢を諦めているのだ。母の外面のよさは外部に相談しても信じて貰えないという孤独を不幸にも呼んでしまった。母は1人目も2人目も失敗した。社交的な子供がなんて話どころではない。眠ることさえままならない赤子未満のものに子供をさせてしまった。

 

高齢出産というものは明らかに疾患の重さに影響を与える。子供が欲しいのであれば急がなくてはならない。国は若者にお金を自分で貯めさせるように頼んでいる場合ではない。奨学金を支払わせたりあれもこれもと授業を詰め込んだり道徳を説いている場合ではない。早く子供を作るためにいたずらに時間を奪うありとあらゆることをやめなくてはならない。

 

国は今も出生数を増やすための行動をまともに出来ていないが、不妊治療の支援をするだけで出生数だけ増えるなんて思わない方がいい。その数字はおそらく現状の国が望む理想の人間像に見合う人間の数ではなくなっていく、人口は減るのに遺伝と高齢出産で発達障害の比率は増えていくようになるかもしれない。国も国民も、増えていく発達障害者に合わせる気はないのだろう。遺伝子をコントロール出来ればいいかもしれないがそんな簡単に現実にはならないだろう。

 

愛せない子供を持った親たちへ

これまでもあくまで軽度の発達障害と複数の精神疾患で悩んでいる私の話である。これからもそんな私の話なのは変わらない。だから重度の発達障害を持った子供の親である人への言葉ではないことは先に書いておきたい。

 

発達障害の子供に嫌気が差したらなるべくお互いが離れることに気を配って欲しい。健常者と発達障害の子供であるなら趣向の認識さえ違う可能性がある。違う趣味を持った個人として早めに扱えるようになった方がいい。

 

そして子供に挑戦させることをなるべくやめてほしい。失敗による自尊心の低下は命を削る。よかれと思ってと親の達成感のために犠牲にされても子供には何も残らない。フラッシュバックして障害として残る。日常の当たり前な、人並で年相応なことでも、発達障害はトラウマになりやすいのだ。日常が戦場で、あらゆることでPTSDになりかねないのである。

 

世間体を取るか、子供を取るか選ばなくてはならない。どちらとも取れるなんて思わない方がいい。あまりに対極すぎるからだ。近所の公園デビューや児童館デビューのようなものを他人事だと思った方が良い。子供が迷惑掛けたら頭を下げなきゃいけないだろう。しんどいだろう。きっと子供に対しての憎しみのタネにするだろう。それなら最初から接点を持たなければ済む話だ。

 

ママ友なんて劣等感を家庭に持ち込むだけだ。気配りなんて無駄だ。世間はいくら母親が頭を低くしたところで発達障害の子供を助けないし愛さない。そして孤独に付け込まれないように気を付けた方がいい。孤独を味方にするのはよしても弱点にすると危険だ。下手なコミュニティに近づかない方が良い。障害の子供を持った子供に宗教にドハマりした親の家庭なんてあまりに悲惨すぎる。発達障害の子供がいる親で集まったって他の子供と比較して一喜一憂するだけだ。まともな医師が書いた書籍を読んだ方が有益になるだろう。

 

そして発達障害の子供を持った男性はいつでも家族の味方でなくてならない。母親というのはそれだけで世間から軽く扱われる。女性というだけでふざけた言動をする者はたくさんいる。それが子供を持っているとなるとさらに標的になる。発達障害のある子供を持つとなればなおさらのこと。常に親子が毒状態で一歩歩くとダメージくらうくらいの緊張感を持った方がいい。家のことは奥さんに任せっぱなしにしていいなんて呑気なことを考えない方がいい。

 

発達障害の子供を捨てるという選択肢

有名人であるさかなクンの母親のように、子供を中心に動けて周りから指摘されても動じないような人にはこんな話は必要はないだろう。ただそういう親は数少ないから話題になったのだ。発達障害の子供が無理なら捨ててもいい。施設の質がよくないことはあちこちで耳にするので正解というわけでもないのは知っている。

 

ただ愛してくれない親元で育つというのは、人を壊滅させるのに十分な影響を与えるのだ。どのみち悪影響であるのなら、これ以上親という存在がトラウマを植え付けるという惨たらしいことをしない方がいい。親子間でトラウマがあると親の顔や声がフラッシュバックの原因になる。だからいくら家庭で療養するにも全く療養にならない。子供は精神疾患でお金はないから一人で暮らせないし、療養も出来ない。親がいるせいで生活保護の取得も出来ない。親はそんな子供と好きでもないのに死ぬまで暮らし続けることになるのだ。成功した発達障害の話にすがりたい親もいるだろうが、愛された発達障害の子供じゃないとそうならないのだ。