家族から愛された人の価値観が欲しい

スケープゴートとして育った自分

母は私の発達障害の特性が我儘だと思い込んでいた。だから私がいじめられても当然だと思っているようだった。私の母は山口の小学校の同級生のいじめを肯定し、神奈川の中学校のいじめも、高校の私への悪口も肯定した。どうせ人と同じように出来ない貴方が悪いから助ける価値なんてなかったし、貴方が努力して普通になれば済む話、加害者には何の非もないし、当然私だって悪くない。母の虐待や伝えたいじめ被害の無視に対する言い分を要約するとこうなる。

 

夜中に家から追い出される未就学児の子供が暗闇を怖がったり、怒鳴る父がいる家庭で音を怖がることの何が一体異常だったというのだろうか。発達障害は健常者から虐げられて当然と言わんばかりの差別を、母は何も問題がないように言う。そしてその大半の暴言を精神疾患の娘が作った作り話で、私は一緒にお菓子も作ったことのある愛情のある親だと言い張る。

 

虐待された子供は綺麗な記憶を必死に抱きかかえてあれは良い親なのだと必死に許そうとする。自分の傷をすべて見ないままにして。その努力にまで母は泥を塗る。どうせ母のことだからこの発言も次に問いただしたら忘れたとか貴方の作った架空の親だとか言い出すのだろう。母の行いは消えない。一緒にお菓子は作るけど夜に家を追い出さなかったり、いじめから子供を守る親でなかったから、母はやはり虐待親なのだ。

 

お金持ちで教育の機会を与えていても勉強でまともに睡眠も娯楽も与えられなければ虐待だし、いくら父が子供が大切だといっても母による虐待を無視していればそれは同じく虐待だし、子供の健康を害している状態を放置してもやはり虐待だし、綺麗な服を着せていても見えない所に傷を作っていたらそれは虐待だ。

 

二次元だけが私の居場所

私は二次元に想いを馳せる。家族からスケープゴートというゴミ箱としての扱いをされ続け、愛情を注がれることのなかった私がいじめや引っ越しで孤立を何回も何年もしても最終的に死なないでいたのは二次元という居場所があったからだ。

 

しかしはっきりと父や母が私を我儘(子供の頃に暗いのが怖かったり出先の仕掛けのある時計が怖かったりという理由だった)とか発達障害だったとかですべてを私が悪いからだとゴミ箱のように使っていたとはっきり認めた後に、キャラクターを見るとなんだか悲しい気持ちになる。

 

鬼滅の刃の炭治郎には優しい母がいる。彼は優しい家族がいたけれど殺されてしまったので鬼退治のようなことを始めた。ジョジョDIOにも母がいる。病で死んで父を憎むくらいには母親だったようだ。進撃の巨人のエレンにも母がいた。彼は泣いたり後悔もしながら進み続けたが、彼がそこまで進み続けられたのは母による最大限の肯定が育まれたからだ。

 

私はそれらのキャラクターを見るともの凄く空虚に感じる。私は人が嫌いになってしまったし、したいことも、自分を鼓舞して立ち上がらせることもわからない。失望と怒りと恐怖が自他に向ける感情であり、彼らの気持ちは私にはわかりようもないのだろうと思うと孤独を感じてしまう。

 

そして私の頭の中には尾形百之助の姿が浮かぶ。尾形は愛情のある親から生まれたのだとわかった気持ちになったらしく自殺してしまった。しかし私は頭の中でそんな尾形を見ながら愛情は自分に注がれないと意味もないだろうにと思う。とはいえ愛された人たちと同じにはなれないのだという自分への絶望を抱えて生きるのはどうしたってしんどいのだ。あの瞬間の愛情飢餓感が怒りや失意として自他にいつだって猛威を振るう。鶴見中尉の子供は悲しいことになってしまったが、尾形の生涯受けた愛情よりも確実に多くの愛を注がれる人生だっただろう。

 

境遇の重いキャラクターと言えばワンピースのキャラは過去の素性が重い。彼らは何かしらを倒したり倒して貰ったりすることでどうにか出来るが、参考にしようと思ったって現実では私の暴力はただ刑務所に入れられるだけなのだろう。

 

自分といる限り記憶がある絶望

私は診断こそ受けたけど、今となっては本当に最初から発達障害なのか、虐待の後遺症で脳が損傷したのかはわからない。ただこの怒りを前に私は何に触れることも困難だ。自分が爆弾のようで恐ろしくて自分の身を投げたくなる。

 

自分と向き合えと人は言うし、虐待された事実を受け止める必要があるという人もいう。しかし自他に及ぶ怒りや不信感、蓄積された記憶というものが重度の状態になってしまっていた場合はどうしたらいいものなのだろう。アサーティブとかアンガーマネジメントとかそういう問題ではない。怒りのフラッシュバックが怒りを底上げするからだ。

 

妻はサバイバーではアルコールからくる認知症が忘却させた。地元最高!では薬の常用で記憶力が乏しくなっているキャラクターがいるが、あれが自分の希望になるのだろうかと途方もない心地になる。覚えてしまうことや忘れられないことというのはあまりにも恐ろしいのだ。そのくらい欠落した自分には何の未来も持てない。