ヒーローショーやディズニーランドを楽しめないから愛されない発達障害の子供

イベントに連れて行くママというものがインターネットで炎上していた。大体は健常者の親叩きと療育している親たちの嘆きであるがここで発達障害の子供サイドである私の一つの意見を言いたい。それはなんでにぎやかで騒がしい場所に連れて行ったという話である。

 

人混み、大きい音が苦手の設定どこ行った?

発達障害は多動とか衝動的とか遅刻とか、ADHDだけの人間がいる場合があるが、事変賞の子供もいる。自閉症の子供でも大人達は運動会には出したがるし、親はヒーローショーやテーマパークには行きたがるのだ。発達障害の親がテーマパークに行くときに、それは本当に子ども自身が望んでいることか考え直した方がいい。子供はディズニーが好きなものみたいな平均的な子供像で決めつけたり、サンリオが好きならピューロランドに連れて行かなければならないとか、自分の親として何かをした自尊を満たすためとか、そういう可能性はないだろうか。

 

子供が期待するにしてもヒーローショーはヒーローそのものではないし、テーマパークだって体力がある歳にならないと割と苦労をする場所だろう。本当にこのタイミングでの外出が必要であるか今一度考え直した方がいい。

 

もちろん親自身がヒーローショー大好きだったり親自身がどうしてもテーマパークに行きたいって言うなら子供を預けて親だけで行けない仕組みを嘆いた方がいい。親が子供を預けやすくする必要性や親も遊ぶ機会が必要であると語られるべきである。そういう時は子供のためで子供のせいで理解がない世の中悲しいという話にする必要はない。

 

忘れられないという障害はもっと知れ渡るべき

失敗しながら、経験しながら学ぼうくらいに思っている発達障害の親は結構いることだろう。しかし発達障害の子供にはタイムスリップ現象というPTSDに似たような症状が現れることがある。

 

子供の為にと言いながら子供が何かトラブルを起こしたら叱ったり怒ったりして、失敗経験を子供に積み重ねるのだ。そして本人は子供の為だと思ってといってその重みに気が付かない。子供は受けたダメージを想像以上に記憶に残す。フラッシュバックでさらに失敗や叱責、それによる不安やうつ状態など悪循環を及ぼしてしまうのだ。同じ状況を成功に導くどころかフラッシュバックで過去の𠮟責と今の𠮟責のダブルパンチを喰らうので正気ではいられなくなる。

 

現代には神田橋処方のようなフラッシュバックを防げる薬もあるらしいが、万人に効くわけではないので対策をしなくてはならない。漢方は甘草の上限もあるから他の漢方を使う自由もなくなるのでトラウマを最初から作らないようにした方がよっぽど子供の役に立つのである。

 

まいごひもは犬ではなくて人権があるから

子供を見失うという現象があるが、これは親自身が発達障害であったりとか、複数子供がいる場合は全員の手をつかみきれないようなことがある。そんな時に役にたつのがまいごひもだ。迷子、交通事故などもあるが子供の腕を引っ張って脱臼するよりはひもで身体を抑えた方が子供の身体も安全なことだろう。

 

そのはずなのに犬の散歩みたいだと批判している人たちがいる。そういう人間が一番動き回っている子供を批判するだろうに、そうならないようにしても批判するとはどれだけ身勝手かと思う。ハーネスがなかったばかりに交通事故で子供が死んだら失った命の数だけ批判をした者の寿命が削れればいいと思っている。

 

子供の発達障害を認めない親

世間は発達障害を知らないから冷たいかもしれない。しかしもっとも恐ろしいのは子供の発達障害を内心では拒絶している親の冷たさだ。子供が困っていることを一緒に嘆いたり困ったり、解決方法を模索したりもするが、成功するまで絶対にやめないとなると地獄になる。それが誰もがやってると思うような物事でもだ。発達障害の子供は文字通り父のため母のためと賽の河原の子供になる。

 

子供は上手くいかないと自分でもわかっていることを延々と止められない。選択肢が与えられないからだ。それが大人の目標にされてしまうと、目標を目指さないこと自体が怒られる原因になることだ。他の何かが成功しても他の子は普通に出来るのにとか、じゃあ出来なかったこれも出来るようになるよねとか、最終的に普通の子と比較されて終わってしまうのである。そこに残るのは精神疾患が増えまくり子供の頃に出来ていたことさえ出来なくなった死んだも同然の子供である。

 

発達障害の子供への愛憎

母は未就学の私が夜のディズニーで泣いていたことを憎んでいた。あまりに小さいので暗いからか眠いからか怖いからかは覚えていないが、母はディズニーが楽しめる子供がよかったらしいし、私といるディズニーに行きたいわけではなかった。

 

イベントに連れていった親が関係を繋ぎ留めなくていいという言葉を言っていた。私の母は発達障害の私というものを、親への歩み寄りがない可哀相で性格の悪い病んだ子供として家族の不和をすべて私のせいにして虐待した。きっと発達障害の子供というのは親の理想に答えないということで失望され、少しずついなくなって欲しいだけの存在にされてしまうのだろう。

 

私はもっと早く親と絶縁したかったし、出来ればそのディズニーの後に私を捨ててくれればよかったと思っている。今はただ親のふりをした虐待家庭で栄養失調のような状態のまま精神疾患を抱えた自分から逃れられないことや、親のふりをして世間で承認されるために私の尊厳を溝に捨てられたことが悔しくてたまらない。