子供の発達障害を利用する家族

母のことを思い出しては怒りや悲しみが私を襲う。母はいまでも家族の発達障害を利用して保護者として施設に行くことで育児をしたと自己承認を満たし、自分の話し相手を作っている。

この話を聞いたのも家族があまりに衰弱しているので警告がてらもう何年も症状が重くなっていくだけだからいっそ一人で暮らす期間を持たせた方がいいと言った途端に、私は話す相手が施設の人しかいないという話の繋がりが全くない返事をしてきたからだ。母はそれくらい会話が出来ない。そのために家族は出来ないというレッテルを執拗に押し付けられ、身体症状まで重くなっているのだ。発達障害の支援施設というものもこれでは発達障害者ではなく、虐待親を支えることになってしまっているのだから酷い話だ。母には発達障害や精神病の診断を取ることを提案したが、どうせ何かが変わるわけではないと断られた。現代医学では本当にそうではあるものの、いつまでも自分は問題ないという顔で家族を利用し続けるので厄介だ。施設の人は気が付かないのだろうか。

 

母は表では体調が悪い子供のために出来ることをやっていると言っているが、現実には家族は家族同士で我慢し合わなくてはならないという価値観を押し付けている。とても人を療養させられるような考えではなく、家族が何年も精神科に行っても微塵もよくならない理由はおそらくこのプレッシャーが原因なのだ。母は全力で人の足を引っ張ってくるタイプの人間だった。

母は私に人生が上手くいかないのを私のせいにしたいんでしょうと言ってきた。母のせいなのは当然だし、原因を見てみぬふりをして対策をしないでいては、それこそ母のように出来ないし向いていない無意味なことを夢見て周りを犠牲にする人間になっていただろう。母は私が家族の一人暮らしを提案するために電話したことを全く理解していなかった。子供の意見や提案なんてものはきっと母の中で存在しないのだ。母はどうしても会話ができない。誤解がないように顔を合わせて会話すべきだと昔は母言っていたが、今まで一体何の意思疎通が出来たのか。声や泣き落としで威圧したいだけだったのではないだろうか。

母に愛情がない人間であることも、私が愛着障害で人と同じ感受性で生きられないことも事実だとしても、私には母が理解できない。どうしてここまで人といることに向いていない人間が話し相手を作ることに固執しているのだろう。

私は夫にどうして母は私が夫と話すように父と話すことが出来ないのだろうかと尋ねた。それは内弁慶で身内を虐げていないと気が済まないからだと言っていた。どうして身内限定なのかと聞いたら自分が虐げられないようにとか、自分より弱い相手だからとかそういう話をされた。私は人に憎しみや罰されて欲しい願いは持つものの、復讐でもない金銭的な利益もない加害の話はやはりされても必要性が理解できない。可哀相な人間なんて創作物で堪能する方がよほど楽しいだろうし、弱い者いじめもゲームによってはやりたい放題だろう。

昔から母は私に自分ばかり可哀相だと思ってると頻繁に言っていたが、これも理解できなかった。私もみんなも可哀相であることが私が今嘆いていることをやめる理由にも微塵も繋がらなかった。だけど加害者を褒めようと加害者を貶すことはなかった。母はきっとエースを狙えとか小公女セーラとかそういう世代の人だから、可哀相だったり大変でも健気な人間が見たいのだ。毒親という単語を知る前から、自分が母を嫌わないようにしていた頃から、そんな期待は感じていた。私は作品の登場人物でもないからそれが出来なかった。

 

こうして書いていると父が母と仲良くできないのは父は父で母から非現実的な理想像を押し付けられているのではないかと思う。私も人への理想像がないわけではないが、人といることはエネルギーを使いすぎて楽しいことがあっても割に合わないのだとわかりきってしまった。それほど人と関わるのに時間を使うことに昔から疲れているし、傷つけられる余裕がないほど消耗している。それほどに家族が自分の味方でいなかった代償は大きい。

母は人といる苦痛をよく私に聞かせたわりには子供の人生を犠牲にしてまで今もなお人と関わろうとしている。母も漫画本は複数持ってたのに。どうして現実の人間がそこまで良いんだろう。

そんなことをふと思い出して悲しくなる。私はこんなものの為に感覚がおかしくなり、気に病んだり自殺未遂して家庭という場所を知らなくてはならなかったのだし、人が生活に支障があるくらいには大嫌いになってしまった。私もお金を稼ぎたかったなって思う。二次元を充実させるのに必要なのは金だからだ。