逃げるなりの人生の私と逃げない彼女の人生

今週のお題「盛り」

私の人生とはひたすらに逃げ盛りの人生である。こんなことを話すのは私は頑張っているのに頑張ってない貴方が私より幸せそうでずるいと言われたことを思い出しているからだ。こんなことを思い出すのは病院の待ち時間が長いからである。

 

私は心理士からアレルギーと言われるほど嫌なことへの拒否反応が強い。いつからかと言うと昔からである。嫌なことからは逃げ出して逃げ出すなりに嫌われて生きてきた。逃げ出さないは逃げ出さないで要領が悪いからこんな奴いなければいいのにって陰口を食らうことを何度も繰り返していたらそうなった。

 

やってもやらなくても貶されるなら、頑張ったのに嫌われるよりは頑張らなかったから嫌われる方がマシだった。自分の中で理屈が説明出来ることは大切なことだった。理不尽が許容されて人としての尊厳を虐待親の母から奪われた時、私は憎しみを抱いた。世間体が可愛いだけで子供がどうでもいいだけの親を持った私には感情の整理をすることは許されなかったのだ。人を悪く言ってはいけないと言われた私は、他者を咎めることも許されなかった。そうした抑圧は皮肉なことに私は誰よりも人が許せない人間にしてしまったのである。

 

ずるいと言ったきた彼女は私よりも我慢をしていたし頑張っていた。人に優しくするなりに優しくもされていたし、私よりいろいろなことが出来ていた。嫌われ者の私の面倒を見るような面倒見のいい人だった。私は劣等感さえ抱いていたし、劣等感を抱くような立場の私の面倒を見ることが彼女にとって少しは心の支えになっているとも思っていた。感情的には気持ち悪い話かもしれないが、利害の一致ほどわかりやすい関係性もないだろう。彼女の交友関係の中で私が最も情けない立ち位置にあることは知っていたのだ。私はせめて借金がある状況でも友達という立場への貢ぎ癖がある彼女が、貢がなくても存在する人間でいるつもりでいた。

 

彼女が借金で苦しんでいる時、彼女は私にずるいと言った。私も何もしてこなかったわけではないと当時は言ったが、今思えば彼女は私より何かが出来て、我慢も出来てしまうから私よりも辛い場所にいると感じる状況になったのかもしれない。彼女が自分が必要とされることを求めていて、私の保護されたいという欲望とは別であるとは知っていたので、私のように無理に出来るふりをしなければいいなんて言えるような問題ではないのである。

 

彼女が裏垢の存在を仄めかし、それを私が見つけ、数年後に私を嫌っていると知った時に、私は彼女と関わることが嫌になってしまったのだ。彼女がいっそ私を嫌って避けてくれたらよかったのに、彼女が私と偽善で接し続けようとしているのを見て、私は私の劣等感を抑えてまで彼女といる意味などないのではと思ったのだ。嫌いなものを嫌いだと突き放せない彼女への違和感を私は裏垢を見てさえ理解出来なかったのである。私は何かを好きであるという信念を持つことが下手だが、彼女は何かを嫌いであるという信念を持つことが苦手なのだろうか。

 

私は友達がいることを親に押し付けられていたが、夫以外の人間関係がなくなったことが心地が良く感じている。友達という誰でもいいような人間関係は私には向いていないのだと。私は何も出来ない情けない人間ではあるが、逃げて後悔したことは一度もない。私はむしろまだ逃げたりなかったとさえ思っている、あの家から、あの学校から逃げれてさえば、私の人への根源的な恐怖感は植え付けられなくて済んだのではと思っているからだ。

 

だから私よりも故郷から遠くへ逃げることの出来た彼女も夫以外の交遊関係なんてすべて捨ててしまえたらよかったのにと思ったりするのである。少なくとも私のような要介護の人間は彼女の悪癖をくすぐってしまうし、私のような嫌われ者に近寄るのは彼女のような世話をしたがる存在なのだとしたら、私が人と関わることは誰の幸せも生まないのではないだろうかと思う。