想像以上に難しいトラウマ治療

通院がだんだんしんどくなってきた。私は質問されることが苦手なのだ。試されているという心地があるからプレッシャーだし、認知の歪みがあるかどうか常に採点されているみたいで凄く疲れる。私は自分の状態に詳しい人がいいとは思っていたが、自分がおかしい場所を指摘されたいわけではないのである。自分の存在の異常性を合理的に理解して欲しくはあっても、断罪して欲しいとは思っていないのだ。

 

とはいえ最近の私がおかしいのも本当だ。ゲームに没頭している瞬間以外は常に誰も助けてくれなかったとか、私はみんなに殺されたんだって考えて、息が苦しくなっている。医師はやること増やせばいいと言ってきたが、料理をしてようが食洗機に食器詰めてようが常にそればかり頭に浮かぶ。本もろくに読めやしないので困っている。困っているのは本当なのだが、これ以上否定されるような余裕が私にはない。

 

どこに行っても安全ではないという危機感が常に押し寄せてくる。医師に相談したところで医師になるほど優れた人間には説明しても意味がないような気がしてくる。能力のある人間にある居場所で起こることと、能力のない人間のいる場所で起こることは同じではない。それなのに価値観だけを一緒にすることはあまりにも難しい。

 

医師は私が二次元が好きだと聞いているので、二次元を安心の感覚の基準にしようと考えているようだが、私の趣向は安心のイメージ像とされる位置とは少し違う気がする。あったかマイホームというよりはマフィアのファミリーのような感じというか、独裁的である。暴の力による排除でもたらされる安心は、おそらく医療が期待している安全とはジャンルが違うと思う。そんな趣味の話をするかも悩む。あまり教えたくないという感覚の方が強い。

 

世間体の為に万人にいい顔をしろという無茶よりも自分だけにいい顔をしろという者の方がよっぽど寛容だ。私自身が他者の存在がある限り迫害されてきた影響で独占欲が強く、そうした思考を持つ同胞を見て癒されている方面もあるのだろう。そうでない癒され方が私には全く見当もつかない。癒しの感覚を全く別の状況で再生することも全く浮かばない。海の中にいても陸地を思い出せば酸素が補給されるなんてあまりにも無茶苦茶だ。