過干渉に育てられた自分の辛さは親から虐待されている人やいた人のすべてが知っているわけではない。神経が剥ぎだしになったかのように、あらゆる人からの干渉に痛むようになった私は、現実で何一つ夢や楽しみが持てない。

何もかもが恐ろしくて仕方ない。何もかもが傷つけてくるようで、私の存在を否定するようで何にも耐えられない。人の声も表情も、他人同士でのやりとりも、どこに私を否定する材料があるか警戒してしまって落ち着かない。何もかもが私に間違っているって言っているようで苦しいし、いずれ嫌われてしまうとか捨てられてしまうとか、そういう恐怖が常に襲ってくる。人といて居心地よくなることがとても困難で、そうでなくても自分に対して不快感が強くて、希死念慮が止まらない。

人が見ている世界と私が見ている世界が違う。起きた現実が違うからだ。私は人と同じ現実を持つことが出来なかった。人は虐げてきて、誰も助けてくれず、被害者に黙認することを望む。全員が加害者で敵の世界。親も学校も同級生も医師も社会もすべてが敵だ。私は愛されず望まれずこの世界から拒絶され否定されるしかない。

だから人は私の話を被害妄想だと言うし、私も人の話を妄想としか感じ取れない。この人は愛された人だからそう言えるのであって、愛された私には縁のない世界なんだとしか思えない。人に助けてって言った方が良いよと言っていた人の話も、この人は救われる価値のある人だからそれが叶うのであって私にはやっても無意味でさらに傷つけられる行為だった。

私の孤独なのに不自由なトラウマは人からしたら孤独には見えないし孤独を選べばそのかわりに自由があると思っている人たちには理解のされないものだ。

私は何もかもが恐ろしい。きっと人と接したらまた私を傷つけてくる。人が歩く爆弾のように恐ろしく私の心も爆弾のように破裂しそうで生きていられない。

苦しくて不安で普通のふりができない。そこでどうしたのって言われてもこんな話を信じてくれる人は誰もいないし、この感覚の重みを理解してくれない。大したことのないようにしか言われない。だから言いたくなかったのに。だけど聞かれないように普通のふりがやっぱりできない。リモコンの電池を抜いたように私も簡単に動きを止めてしまえたらいいのに。