憎しみが止まらない

毎日記憶がぶり返してイライラが止まらない

あれが自分が無能だと自覚してた癖に親のふりをするせいで

私の人生は常に安心とはほど遠い感性の中にいる

 

怒りが、憎しみが常に止まらない

愛された人間の、大切にされた人間の、守られてきた人間の

被害者になった上で加害者の肩を持たれたことがない人間の

他人の感覚が私にはわからない

被害にあっても誰も助けてくれないなら被害に最初から合わないようにこの世界から隠れて生きるしかない。だけど怒りや憎しみが私の心を常に痛め付ける。誰かが傷ついた私をあの瞬間に助けなければならなかった。誰かが私を傷つけた加害者を咎めなくてはならなかった。すべてが憎い。学校という場所に閉じ込めた親も社会も、学校という場所にいた生徒も教師も、味方のふりをして裏切って私に支援者への信頼を築くチャンスを奪ったスクールカウンセラーも、すべてが許せない。たくさん助けを求めたのに全部傷つけてきた大人たちも、そんな私に良い人も助けてくれる人もいるっていって去っていくだけの人間も、自分の達成感のために私を助けるふりをして上手く行かなかったら私を人格否定する支援者も、最初から人を見下しながら福祉の職について障害者からお金を奪っていく支援者も、そんな私にありもしない居場所を探して欲しいとか言い出す医師も、なにもかもが私の現実を見ずに私を否定する。

発達障害の有名人も上手く行った他の患者も私はなれない。大人になるまで発達障害と診断されなかった程度に子供時代をやってこれた人たちと私を一緒にしないでほしい。発達障害の概念がないから診断されず大人になった側だから。支援の場でトラウマが増えた人間だから。すべてが失敗したから。私は失敗した側だから上手く行った側の話をされても遅い。そうならなかった存在だった。そういうものを目指したはずなのに、同じような場所にいったはずなのに。でもそうならなかった。

いざ発達障害だと医者から言われたら言われたで発達障害だからいじめられるのは仕方ないなんてひどいことを親に言われた。親が加害されることを正当化する。私は親にとって人からいくら傷つけられてもいいし、傷つけられて当然の存在だった。私の親は人殺しも同然だ。母は人殺しで父は人殺しを庇う人殺しだ。本当に困っている時に崖から突き落とすような言動を何度も繰り返した。人に刺された後の傷にお前が悪いってさらに蹴り飛ばすような存在だった。そのことを言えば過去のことを掘り返すなと言われたが、別に同じような被害に合わないようにしてくれることもなく再び崖から突き落とされるような目に何度もあった。それなのに家には居場所があったり親が味方でいてくれたりした人たちの話をされても辛い。

解離で表面的には上手く動けている人たちの話や過敏ではなくて鈍感さで立ち回っている人たちの話も全部私がなろうとしてもなれない存在だから困る。その人たちの苦労を私を甘えてるとか逃げてるって決めることに使わないでほしい。私の受けた虐待とその人たちが受けた虐待は違うし、起きていい出来事ではなかったからだ。加害してくるのも人なのに、武器まで人を使われてしまったら私は人が怖いとしか思えなくなる。人に憧れや尊敬も持てないし、恐怖と怒りばかりで、人といても安心を見出す方法が私には微塵もわからない。

私はどうしたらこうならなかったんだろう。助けを求めるたびに医者や福祉の職員から怒鳴られてたらもう助けてって言葉の意味さえわからないし、もう何が助かる方法なのか、何をしたら報われるのか、もう自己否定の底にずっといて何も手につかない。怒りで何も手につかない。怖い、すべてが怖い、私も大切にされたかった。安全を求めて裏切られたくなかった。記憶がたくさん溢れすぎて辛い。記憶がなくなってしまいたい。全部忘れてしまいたい。

世界が憎くて気がおかしくなりそうだ。せめて友達を作って欲しいって親じゃなければ、一人でいることをもっと許容してくれる世界であったなら、私の世界はこんなに重苦しくトラウマの刃に引き裂かれるような場所ではなかったのではないだろうか。憎い、世界が憎い。愛された人たちの価値観を押し付けて、どうせ人は私を嫌う癖に、私に人を好きになる努力を求める世界が憎い。もしその努力が間違ってなかったなら支援施設で通った初日から虐げられることはなかったはずだ。ここまでトラウマだらけになってなかったはずだった。