孤独に沈む

今週のお題「ゾッとした話」

海で溺れたところを助けてもらえたことが自己肯定感の原点だと話してる人がいた。私はそれを読んでだから私は私を肯定できないんだと思った。

 

私は学校でプールに行く用事があったのでプールに行った。正確には地域別のプールの当番が回ってきた親についてく形だった。同じ地域には四年ほどいじめを続けてる同級生の男子がいて、結局プールでもいじめられた。周りの男子から常に水をかけられて息ができなくて、でも私の母は日傘の下で眺めてるだけで、私を助けてくれることはなかった。当時の私はあれは流石に酷かったねの一言で喜んでたけど、あんな苦しくてもそれだけなのかとしか今では思えなかった。あんな苦しみを毎日味わっててその程度なのかと。きっと母は私が溺れさせられて脳みそに障害が残ってもその程度しか思わなかっただろう。

 

私は恐ろしい。愛された人間の価値観で動く世界に常に置いていかれている。時が止まっているような感覚にさえ陥る。人に夢や未来がある前提で語られる世界に着いていけない。だから今もどこか孤独に感じてしまう。

 

今日も夫が語学学習をしている間、夫にベタベタと触れるわけもないので合わせて語学学習をしていた。異国に夢を見る夫は語学学習することで充足感を感じていたようだ。私は心が空っぽになったような不安な気持ちになる。このまま眠ったら悪夢を見てしまう気がするほどにグラグラと胸のうちが震えているようだった。私はできる限り二次元を詰め込んで眠らなくてはならなくて、だからここ最近はスマホをある程度触ってからでないと眠れないのだ。