嫌われるという警告音

夫が語学趣味のためにネットで話し相手を探し始めてから不安が止まらない。見捨てられ不安が酷いからだ。夫からは慰められはするが、どうしてもトラウマのようになった感覚は止まらない。私にとっては私でない誰かと仲良くなること=その人と自分が比較されて否定される=嫌われたり捨てられたりないがしろにされるというかなり危機的なものにしか受け取れない。

 

根本的に私は親から愛されておらず親代わりを求めるように人に対する執着が重いのとは別に、他の転入生と比べられて私とじゃなくて隣のクラスと転入生と同じクラスがよかったと陰口を言われ、それを告げ口されたことがトラウマになっている。当時の私は先生っ子なので同級生から嫌われていてもあまりに関係が希薄なので傷つく理由にはならなかったかもしれない。

 

ただ当時母から脅されて明るく楽しく学校に通っているフリをしなくてはならず、いじめられてても楽しかったと夕食の会話で親に言わなきゃいけないという時に言われてしまって、とても耐えられなかった。普通のふりをしなきゃいけないのに、今日も楽しかったって言わなきゃいけないのに、そうでないと私は親から捨てられてしまうかもしれないのに。そんな生傷の有象無象が今でもずっとそのままだ。私は完璧になれないどころか人より無能だから常に比較され嫌われ捨てられる恐怖を抱えている。

 

夫は自分のように大丈夫に思える人間が他にもいるかもしれないとは言うが、そもそも友達なんて傍からしたらいくらでも代わりが作れるような関係性は微塵も信用出来ない。一夫一婦以外の関係、それこそ離婚もある世界ではあるがそれよりさらに薄っぺらい関係性のために代わりのいない夫が奪われるということの方がよっぽど問題だ。私は人が視界に入るたび、人が人と話している声が聞こえる度に私は嫌われるんだと念仏のように反芻している。私は人が嫌いで怖くて憎くて許せないのだ。どうせ私を嫌うし傷つけるんだろうとパニック寸前のような状態で生きているところを、必死に人を避けているので爆発していないだけだ。

 

私は一人で過ごしている時間は気にならないし、夫が趣味をすることも自分がゲームをすることでどうにかしなくてはと必死に整理をしようとしているが、どうしても夫が私といる時間を減らしてまで他の人と話すことだけは整理がつかない。男ならセーフとかそういう問題ではない。私が誰かと比較されて否定されるリスクなのだから性別は関係ないのだ。夫は二次元への浮気に厳しいが、私は三次元であれば同性相手でさえ交流があることが我慢ならないのである。なによりそばにいるのに構って貰えないのは一番辛い。

 

ただ段ボールを整理していただけでこの見捨てられ不安が戻ってきてしまい生活を放棄して涙目になりながら息が詰まりながら文字を書きなぐっている状況だ。とにかく怖いとどうしようしか頭に浮かばない。夫が西洋薬に否定的だがこんなに不安になるなら薬の宛を改めて探した方がいいのだろうか。なにせもうどうにも出来ない。嫌われる捨てられると常に頭に巡っていては少しの物音にさえ神経が磨り減るほどの苦痛で生活もままならない。漢方も在庫は不安定な状況と聞くしそもそも甘草のことを思うとあれこれと飲んでもいられない。