自分の内側の泥の音がする

少し夫と世界情勢の話をして、世界情勢の話をしてたら宗教の話になって、宗教の話になると親のことを思い出すので酷く落ち込む。母の虐待的な思想は母が持っている聖書に挟まっていた手紙と同じものだから宗教の話をされると辛い。宗教がなんであれ幸せならいいのだろうとは思うのだが、私にとっては諸悪の根源の片棒を担いできた存在である。

 

私は何かに守られているような感覚に非常に飢えている。この世界に誰も味方がいなくて、この世界が恐ろしいものであることを、宗教の話題を見る都度思い出さなくてはいけないのである。

 

そういう安心感が得られないことが、おそらく今更あっても手遅れであることが、どうしようもなく宗教を嫌いにさせてくるのだ。私は得ることのなかった感覚の欠落によって、この世界から異物扱いされ続けるので、この先もおそらく安心感を得ることがないのである。この逃げようのない感覚をどうしたらいいのかわからない。

 

加害者が許されて、被害者は我慢しなきゃいけない世界で、加害者が庇われる世界で、どうやって安心したらいいんだか全然わからない。何もかも私が悪くて、私が人並みに何かが出来なかったから人から悪意を受けても仕方なくて許すべきだという押し付けが恐ろしくて、そんな理不尽をなすりつけられた自分から逃げ出したくてたまらないのだ。許しの押し付けがトラウマになったことで、誰も許せない、人のことも私のことも。私を傷つけた人間を罰さないこの世界のことを、私は味方だと思えないのだ。

 

そうして人並みの能力がないから誰からも大切にされることがないという価値観が、自分に対する憎しての憎しみも増幅させる。この反応のせいで私はトラウマに対するセルフケアは何も手がつかなくなった。

 

さっきまでこんな気持ちになってなかったのにな、なんだか内側のドロドロとした感覚が気持ち悪くて、吐き出せたら、引きずり出せたらと、自分の身体への嫌悪感が酷くなりますます自分が嫌いになる。