G7見てたらなんでこんな国で平和の話してるんだって腹が立ってきた

G7の話を今日はたくさん聞いた。日本はまるで平和の発信源のようにされているけど、私は全くその感覚が実感できない。

 

私は世間体を気にする親に生まれながらにして、長崎出身でキリスト教を信仰していた母からは、常に生まれながらの罪人のような扱いをされてきた。神奈川の小学校ではメガタの死骸を埋めたら何かに掘り返されて、教師も含めたクラス中の全員が私を悪者にした。転校先の山口県では名前を理由に五年間ずっといじめられてきた。そんな人から傷つけられるような人生だったから、山口県にいた私は広島県で平和の鐘を見たとき、クラスという人の中に入れられるだけで苦しかったし、私以外の人もいじめられてて、人といることでこんなに苦しめられるのに、さらに人で世界が揉みくちゃにされることが物凄く怖く感じた。

 

神奈川に戻ってからは中学校でも名前や運動神経を理由にいじめられて、不登校なってからは市のカウンセラーからも怒鳴り付けられて、高校でもダウン症の生徒の点数を晒して笑い物にするような場所にいた。どこにいても人が人を貶したり笑い物にされるような場所にいた。

 

そんな環境の中で母はどんな被害を訴えても、相手に事情があるとかあなたが悪いとかあなたの受け取り方が悪いみたいな話をもう延々とされていた。成人する前なのに私は精神疾患だらけで、抑うつ状態とか不安障害とかいろいろな名前が付いた。今では複雑性PTSDの診断名も追加されていた。正直安全の実感がまるでなく、人生の半分は心療内科に通院している年数になった。親からの虐待と学校でのPTSDの対応に今でもずっと追われているのだ。

 

私はこれだけ加害者が許容されてる国で、人を悪くいうことをコミュニケーション能力があり社交的であると言われるような国で、こんなに人の尊厳を無視したような扱いをする国で安全が語られることにまったく心が追い付かない。

 

それにしたって唯一の被爆国であるというのなら、なぜ日本という国はこんなにPTSDという存在に対する知識がないのだろう。自己責任とか自助努力とかばかりをこの国は求めてくるし、前向きやポジティブであることは強制して、トラウマを否定しようとする嫌われる勇気がベストセラーなんかになる。本当にこんな国が平和を名乗るのだろうか?平和な国ならなんで私が精神的に殺される必要があった?普段は被害者に我慢させたり黙らせたりいじめの加害者は野放しに被害者が逃げるしかない自殺国家で、なぜこんな話をしているのだろうって考えてしまう。戦争や貧困や治安などと海外と比べての相対的平和ではあるのかもしれないが、じゃあマシだから我慢しろなんて言われ続けるのもうんざりだ。子供の頃から異常な環境にいるしかなかったことが私は許せない。

 

この新たな歴史を刻んだ日に、被害にあった人の言葉を伝えた日に、被害者に我慢をさせる国の在り方が終わって欲しいなって思う。