漫画のキャラと読者である私の温度差

あらゆる作品を新しく見始めてキャラクターたちがダメージを受けるとき思うことがある。この世界観の中でどのくらいこの攻撃でダメージを受けるのかわからないからどのくらい緊張したらいいかわからないというものだ。

ジョジョポルナレフは身体をバラバラにしても死なないし、ダイの大冒険のヒュンケルは溶岩に沈んでも問題がなかった。その一方で進撃の巨人では巨人の能力持ちとリヴァイ兵長以外は人並の耐久力だったと思う。だから最初はキャラクターがダメージに耐えると平気なのか?まだ平気なのか?という耐久チェックの感覚で見てしまう。

 

そしてフィクションに対しては人の死に対する重さの感覚が現実と比べて離れている。呪術廻戦で主人公が人殺しを否定しているが、読者である私にとっては知ってる他作品のキャラクターと比べて何を言っているんだという気持ちになってしまう。

現実だと当たり前だろって言葉のはずなのに二次元に厳しい。作者の好きな作品を私があまり読んでいないから作者の世界観が理解できないのかもしれない。知っているのはfateコードギアスくらいだろうか。切嗣を知っている作者が主人公の感覚を作っていたり、自己犠牲の価値観を最初に推し進めていたのだろううか。作品内から読み取るのではなくメタ視点でしかわからないので読んでいて心苦しい。ハンターハンターも読んだが、ゴンの価値観は宇宙人かと言いたくなるほどよくわからない。

私はどうしてもいじめにあった挙句に親まで加害者の味方をされるという倫理観の殺人被害を受けた境遇があるので、二次元でくらいいじめっ子は殺されて当たり前でないともう正気が保てないのがあまりに大きい。私はいじめをやった本人よりもいじめを許した世界や家族に殺されたと思っているので、いじめの加害者に少しでも寛容な人間を見ると過去の誰も味方がいなかった感覚が身体中を走り回ってしまう。

 

学校に行かなければ私は主人公の気持ちが理解出来たんだろうか。誰か私に学校に行かなくてよかったIFの世界をください。あるいはいじめをした人たちや学校を責めてくれる親から生まれた世界をください。もっと平均的な人生で平均的な感想を抱いていろいろな作品を楽しめる人間になりたかったなと思う。