風呂の湯には悲しみが混ざっている

今日はたくさんおやつを食べた。肉まんとチョコパイで合計カロリーは400近い。これだけ食べたら食べたりないから落ち込むのだと夫から言われることはないだろうという納得のカロリーを食べて、結局落ち込んだ。

 

家事してスーパーに行って料理をして、ご飯を食べたらお昼寝して、起きたらご飯を作る。おまけに中国語をノートに書いたりもした。おやつだってケチらず肉まんを食べたし、思い切ってお菓子も追加してやった。

 

夫にたまには出掛けたらと言われるけど、私の一日は出掛けるほどの時間がない。私はその時間の大抵のことを納得しながらしていたはずだった。漢方の知識を思い出しながら食材を買ったり安いから食材を買ったりしてそれなりに達成感のある買い物が出来たはずだった。風呂に入るギリギリまで私は曲を聞いて好きな世界のことを考えて作品の続きを楽しみにしていたのに、風呂に入ったら何も意味がなかったような心地になってしまう。

 

私には何が足りなかったんだろう。運動も勉強も食事もして昼寝をして、それでも風呂の中にいると胸の中の巨大な穴に気が付いてしまう。書いていて今思ったのだが、私にとって風呂は隠れて泣く場所だったから、悲しくなる場所という習慣が身についているのかもしれない。もしそうだとしたら私はこれだけ情緒不安定でも普段は抑圧している方になるのだろうか。自分でもわけがわからないし、これからも毎日風呂には入らなきゃいけないのに住む家が違ってもこんなに悲しくなるのをどう解決したらいいのかよくわからない。