コンテンツへの溝

朝から私はみんなから嫌われるんだと考え続けて死にそうである。気を紛らわす方法もない。もうすぐ新しくゲームが出るのは知っているが買う気にはなれない。なぜなら存続のキャラクターの設定を禿にされたから。

 

私は新規のキャラがハゲであれば気にすることはないのだが、存続のキャラが禿るのは嫌だ。女キャラであれば長髪がベリショになることも嫌なのである。リナリーのような仕打ちを受けるのは辛い。先々いくらキャラ可愛いなとか思っても「だけど公式が後々禿にしたり老けさせたりするかもしれないんだよな」と思ってしまったらコンテンツに対して不信感しか持てない。

 

人間キャラなんておまけだとか子供向けコンテンツに大人が口出しなんて言い訳する時代はネットでのアニメーションや人間キャラのグッズの多さ、キャラクターと会話したり衣装替えしたガチャゲーがあったり、カードゲームが子供に手が出せる価格でないほどプレミア化している時点で終わっているのではないだろうか。

 

もっとも私は途中でシリーズを買うことをやめているので実際客ではない。あいことば言ったり映画見ないと手に入らない。それを追いかけるのは結構大変であったからだ。加えてなんだかシナリオも説教臭くて、デザインも配慮に合わせただけのキャラデザが増えていった。私は二次元を楽しむためにやっていたのであって、こんなのほとんど三次元じゃんという気持ちになってしまって、私は昔のようにこの作品が好きになれないことが悲しいのだ。たまに出てくるグッズは可愛いと思えるけど、好きではないところも知ってしまっているから手は出せないのである。もうこの世界の人間キャラと関わりたくないなと思ってしまうからだ。

 

正直作品ばかりが悪いのではなく私がいじめにあって福祉でもトラウマが増えて、対人恐怖になり社会不適合になっている人生の恵まれなさも悪いのだ。失敗したら記憶が消えない体質も悪かった。そんな状況でやたら社会に歩み寄っていくゲームに対して溝を感じるようになったことがきっかけだったのだ。あれは居場所があって人生が上手くいった人達に向けて作られたゲームなのだろうなと、作品をみるたびに絶望したような気持ちになる。思えば過去作の時点で一人で勝手に死ねばいいみたいな話をしていたな。この作品はあちら側の世界の人たちで出来ているのだな。そう思うとこの可愛いキャラクター達も身近で親しみやすいという面をしつつも社会的に恵まれたような、広大な土地で大型犬を飼うようなセレブ向けの存在なのだなって思ってくる。

 

最近はそういう悲しさが多い。女児向けアニメのグッズで盛り上がる人々を見る度に、私もこうなりたかったなって思うことがある。そのくらい私は絶望して価値観が世界から分断されてしまった。子供の頃と変わらずにいられる人々が羨ましいし妬ましく思う。