枯れゆく姿

世界有数の有名なブランドの衰退を見て結構落ち込んでいる。人脈ありきで落ちぶれる様を見るのは結構辛い。例えば絵が上手くないのに人脈の都合でゲームに実装されたキャラクターというのはモチベーションを酷く下落させる。私は絵師ガチャが嫌いだ。下手な絵を描くなと言いたいわけではないが、せめて原案くらいに抑えて実装されるキャラの品質はある程度を保って欲しいものである。

 

それをゲームの個性だと言う人もいるだろうが、今回はそうもいかない。世界に名を馳せる名作を編み出してきたブランドで起こっていることなので耐えられないのである。夫はそんな有様を落ちぶれたブランドを作った側の人間が食いつぶしたってどうでもいいと言うのだが、私にとっては子供の頃に慣れ親しんだ作品の中では思想の押し付けが酷くなくて疲れない作品だったのだ。

 

それが今、老いへの恐怖のようなものを感じてしまう。作品そのものと内部事情は別かもしれないが、子供の心の居所を作るような作品作りをしてくれる場所だったはずなのに、私は老いてしまったのか、世界も老いてしまったのか、そんなことを感じるようになってしまった。権力がない私が老いたところで醜態を晒しても落差はあまりないのかもしれないが。

 

一人の天才が飯を食わせている状況は少なくないだろうが、それにしたってあまりの会社の人材育成のしてなさに私は結構なショックを受けているのである。私の中では2013年を最後にブランドが畳まれたことにしておこうかなと思いつつある。一番美しい瞬間だけを切り取ってこっそりアルバムに飾るようなことを私はする。花が萎れる姿を見なくていいように、作品を盛り上がった瞬間に切り上げるようなことをする。

 

美しさと言えば、ネットで勧められているのを見てホーキーベカコンという漫画を読んだ。この作品は、どこまでも美しさを探求した物語である。人が一生の間にどこまで美を追求するかを書き上げた作品なので、おすすめである。