毒親から感情労働を求められることへの拒絶反応

私は働いたことがない。アンケートサイトで少し小遣いを得たのが精一杯である。継続的な労働といえばバイトの面接を二度ほど落としただけなので出来たことは一度もない。最近は頭が回らずそれさえままならない。

 

障碍者福祉施設を使ってはモラハラのごとく怒鳴られたりなどふるい落としのような嫌がらせばかりだったので、症状がさらに悪化していった結果労働を諦めている。私は障碍者手帳でいう2級と3級の間ではなく1級と2級の間にいるという危機感を持っている。丸一日がフラッシュバックで終わるようなリスクを毎日抱えており、日常の自分の作業が出来なくなることを恐れている。ここ最近も朝から酷くて包丁が持てず味噌汁の予定がなくなりレンジで加熱しただけの豆腐になっていた。

 

私がバイトをしようとした時に、母にはやる気があるのとかちゃんと出来るのとか散々質問攻めして責められたりしたことを思い出して鬱屈としている。母の言うやる気というのはブラック企業が労働者に押し付ける志のような話しなので、聞いていて吐き気がするほど気持ち悪かった。

 

インターネットなんて労働は糞だと言いながら働いているばかりなので、大体の人はお金が欲しいから働きに行くと言うシンプルな理由であることを知っていたのだが、母は私に不必要なプレッシャーを与える。母はやる気を持って行動してほしいと普段は言っている癖に、いざそうすると凄まじい批判をした。

 

母と暮らすということは突然逆走するジェットコースターのような感情労働を強いられるものである。私は心の在り方を問われるのが怒りを伴うトラウマになり、自己啓発本は破いて捨てたくなるほどの拒絶反応を抱えるようになった。認知行動療法対人関係療法も、とにかく心持ちへのアプローチに対して拒絶反応をするようになった。

 

私は悩んでいる。メンヘラや毒親育ちなどを名乗る人たちは労働により承認を得て精神的な支えを受けているような様子を何度も見たからだ。しかし私には何も出来ない。ブログを書いたところでずっと同じような話をしてしまうのであまり意味がないし、感情というものを攻撃され続け自分の感情の波を恐れるようになった私には人と接することが死につながっているからだ。家以外に居場所があった人のようにも私はならない。私には誰も味方がいなかった。

 

八方塞がりで辛い。もっとトラウマが増える前に働ける場所にありつけていたらよかったのだろうか。しかし母からの感情に対する過干渉で爆弾のようになってしまった私は自分をどうしたらいいのかわからない。あの家に生まれた時点で私が社会で生きていけないのは決定づけられていたのかもしれない。深呼吸は火を起こしているかのように意味もなく、6秒待てばただ火は大きくなるだけだ。我慢しなきゃいけないと抑え込んだら抑え込もうとした物ごと燃やす。怒りとはそういうものなのだ。

 

私は働けない人間なのはわかっても、そこで自己否定を向けない方法がわからないので今も凄く辛い。自分が嫌いで憎くて、世界も許せない。許しを強いられたことがさらに怒りを燃え上がらせる。母の言動がいたずらに火を起こし、薪を投げ入れて、油を注ぐ。私はいつももう無理とか、これ以上無理とか、もうやめてと言いながらパニックになる。私の中で何も終わっていないからだ。私はこの怒りの火が大きくなることを恐れている。