人といることが息苦しい

インターネットを見ていると人と群れましょうと気やすく言うような人たちがいる。そういう話を見る度に私は冗談じゃないという気持ちになる。世の中で虐げられているうちに私は常にただならぬ不安や怒りを抱えるようになってしまった。

もう何の刺激で過去の怒りごと感情が噴き出すのか私にはわからない。家族の前でイラつかないようにゲームにも触れずに時間を持て余し、暇でイライラするというよくわからない現象がおきる。

明日電車で出掛けなくてはと思って寝た夜に通り魔に襲われる悪夢を見るほどに悪意が自分とは関係のない場所に存在するものだと思えなくなっている。

人は人をそんなに気にしていないとか自意識過剰というわりには、学校では人の悪口ばかりをしていたので気のせいだという感覚が全く分からなくなってしまった。女性のグループを変えるごとに違うグループの悪口が聞こえる。男子も女子もお互いにいないところでランク付けをしている。気にしていない世界なんてどこにあるんだろうか。

二次元の話をしている時は楽しかった。現実の身近な誰かが話題に出ないということは落ち着くことだった。人なんてあっても製作者の話しかすることがないからだ。

三次元の当たり障りのない会話というのは怖い。普通かどうかを常に試されているような感覚に陥る。

今では夫と二次元の話をする頻度は下がったが、代わりにネットで調べながら国際ニュースの話をする。昔の実家にいた頃は母から食事中にスマホを見るのは行儀が悪いと言われていたが、テレビで芸能人が騒いでいるだけでは会話の内容が浮かばず、おまけに母とはニュース系の話は必ず相手の否定から始まり殺人事件でも加害者を庇い始める始末だったので実質学校生活がちゃんとできたか尋問されるだけの地獄のような食卓だった。いつも否定する側の母は家族なのに会話がないとよく家族を責めていたものだ。私はひたすら兄弟と二次元の話をして会話のある食卓にしようとしていた。父は父で誰かを例に出しては見習いなさいと威張るだけで、他の食卓はどうやってスマホなしで会話をしているのか今でもよくわからない。