自分が愛されるという想像や夢を持てない話

たまに自分を褒めようみたいな話を聞くが、私はそれを聞いただけで頭の中に常に無理とか嫌だとか気持ち悪いという反応が起こる。大体しようとした肯定の10倍くらいの勢いで否定をするのでやらないほうがマシになりがちだ。

 

自分が何かが出来ると思うことが怖い

デイケアに通っていた頃に認知療法のようなことをさせられた。自分の苦手なことを書いて順位付けをして、一番簡単そうな苦手を解消するような話だった。私は手が震え息が詰まり、まるで借金でも背負うかのような絶望感に襲われた。正直何を書いたのかは覚えていないが、それが出来ないことで人から責められることや自分を責める原因になること、ひとつ出来たら次から次へと出来ることを望まれることなどが恐ろしかった。

 

自分が何かが出来ることが想像できない

私の生活はいつも穏やかには過ごせなかった。一挙一動を怒られ笑われる日々だったので、何かをするという行為に何の夢や希望も湧かない。とはいえ無気力な自分への自己嫌悪は止まらないという悪循環をいつも背負っている。積み重ねることに失敗したのだ。悪い記憶だけはしっかり残るので、上手くいくという想像が全くできない。

 

家族でもない他人から愛されることも想像できない

親から愛されることに失敗した私は夫という唯一無二の関係性を得たものの、私の内側には常に外に出て人と会わなくていいように閉じ込められたいという幼心からの夢が残っている。あまりにもその夢が大きすぎて他の願望が持てない。何かやりたいことがないのか聞かれてもあまりにピンとこない。閉じ込められたいは能動的な願いではなく受動的な願いであったり他力本願すぎてしまうのだ。そもそも結婚して家に籠っているのにこんな願望が常に続いていること自体がわけがわからなくもなる。

 

愛情飢餓や母性に飢えてるとかそういうことはあるものの、夫からしたらそんな状況じゃなくてよくないかと問われる。もっと自分が愛される場所があるというフロンティア精神のようなものが、メイドインアビスガンジャみたいな願いはないのかと言われる。しかしそう考えても自分が誰かから許容されるというイメージが全くつかないのだ。私は能力がないから誰からも好かれることはない。能力なんぞに触れるほど接していない相手からも酷い扱いを受ける頻度も高い。私は人といることに平穏は存在する気がしないのだ。もっと他人として生きていたいのに攻撃されることに困っているが、原因も分からないので解決方法もない。

 

私は私の生も死も受け入れられない

外に出るようなイメージがある時点で何か違っていて、私はただただ引きこもっていたいし、それはそれとして自己嫌悪が止まらないので書きなぐっている。本当はこんな自分から逃げ出したいが、常に自分にとじこめられているのも辛いのか、虐げてきた人間達の言い分が正しいと認めたくないから自分を変えようとも思えないしで着地点がずっとわからぬままだ。私は私が選ばずに私から逃げる方法が欲しいのかもしれない。もうこれ以上すべてを私のせいにしないで欲しい。そんな余裕のなさが夢というものから遠い場所にいる原因なのかもしれない。私はあまりに理不尽に責任をなすりつけられすぎたのだ。私はもう何も持てない。