したいことが何も見つからないし服を選ぶのが辛い

夫に私って何をしたらいいと思うと聞くと、自分を好きになればいいって答えられた。好きになるなんてどうしたらいいのだろう。

 

自分が好かれるとは思わない人生

いじめや引っ越しや不登校もあるが、子供の頃から親から我儘や性格が悪いと植え付けられた私は漠然と自分が人から好かれることはないという諦めが子供の頃からあった。大人達が私が誰かしらと仲良くしてほしいというたびにみんなが私を嫌っていることを知らないからそんなことが言えるのだと思えた。

 

人から嫌いだと言われるのはやはり辛い。私がいなければよかったというような陰口も。こんなに誰からも嫌われている自分が私は嫌いだった。この頃から私は人と関わることに怯えていた。

 

現実という放棄せざるを選ない何か

自分を好きになる口実が何か必要なのに、嫌なことを忘れないという自分の性質上、失敗しただけで骨折も等しいダメージを起こす。トランプタワーを積み上げるような余裕のなさが自分という存在であり、フラッシュバックや攻撃性があるので突然揺れる土台でのトランプタワーの積み上げという不可能を行うことが私にとっての新しく何かを行うということである。そして失敗した数だけ揺れる回数は増えてしまう。言い訳せずやればいいとか失敗は成功の元とかそういう言葉はあるけれど、私は今日出来てることまで失敗の記憶で手がつかなくなることを知っている。

 

私の人生はクソである

ウマ娘の育成で例えるなら失敗率がデフォルトでついていて、失敗する都度バステやコンディション低下があるようなものである。私の人生は保健室を何度も使っても回復せずに目標達成出来ないまま終わったようなものだ。自分の人生をゲームだと思えばいいと言っている人がいたが、こんなクソゲーを誰がやりたいっていうのだろう。そもそもウマ娘スマホゲームの中では目を引く3Dであるところも強みなのに、私の現実の外見は美人でもなんでもない。こんな容姿のキャラに貢ぎたいなんてまず思えないだろう。

 

服選びが大嫌い

可愛いアバターに可愛い服を着せるのは楽しい。ただ三次元の自分に服を着せることのなんと虚しいことか。私は自分が服を着てもそこにはジャガイモのような頭がついていることを想像してげんなりとする。服選びとは選ばれた者たちだけの楽しみなのである。だというのにじゃがいも頭でもお金は取られるので選んでいると少しずつ落ち込んでいく。

 

ピースの欠けたパズル

夫からすればやれば絶対に出来ると分かること以外やろうとしないのは不自然なことらしい。私はやらなきゃいけない最低限の家事以外に自分が何をすればいいのかちっともわからない。家事をやった後に何も出来ないこんな奴早く死ねばいいと思うほどには常に欠落した感覚があり、しかし何が埋まらない話なのかわからない。やりたいことが全く存在しない。パズルのピースが欠けたかのように、常に未完成なままなのが自分の日常で、明日もこの完成しもしないパズルという自分の一日をまた始めることが凄まじく嫌なのだ。