嫌いな専業主婦の私と嫌いな専業主婦の母

自分に言い訳が立たなくなって死んだ方が良いなって思うことが頻繁にある。社会から見ても親から見ても私は死んだ方がいいやつなので、私は必死に一日中自分に言い訳をしているし、そのネタが尽きたら死ぬしかないという感覚に陥る。何かに没頭するのはあまりに難しいし、集中できる時間は非常に短い。やってるゲームというのもどうぶつの森は作りたいものはとくに自分では浮かばないので誰かのを真似てまた誰かのを真似てと衝動的に気になるところだけ作るので繋ぎ目の部分が放置された歪な島になっている。まるで何も結果が出せなかった自分の人生みたいな島だ。

 

私は専業主婦になった。昔はなんか大人になったら事務の椅子に座ってるか生活保護で暮らしてるのかななんて社会の教科書を読みながら思っていたが、どちらかというと生活保護側に寄ってしまった。この時から既に社会に対する壁を感じていたけれど、まさか病名までつくようになるまでとは思っていなかった。当時の私が思っていた以上に私は世界から嫌われ者だったし、そのダメージをなかったことに出来るような忘却の機能が備わった人間じゃなかった。

 

私は専業主婦である自分が嫌いだ。なにせ専業主婦を名乗る癖に自分の飯は朝食以外はいつもコンビニ弁当だからだ。夕食は夫分さえおかずが足りなくてコンビニで品数を足してる。どうしか増やそうとしてもコンロが使えないからボソボソの卵焼きがレンジで出来たり、ブレーカーを気にして1品目ずつ料理するので品数が少なかったり、食べたりなくてパニックを起こすことがあったからだ。スーパーで総菜を買うと大体食中毒になるので値段も張る。

 

それはそれとして私自身が専業主婦であることが嫌なのだ。それはたぶん専業主婦という職業にではなく、母が専業主婦だったからだという個人への嫌悪感が漏れ出ているだけなのだろうけど、それでもやっぱり好きになれない。

 

母は私よりマメに家事はしていたし、料理も失敗はしなかった。コンロが使える料理環境だから一緒にキッチンで分担して3口コンロを稼働させながらサラダを切ったりしていたこともあった。だけどそうした母の家事仕事を知った上で片付いた部屋の中で無言で食事を取りながら家族全員が死にたいって言ってた環境の環境のことを思うと、こんな作業には本当はなんの価値もないんじゃないかという気持ちになる。だから私自身が家事をしているだけだと、なんだか間違っているような気持ちが常にまとわりつく。

 

あの家は母にとっての百点満点にならないと存在を否定されなくてはならなかった。母は私のことも父のことも兄弟のことも、なんなら母自身のことだって否定していた。そうは言っても母はいざ責められるとすぐ保身はするのだ。それでも私の私が私であってはいけないという感覚が常に続いている。

 

私は一体どうしたらいいんだろうと悩む。だけどこれ以上傷つけられたくないとか、これ以上悪者にされたくないとか、そういうことしかわからなくてやっぱり何も手につかない。