女は複数人の女で群れてる瞬間が一番醜い

私は発達障害なのもあってか女との会話が心底苦手だ。そもそもAPDで人の声を聞き取る力が欠落しているので集団でいてもガヤガヤとしていて脳みそがびっくりしていたのか、私の名前が呼ばれて質問された時しかろくに喋ってなかったような記憶がある。

 

しかし今日見た増田の女のコミュ力を見て会話が苦手という表現を超えて嫌悪している理由が何故かわかった。それは価値観の擦り合わせによる攻撃性だ。この擦り合わせにはいつでもコンクリートの上で引きずられるような攻撃性を含んでいるのである。いつその存在がこの集団に不適格であるか判断され、貴族が拷問をして遊ぶ時の犠牲者になるかわからないというハイリスクさがあるのだ。

 

男だったら異性として興味があるかどうか、なければ無関心という運びになれるかもしれない。だが女に産まれてしまえば彼女たちのコミュニティがいかに素晴らしく居心地がよく、自分達は仲間であるのかを確認するために、自分と違う存在の悪口をひたすらいい続けるのである。私が受けたいじめはそういういじめだった。自分たちのコミュニティが楽しむための加害行為だった。私は興味がないのに、相手が常に加害してくる。笑いながら私の悪口を言って、大人たちはそれを社交的でコミュニケーションのある人間だとして野放しにする。違う、そいつらは人殺しなんだ。誰かを犠牲にしてしか人と意思疎通が出来ないモンスターなんだ!とは誰も信じてくれない。ただただみんな適応できない私が悪いというのである。私は激しく女が嫌いになった。

 

この国は娯楽に溢れ、教育も存在するのに、どうして彼女たちはクラスメイトの悪口を言ったり、クラスメイトを虐げることでしか、わずかな休憩時間を過ごすことすら出来ないのか。こんな加害者の集まりが、今でも野放しされていることが、私には到底理解出来ない。

 

私は今でも複雑性PTSDで、あらゆる治療法を調べたり、手を出してみてはいるが、彼女たちが正当化される世界で理論的に安全性を語ることが不可能なのだ。社会の人間はきっと精神疾患になった私を異常な化け物扱いするだろう。だが、最初に人を食いつぶしてきたのは社交的とされる彼女たちの方だ。彼女たちは醜い人殺しで、人々は私が殺される姿を見て誰も助けなかった。私が人としての尊厳が奪われるところを、誰も異常なことだとは思わなかった。こんな人殺しが許されている世界のことが私は大嫌いだ。